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アテネオリンピック2004
男子マラソン”五輪優勝はドリームチームの賜物だ”

アテネ五輪マラソン優勝者ステファノ・バルディニ(イタリア、33歳)は、兄マルコの影響で長距離に魅せられた。アテネ五輪前16回のマラソンで3回の優勝経験があるが、主力大会の頂点は極めていない。五輪2か月前、家庭問題で五輪欠場を口にするまで悩み落ち込んだ。周囲の人たちの温かい声援に、どん底から這い上がり再起をかけた。バルディニの五輪は、人生の再出発をマラソンに託した闘争だった。負けるわけにはいかなかった。前半の冷徹なレース展開の読み、後半”飛ぶ”ような追い上げは迫力があった。ライトアップされた近代五輪発祥地のパナシナイコス競技場に、バルディニは真っ先に走り込んできた。両手を高く広げて笑顔でゴール。右手からくり出した拳が空を突いた。帰国後、急変した近況は多忙を極めた。1か月後、モディナの郊外ルビエラで話すことができた。

―凱旋帰国後、どのような歓迎を受けたか?
バルディニ選手―まだ続いているよ。(笑いながら)多分。国民6000万人のうち250万人が、帰国して1週間後に電話をかけてきたんじゃあない!!

―ベルルスコーニ首相に招待されたとか?
バルディニ選手―そうね。9月27日にローマの首相官邸に招待されてご馳走になりました。

―首相はサッカーに興味があるだろうが、あなたのレースは見たようですか?
バルディニ選手―あの頃はまだサッカーリーグ戦が始まっていない時…TVでゴールシーン、表彰式、閉会式を見たらしい。”大変に感激した。””よくやったね”と労ってくれました。フェンシングは好きな様子だったが、マラソンはそんなに知っている様子はなかった。

―閉会式前のマラソン表彰式の印象は?
バルディニ選手―五輪参加スポーツが何種類あるか知らないが、全ての競技の最後がマラソン。最後のアテネ五輪優勝者を称えてくれます。本当に感激しました。

―17回目のマラソンで4勝。アテネ前までは、主力大会優勝には縁がなかった。優勝の要因はなんですか?
バルディニ選手―シドニーは腰痛で途中棄権したが、今回はほぼ完璧な調整ができた。優勝はルチアノ・ジリオッティコーチ、医者のピエルルイジ・フィオレロ、フィジオのダニエリ・パラッアらの献身的な「ドリームチーム」の賜物。五輪マラソンはクラシックレース(ロンドン・ボストンなど)と違う。通常のレースはマラソンに最適の季節。ペースメーカー付、出場料、賞金などが絡み、スピードのあるアフリカ選手が有利です。ペーサーについて機械的に走れる。最近の多くのレースは30kmを過ぎて、判を押したように数人が残って勝負が決まる。僕はタイム争いよりマンツーマンの競り合いに自信がある。五輪は真夏ののため、過酷な気象条件下で行われる。このためアフリカ選手と2〜3分のギャップ差があっても、彼等に対抗できるチャンスがある。気象条件が悪くなればなるほど、我々が勝つチャンスが高くなってくる。

―あの日、”死んでもいい”と、コーチに言ってレースに向かったらしいが…
バルディニ選手―(笑いながら)優勝したかったから…さ。

―コーチからの指示、作戦はありましたか?
バルディニ選手―コーチからは、前半は起伏が激しいのでスローペース展開を予想し、勝負を掛けるのは25〜30km地点。そして後半は、早い展開になると読んでいた。要注意選手は、パリ世界選手権で優勝したガリブ(モロッコ)とタガート(ケニア)、それ以外の選手はレース展開によって状況判断して対処する。ぼくは後半が強く、上がりが得意で下りとそれほどスピードは変わらないから、前半はかなり楽だった。タガートは好調と聞いたが、前半の表情から察してそれほどではない印象を受けた。

―勝負のポイントはどの辺だったか?
バルディニ選手―下り坂にある32kmを過ぎた頃かな、周りをみるとタガート、ケフレジキ、ブラウンらの顔が見えた。この連中とトップ争いを確認したね。

―先行したデリマを捕まえる自信があったか?
バルディニ選手―彼があのままのスピードでゴールまで行くとは思えなかった。下り坂になってから捕まえる自信があった。ぼくは暴漢がデリマの走りを妨害したのはゴールまで知らなかったが、あの事故と勝敗は全く無関係だと思う。人はあの妨害自己をこぞって云々するが、ぼくは30〜35kmを14分47秒、35〜40kmは14分12秒とペースアップ。最後の4kmは2分45、46、44、45秒のハイスピードでカバー。そして、残り2.195kmを6分06秒で走ったことに誰も注意を払っていないんだ。

―家庭問題の難局を乗り越えての優勝と聞いたが…。
バルディニ選手―その件はもう話したくない。周囲のバックアップがなければとても優勝はありえなかったことは確かだ。

―勝たなければならない状況が闘争心を煽ったのか?
バルディニ選手―それも少なからずある。五輪優勝で自分の存在を証明するまたとないチャンスだったと思う。アフリカ勢と比較すると素質のハンディキャップは大きい。五輪優勝の可能性は、完璧な調整がなければありえない。食事管理はもとより、レース1か月前、ロベルト・ロセッティ栄養士がミルク、コーヒー、お茶、チーズなどを禁止してきた。練習だけでなく、生活そのものをマラソンのために変えなければ勝てない。

―五輪優勝は人生を変えた?
バルディニ選手―少なくとも、トラブルから立ち直ることができた。大きな影響があることは間違いないだろう。

―9月26日、五輪後ほとんど練習なしで、シシリアで開催された10kmロードレースに出場して2位。早くも競技開始ですね。
バルディニ選手―沿道の観衆に応えて自然に走れた。調子が非常にいい。五輪の疲れは感じられない。本格的なレースとは思っていない。

―あなたのポテンシャルは?
バルディニ選手―もし、アテネ五輪の調子で、9月のベルリンマラソンのようなベストコンディションならば2時間6分は行くと思う。

―今後の予定は?
バルディニ選手―まだなにも決まっていないが、これまで世界選手権で2位が2回、来年の世界選手権で優勝を狙いたい。4年後はぼくは36歳、若くはないが北京五輪を目指します。(月刊陸上競技11月号掲載)

(望月次朗)

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