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ベルリンマラソン野口みずきインタビュー
日本新記録は藤田監督と友人の誕生日の贈り物

野口みずき選手のアテネ五輪の劇的な意表をついた25km地点のスパート、夕焼けに向かって独走する姿、ゴールシーンなど、未だに鮮明に思い出す。あれから1年後、野口は「わたしは変わりません」と言う。「アテネは過去のこと。動かないことにはなにも始まらない」と、新しい日本記録への挑戦始動があった。ベルリン・マラソン前「普通に走れば日本新記録は出ます」と自信たっぷり予測した。季節違いの高温のレースを、18分台突入は次回に持ち越されたが、復帰緒戦を公約通り2時間19分12秒の日本新記録で圧勝。藤田門下生によるマラソン日本新記録の“プレゼント”を監督に送ることができた。以下はレース前後の数日間の会話をまとめたもの。

―1年ぶりのフルマラソンの印象はどうですか?
野口―レースはやはりいいですね。アテネ五輪後はいろんな行事やらで、普通の選手生活から少し遠ざかっていたので、五輪後初の本格的なレース復帰をこのような形で果たせたことは満足です。元の鞘に収まったことは嬉しいことです。

苦境を乗り越えて、北京への再出発

―「普通に走れば日本記録を敗れます!」の公約を果たしましたね。
野口―この時期のレースにしては、思った以上に暑くて(注:気温は13度から20度に上昇)きつかったですね。最後の5kmから脚が重くなって、もう棒のように感じました。それまでは呼吸も全く乱れず、流れるように走れましたが、やはり暑さ、以外に固い路面、カーブのために左ふくらはぎが痛くなり、左足の指の付け根に豆ができたので残り5kmは本当にきつかった!!(レース後の翌朝、レースのタフさを物語るように、宿泊所前の公園で朝のジョギングの時、脚がガクガクして、自分の足ではないような感触だったと言う。)

―記録には満足していますか?
野口―終わってから考えると、もう少し涼しかったら・・・なんとか18分台が出たと悔やみますが・・・こればかりは仕方がありません。目標の日本新記録を達成できたので嬉しく思っています。この日本新記録は藤田監督と今まで一緒にやってきた友人の、今年引退した田村育子さんの誕生日プレゼントです。北京五輪前まで、もう1度記録へのチャンスがあるかもしれません。18分台への挑戦は次回持越しです。

―男性のペーサーと一緒に走った感触はどうですか?
野口―イーブンペースをキッチと守って走ってくれたので走りやすく、非常に心強かったです。沿道の観衆が多く、とてもリズムに乗れました。

―ペーサーと併走したり、先頭にたって走ったりしていましたね。
野口―わたしがペーサーと横一線に立って走ったのは、大きな選手の後方を走るのは好きではないこともあるのですが、ペースメーカーの人達をわたしのライバルに想定して併走していました。また、わたしは1kmごとにペースをチェックしていましたので、もし、ペースが落ちた場合、わたしがペーサーにスピードアップを言わなければならなかった立場でした。

―レースが一番きつかった時点はどこですか?
野口―1番きつかったのは35kmを過ぎてからです。次第に脚が重くなり、最後の5kmはきつかったです。やはり暑さの影響ですか、脚がどんどん重くなって棒のようでした。35kmまでは凄く楽しく走れました。呼吸は全然、「ハー、ハー、」いっていないし、自分でも驚くほど「アーッ!いい感じだ!」と思っていました。ここのコースはリズムが凄く乗りやすく走りやすいコースだと思います。

―その苦しかった時点で、なにを考えて走りましたか?
野口―最後の5kmからゴールでは、あそこで根を上げたら、サンモリッツでのキツイ2ヶ月間の合宿は一体なんの為だったのか。藤田監督、廣瀬コ―チを始め、会社、同僚のバックアップがふいになってしまいますよね。トレーニング風景を思い出すことで闘志を奮い立たせ、歯を食いしばってがんばりました。また、もし、ラドクリフ、デレバらが出場していたら、『35kmで彼女達がくるだろうな〜!?』とも考えました。(笑う)

―レースのポイントはどこに置きましたか?
野口―レース前、車で1度コースを見て回った時、ブランド物ブティック街とか、古い教会、建物など、通過点の目印にしましたが、今回ばかりはイーブンペース維持ですね。

―今回いろんな記録が達成されましたが、どの記録が最も大切と思いますか?
野口―アジア新記録、日本新記録、大会記録の3つ共とても嬉しいことですが、今回は日本記録への挑戦が最高の目的だったので、それが達成できたことがとても嬉しい。また、25、30km通過記録が世界新記録だったとは、今ひとつピーンこないものですが、後で聞いて驚いています。ロンドンでラドクリフさんが出した通過記録と比較されますが、あそこで下り坂を走った記録でもやはり彼女の記録は凄いです。ベルリンで走ることができ、皆さんの声援、協力があって記録達成ができたことが一番大切だと思います。

―28km付近から少しずつ上り坂になっていたが・・・、走った感じはどうでしたか?
野口―全体的な印象はフラットで走りやすいコースでした。所々わずかな起伏があるのですが、レース中に気になるほどのものはありません。多少の起伏は、単調さの中ちょうど良い刺激になっていますので、あってよかったと思います。

―走りを変えるようなことはなかった?
野口―もちろん、起伏があるところはタイムが3分21か21秒程度、少しは落ちたと思いますが、コーチからは“気にするな!”とアドバイスがあったのを思い出して、気にせずタイムにこだわりなく行けたので、さほどきつさは感じません。あこでタイムが落ちたことを気にして、下手にもがくよりは・・・気楽に走ったほうが良かったと思います。

―「時間」との闘いと「勝負」がポイントのレースはどちらが楽ですか?
野口―どちらも良い結果を出すのが楽ではありません。強いて言えば、わたしにはタクティカルなレースが向いているかもしれません。アテネ五輪と今日は全く異質なレースです。気象条件、コースが全く違う場合では、練習過程から違ってくるので簡単に比較はできません。特に、アテネの場合は、過酷な気象条件、厳しい起伏のあるコース、たくさんのライバルを向こうに回して、4年に1度やってくるチャンスに勝たなければならないのが至上目的のレースです。細心の注意を払っての大胆なレースが必要なことかもかもしれません。少しのミスは致命的になります。今回の目的は日本記録への挑戦を掲げました。早いイーブンペースでどこまで維持できて走り続けるかが勝負のポイントを要求されるレースです。わたしはこのようなレース経験をしたことがない未知の世界です。それはそれなりに楽しさ、きつさも含まれていますが、とかくマラソンで楽な勝利はないでしょう。

―暑さが気になりましたか?
野口―朝起きて空を見ると快晴だったので、暑くなることは覚悟していましたし「やるしかない!」と思っていました。スタート時は気にならなかったのが、やはり日差しは強く、身体が疲れてきた後半になると暑さを感じるようになりました。ちょっとマラソンには暑かったですね。サングラスの間から汗が出てきました。

―他の選手のことを考えましたか?
野口―スタートから他の選手のことは全く考えません。実際スタートしてから、一体どこに誰がいるのかも分かりませんでしたし、自分で1kmごとのペースチェックをして、自分のペースで完走しました。

―レース前の緊張は?
野口―五輪のような嫌〜な!気分もなく、ある程度の緊張感があったのですが、なんか練習に行くような気分でホテルを出ました。サンモリッツで「さあ〜!」これから40km走に行くような感じでしたね。緊張感は全くありません。それが良かったのかもしれません。前半、本当に気分よく走れました。後半になって、しっかり走らなければならないと気持を引き締めていました。

―監督、コーチからレース中に指示がありましたか?
野口―ペース、通過タイムのは教えてくれましたが、レース指示は全くありませんでした。

―水の補給は総て上手く取れましたか?
野口―はい、各給水場でわたしに水を渡す係りの人が、わたしのスペシャルドリンクのボトルを間違いなく、確実に手渡してくれました。

―後半の走りが今後の課題ですか?
野口―そうかも知れませんね。35kmまで余裕を持って走り、そこから後半になってスピードを上げてゆこうと考えていたのですが、そこから落ちてしまったので、今後やはり考えなければいけないポイントでしょうね。

―後半の減速がなかったら、18分そこそこで行きましたか?
野口―わかりませんね。(笑う)行って欲しかったですけど、なかなか計算どおりには行きません。

―世界記録への挑戦は?
野口―今日の記録は世界第3位の記録ですから、もし機会があれば次のレースに世界2位の記録を狙うのが順番です。ラドクリフさんの世界記録挑戦は、まだまだ先の話ですね。

―世界3強と言われる、野口、ラドクリフ、デレバらの対決はこれまで、大きな大会で3人とも1勝1敗ですね。彼女らをどう思いますか?
野口―マラソンはそうですが、皆さんはライバルの人たちです。わたしはハーフで、特に最後のスパートで離されてなんども負けています。(笑う)

―北京五輪前、ラドクリフトとの対決が考えられますか?
野口―そうですね。う〜ん?まあ、そのような機会になれば、それは一生懸命戦わなければならないでしょう。でも、彼女を凄く意識してはいません。遅かれ早かれ再戦のチャンスはやってくるでしょう。

―グローバリーの基幹業務の廃止で陸上部廃部の噂が出ましたが、練習、レースに心理的な影響がありましたか?
野口―それは全くありません。不安もありませんでした。会社はベルリンまでバックアップを約束しましたし、本当に練習、レースに集中できたことを感謝しています。このレースで日本記録を出すことで恩返しできれば良いと思っていました。今後の活動については、総てを藤田監督に任せています。

―今回のレースでなにが見えてきましたか?
野口―1kmを3分15秒ペース設定、自分でも非常に落ち着いて走れました。今回のレースで凄く余裕をもって30kmまであのペースで走れましたので、今後なにをすべきか、少し先がなんとなく見えてきたようです。今後グローバリーの陸上部廃部にともない、新しい活動先を探さなければなりません。私達選手のすることは変わりがありませんが、急転する新しい環境で新しい目標達成に全力を尽くしたいと思います。

(月刊陸上競技社誌05年11月号掲載)

(望月次朗)

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