shot
 
NEWS
室伏広治
究極のハンマー投げ「廻球」への追求

プラハで「ニュー」室伏広治(ミズノ)が誕生した。昨年6月の日本選手権以来の競技会に出場。ゴールデンスパイクGP(オストラバ)に続き、6月5日、プラハGPで2連勝を飾った。室伏にとって、プラハは特別な思いがある。03年、84.86mの日本新記録を樹立。04年にも優勝、アテネ五輪合宿を行いそのままアテネ五輪優勝に飛びたった土地だ。1年間の充電期間中、これまでと一転、理想像を古代ギリシャ彫刻の「ディスコボラス」(円盤投げ)に求め、一歩でもそれに近づく再スタートの場所として捉えている。

室伏は「総てが究極的には『球』に帰する。」と言う。勝敗、記録、投げを越えた『ハンマー投げ』の追及に向かって一歩踏み出した。試合1日後、プラハ日本人学校を自らの希望で訪問。2時間近く帰国前の慌しい時間を割いてもらった。この記事は室伏がプラハで心境を語ったものをまとめた。ちなみに、この大会は60年代の1500mスター選手、故ヨセフ・オドロジルターを称えて命名されたものだ。かれは東京、メキシコ五輪の「華」と呼ばれて体操で8個の金メダルを獲得したベラ・チャフラフスカと結婚、離婚。不幸にも息子に惨殺されたという悲劇的な逸話がある。

大きな1cmの勝利

5月28日、オストラバGPで昨年の世界選手権1〜3位の選手ら好敵手を迎えて、最後の6投目で79メートル82を投げ逆転勝ち。室伏は「長い時間、試合から離れていたので勝てるとは思わなかった。いきなりこのメンバーで勝ってしまうのはイイ感じですね。山登りだとすると、最初の1歩を踏み出した」と、率直に喜ぶ。その1週間後、またしても最後の投擲で2位のヴァディム・デファヤトフスキー(ベラルーシ、28歳、)の79.56mを1cm差で逆転、2試合連続逆転優勝して勝負強さを見せた。

−プラハでも最後の投擲で逆転勝ちしました。この2戦の感触は?
室伏−この1センチは大きな1センチですよ(笑う)どんな条件でも勝ったことが大きい。今回の遠征はこれまでと違ったまったく新しい思考錯誤から始めた、これまで経験したことのないハンマー投げのスタイルをしています。それできちんと正しい方向へ行っているから、これを磨いていきたいですね。

−五輪優勝というひとつの目的達成後に見えてきた別の世界観ですか?
室伏−いや、別の世界が見えてきたのではなく、やはり、これまでハンマー投げに総てを投入、没頭しアテネ五輪優勝である種の頂点を極めたと思います。しかし、同じ過程を2度たどる気は毛頭ありません。これからは全く新しい発想、展開で新しい目標に向かうことのほうがやりがいがあるし、楽しいじゃあないですか。親父は忍耐強く自分の信じることをズーと通してきたが、ぼくはドンドン変えます。ぼくらの時代感覚にあわせて、時代と共にいろんな形でやってゆくほうが満足できる成果が出るし、楽しく面白いです。

−新しい挑戦は、この充電期間中に考えたことですか?
室伏−そうですね。五輪後から練習を始めたのですが、身体全体が思ったより疲労していました。回復の余裕、時間もないほどホントに忙しく終わりが全く見えないような状態でした。五輪は素晴らしいものですが、勝つと大変ですよ(笑う)精神的なものではなく、ストレスや疲労から身体が悲鳴を上げました。肉体的にケッコー大変ですね。練習量をあげてゆくと、忙しさは驚異的に増しました。それを管理する人が回りにいなかったし、ぼくも体験したことがないし、会社の人たちも含めて全くこのような状況経験者がいない状態でした。そこで思い切った休養は必要なことでした。

―それはコーチのアドバイスで休養したのですか?
室伏−それもあります。選手は長期休むことは怖いですね。疲労していても無理してやっていきますが、そこで止める人は少ないと思います。選手としての1年間のブランクは大きいと思いますし、勇気ある決断が要ります。その辺がオヤジだとわかんないし、あの辺のレベルまで行くと、どこで止めて練習を中断するのがベストと判断することが難しい。なかなかできることじゃあありません。そんな人ほとんど訊いたこともなかった。今のコーチはどこで止めるか的確な判断、クールな分析、アドバイスができますね。それができないで一人で練習していると、故障に結びついたり、無理なところで無理をしている状況に陥ってしまうのです。

−2試合を終えて、五輪当時の調子にどの低度調子が戻っていると思いますか?
室伏−まず、ひとつは現在は全く違うスタイルなので簡単に比較ができませんが、ひとつ大切なことは、今回の2試合とも僅差で勝敗が決まっているし、最後の1投で逆転勝ちした勝負強さ、負けない点は大きく評価できると思います。イイ形でトレーニングの成果が出ています。このレベルで勝つことは大きな自信になりますし、負けたほうにはダメージを与えますね。僅差の勝負なので、その勝負強さ、勘所などは磨いてゆこうと思っています。最後の勝負どころでしっかりと力を発揮、勝負強さを出せる気持ち、身体がスーと出せるか、ですね。そのようなトレーニングをやっています。最終的に目的しているところは、今評価するところではなく別のところにあります。今は、競技者に戻った第一歩を歩き始めたところです。

−コーチは今だれですか?
室伏−トレ・グスタフソン(注:元ハンマー投げ選手、最高記録80.14m、カリフォルニア在スウェーデン人、44歳、)さんです。

−試合中、スタンドから往年の名選手ティボー・ゲチェック(ハンガリー、42歳、最高記録83.68m)が、アドバイスしていたようですが・・・
室伏−ゲチェックさんは情熱的で元気がいい人です。モチベーションを上げてくれるようなアドバイスがあります。トレさんは冷静に物事を判断してくれる人間的に非常に優しい。身体を見て体調管理を学び、もう少し上手にぼくがやりたいことをサポートしてくれる人です。この2人は現役のころは競技者として戦い、旧知の間柄でとても仲がよいです。もちろん。親父さんもまだ協力的にサポートしてくれます。

―これまであなたは鋭い表情でだれも側に近寄りがたい、寄せ付けなかったような雰囲気を持っていましたが、だいぶ柔和な態度、表情になりましたね。どのような心境の変化があったんですか?
室伏−そうですね。幾ら同じやり方を繰り返しても楽しくないだろうし、ある程度の限界も見えてきます。自分をドンドンいろんな形で出してゆくことが大事だと思ってきました。表現力を豊かにすることによって、今度は外、他人、社会から多くのことを学ぶことが大切ではないかと思いますね。表現してゆくことは、外から反応が率直に得られる可能性、ここから大きな輪が広がる可能性が大きいし、世の移り変わりの激しい時代ですからその流れに眼を向けることが大切だと思います。

−過去は今の逆だった。
室伏−あれはあれでひとつの時代があったということです。

−具体的にどんな点に変化がありますか?
室伏−競技の楽しみ方が全然違います。新しい投げ方、スタイル、身体作りが違ったので、おのずから身体そのものが違います。もちろん,投げ方も当然全く違います。気持ちがイイですね。

−回転開始の最初の形が身体を丸くしてモーションに入る。
室伏−あれもそうですがいろんな形で違います。

−いつごろから新しいやり方を始めたのですか?
室伏−新しいやり方を始めたてから半年という時間を考えれば、だいぶ以前の記録に近づいていますから、この記録じゃあかなりいいんじゃないでしょうか。

−それでも記録を期待できますか?
室伏−記録はやはり高い目標においています。まず、今回の新しい試みとは、記録そのものより従来の競技に対する世界観、ハンマー投げの観念などから脱却して、同じことの繰り返しをやめて、内に篭らず、自分を露出して、人、外部の人との接触から生まれるコミュニケーションが大切だと考えてきました。コンディション、天候など諸々の条件が揃わないと記録は出ないので、コンディションを整えて、記録が出やすいところで投げればいいのですから、それは年に何回かのチャンスはあるかと思います。チャンスがあれば、年に何回か記録を狙う競技会に出場する準備はしておきます。

−鉄球で腰を叩いたり、ハンマーを腹の中に抱え込むようにしたしぐさ、今度は以前とだいぶ違う動きですが、あれは一体なんですか?
室伏−あの鉄球を持っていろんな訓練をするんです。まあ、あんな運動で『球体』感覚を身に着けているんですよ。というのも、地球から始まり、ハンマーサークル、ハンマーそのもの鉄球、丸く回転視するモーションなど、総てがものが最終的に円く収まる、「球」に結びつくのです。

−心技一体が「球体」感覚とはいったいどういうことですか?
室伏−それこそ総てが円く収まる。スムースにモーションが行えるような感覚ですが、丸い鉄の玉を、丸い投擲サークルで回転しながら鉄の玉をだれよりも遠くに投げるスポーツ。人の身体の関節も、一種の関節ジョイントが丸い状態であることは誰でも知っている。その感覚を少しでもわかろうとしている状態です。

−そこから理想的なハンマー投げが生まれる
室伏−そうですね。私の理想的なイメージは古代ギリシャ彫刻「円盤投げ・ディスコボラス」だと考えています。肉体的な美しさはいわれていますが、でもぼくには顔の表情が最も興味を覚えます。この彫刻の表情は、なんともいえない穏やかな表情です。これから投げる瞬間まで、険しさを全く感じさせない表情です。投げること自体が目的なのか、投げて記録勝負などを通り越してしまった投げることへの超越した喜びがそこに見えると思います。そんなことをアメリカの友人に話すと賛同してくれた人もいました。このことは、日本陸上学会でもいろんなハンマー技術などを一通り説明して、最終的に「ディスコボラス」理想像へと「こだわる」と結びました。

―いつごろから理想像を追い求め始めましたか?
室伏−それは徐々にですね。やはり、ぼくがスポーツ選手が一生懸命やっている姿は面白いし、やっていなくてもスポーツ選手の動きは素晴らしく美しいものだと思います。高い理想を持って、やるからには中途半端なことをせず、自分の潜在能力、意識を自分で限界を作らず努力しながら長く継続したいですね。ただ、勝った負けた、記録が出た、そうじゃあなくて、それを越えたものが何か存在するということです。

―五輪優勝という最高の形で結果が出たあと、頭の中で空洞化は起きなかったか?
室伏−全くなかったですね。ただ、体力の回復、肉体的な極度の疲労が出て大変にきつかった。自分のプランを立てるのが難しいですよ。

−「投げきる」という感覚とはなんですか?
室伏−なにも残らないで投げた瞬間です。強い選手は「投げきる」ことができなければ勝つことは無理であって、記録も出るものですが、しかし、必ずしも好記録に結びつくとは限らない。「投げきる」感覚は、練習もそうですし、試合でも起きます。達成感、満足感と記録には必ずしも比例関係はないですから、記録は良くても決して感覚としては投げきっていないかもしれない。ぼくは自分の達成感として、その辺の感覚は知っています。

―記録と、投げきった感覚は今までにどのくらいありますか?
室伏−なかなか少ないですね。必ずしもいい記録に結びつかないですから。

−あなたでもフロックで記録が出たということがありますか?
室伏−やり方を考えていますからそういう時もありますね。一気に、想像以上に記録が向上するときは大変に嬉しい驚きですね。

−プラハはなにかと縁が深いですね。新しい古代ギリシャ彫刻の「理想像」に向かってチャレンジする再スタートもプラハになりました。あなたをプラハに引き付ける魅力はなんですか?
室伏−ここは時間がゆっくり流れる感覚、人は物静かで優しく、料理も美味しい、ぼくにあっています。また、なによりもハンマー投げ施設が完備していますね。

室伏は忙しい時間を割いて、競技場に応援に来てくれた日本人学校らの生徒に応えて自ら学校訪問を果たした。最近、チェコに日本企業進出が多く125名の生徒がいる。2時間たっぷり、各クラスと記念写真に納まり、質問、サイン攻めにあっても終始笑顔で接する楽しそうな室伏の姿があった。

(06年月刊陸上競技誌7月号掲載)

(望月次朗)

Copyright (C) 2005 Agence SHOT All Rights Reserved. CONTACT