shot
 
NEWS
ケネニサ・ベケレ
史上最強クロカン選手、ベケレ2冠5連勝達成

ケネニサ・ベケレ(エチオピア、23歳)は、アジアで初の第34回クロスカントリー世界選手権福岡大会で、2種目5連覇の陸上競技史上偉大な金字塔を刻印した。おおかたの予想通り、ベケレが初日、男子ショートコース(4km)であっさり5連勝。この時点でほぼ最終日、得意のロングコース(12km)にも勝つのは決定的だった。ベケレは『練習も十分に積んできたので調子が良い。勝つために出場した。初日のショートコースで5連勝は難関だと思っていた。これさえ突破できれば、2冠5連覇が多少は楽になるだろうと予想していた。レースそのものは風があったので、ぼくだけが例外ではなく、選手全員がきつかったと思う。危なげなく勝てたので嬉しかった。しかし、メインは明日のロングコース。このレースでケニア勢を侮ることは危険だ。かれらが集団でぼくを潰しにくるのは当然だ。もし、立場が逆であったら、同じような作戦を考えるだろう。エリトリアやカタールの選手の巻き返しも怖かったが、予想以上に楽勝だったのは意外だった。福岡のコースはサーフェースが硬くスピードがものを言う。コースの半分が向かい風で半分が追い風。どこでなにをするか、バランスある作戦を作るのが難しい。最後のホームストレッチのゴールまでの直線は向かい風がきつかった。最も恐れた選手は、シャヒーン。(カタール、23歳、元ケニア選手で現3000m障害世界記録保持者)かれはスピードある選手なので注意しなければならなかった。でも、シャヒーンはどうしたんだろうね。かれにはモスクワ(室内選手権3000m)でも勝てたし、前に全く出てこなかった。ロングでは若手チョゲ(オーガスティン、19歳)、ソンゴク(アイザック・キプロノ、22歳)らは良く知らないが、成長著しいと聞いている。明日まだもうひとつレースがあるし、弟タリク(ジュニアで3位)の出場するジュニアレースが心配だ。なんとかメダルを取って欲しい。』と語った。

大会2日目の遅い朝食後、滞在先のホテル隣接のソフトバンク野球場のシンボルマークの前で、彼の好意で特撮に付き合ってくれた。

ベケレも他のエチオピア選手と同様に、博多の宿泊先のシーホークと呼ばれるホテルから一歩も外出していない。多くのエチオピア選手は遠征先々で、部屋と食堂、ロビーで仲間と談笑する以外の一人出は、しっかり管理されているので、およそ考えられないことだ。撮影場所を、博多のランドマーク、ソフトバンク野球場側の『暖手の広場』の「未来を担う子供たちが、憧れの人の手と自由に握手して21世紀の夢を育ててゆく・・・そんなことを願ってこの広場は生まれました」の能書きの前で撮影。さて、これから海岸で撮影という時になって、博多湾上空が真っ黒い雲に覆われ、たちまちに大雨が降り始めた。ベケレはホテル内のショーウインドーを見ながら「ぼくは東京にまだ行ったことがないが、実に、日本は素晴らしい国だ。博多が大好きになった。欧州、アメリカとは違う。物静かで、人が親切で優しいのには感心した。こんな素晴らしい店はアジスに存在しないね。」と言いながらホテル内のスポーツ店、ファッションの店を感心して眺めていた。急変した強烈な風雨を伴った天候に「こんな強風の中を走るのはキツイ!勝ちたいが、レースはやってみなけりゃあわからないね」と慎重だった。

それから2時間後、弟タリクがジュニアで3位になったのを確認後、大会最後のレースに出場した。ベケレは強風の中をものともせず、完璧なレース展開でロングコース5連勝を達成した。ベケレの強靭さをまざまざ見せた圧巻のレースだった。雨が止んで好天気になったが、吹き荒れる強風の中だ。互いに自重してスローペース展開のため、先頭集団がなかなか崩れない。それはベケレにとって、最後のスピード決着で勝負をつける絶好の展開だった。ベケレはレースをこう分析した。「すばらしい結果だ。これまでの5連勝の中で、最もタフなレースだった。ペース配分が難しいかったが、これは完璧な勝利だったと思う。言葉に言い表せないほど嬉しい。応援してくれたエチオピア国民と共に、喜びを分かち合いたい。クロカンは勝つことが大事。記録ではない。ペースが遅かったのは、あの強風の中で飛び出すのは自殺行為だからだ。走りながら、どこでスパートするのが良いか、仕掛けどころを逃さない勝負勘が大切だ。レースの流れに沿って考え、テストしてみた。2度ほど揺すってからケニア勢、シレイ・シヘネらの反応をチェック。追い風を利用して残り1キロ前後でスパート。あの時点で勝ったと思った。」5年連続2冠を表すように両手を広げ笑顔でゴールした。

ベケレ兄弟もディババ姉妹、『皇帝』ハイレ・ゲブレセラシエ、アフリカ女性初の陸上競技五輪優勝者のツル、シドニー五輪マラソン優勝者のゲゼヘンゲ・アベラらも、首都のアジスアベバから南へ300km、3000mの高地にあるアルシ地方出身だ。日本からツル、ベケレ兄弟、ディババ姉妹出身のベコジ村を想像することは難しい。この村を取材した時、悪路でかなりキツイ旅程だった。舗装道路もなく、大半の家に電気、水道も引かれていない寒村のひとつだ。エチオピア、ケニアなどが長距離選手を次々と生んでゆく背景は、文明の恩恵が少ないこの村の環境と高地育ちの身体能力、練習、モチベーションがミックスされた結果だ。昨年、ベケレは世界クロカンを目の前にして、挙式が決まっていたフィアンセのアレムを、練習中に心臓麻痺で亡くした悲劇を乗り越えた4連勝だった。その強靭な精神力に、多くの人たちが驚き感動した。ヘルシンキ世界選手権でも10000mで圧勝して2連勝。今年3月に室内世界選手権3000mで初優勝。若干23歳にして、ベケレは世界陸上競技史上初の屋外、室内、クロカン世界選手権3大会を達成した選手だ。世界大会メダル獲得数が18個になり、あのポール・タガートの持つ17個をひとつ越えた世界記録でもある。他にも、世界選手権、五輪10000m優勝、5000,10000m世界記録保持者だ。『皇帝』と呼ばれるハイレ・ゲブレセラシエ、フィンランドの英雄、故パブロ・ヌルミを越えた、史上最強長距離選手だ。

ベケレは2冠5連勝達成後、世界がアッと驚く声明を発表した。「今日優勝したのでクロカン世界大会は、これで最後にすることを決めました。ジュニア時代から6年連続で参加、これ以上目指すものがありません。来年からは、若いエチオピア選手が優勝できるように道を譲りたい。前人未到の6連覇に挑戦することも大事だと思うが、自分の10個の金メダルは6連覇以上の価値があると思う。次回がモンバサであろうが、他の場所であろうが、ぼくの意思決定に変わるものではありません。」と、あっけなくクロカン引退を表明。次回モンバサで「ベケレ打倒」に、死力を尽くして待ち構えるケニア勢をあっさり交わした。続けて、「クロカンは好きなレースのひとつだが、クロカンをすることによってシーズンが非常に長くなる。クロカン、トラックの両立すると、これまで以上にトップを維持することが難しくなるので、、トラック1種目に絞り込むことがベストと判断したからです。もちろん、今後、トラックへの挑戦はまだまだ多く、これまで本格的にやらなかった1500,3000mにも挑戦してスピード力を付けたいし、自分の持つ世界記録の更新や、大阪世界選手権優勝、アテネ五輪でできなかった5000m10000m2冠獲得の挑戦を、モスクワ五輪のイフタ−のように、北京五輪優勝で目指したいと思います。」と、結んだ。

(06年月刊陸上競技誌6月号掲載)

(望月次朗)

Copyright (C) 2005 Agence SHOT All Rights Reserved. CONTACT