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今世紀最後の第6回Great Etiopian Run

世界最貧国のひとつに数えられるエチオピア。60,64年五輪マラソン史上初の2連勝を飾った「裸足の王様」ビキラ・アベベを発祥とした「長距離王国」は、エチオピアが自他共に世界に誇る唯一のものだ。「走る」ことが国技だ。タイム誌が選出した、20世紀における最も強い影響力を及ぼしたスポーツ選手は、ビキラと並んで史上最強トラック選手『皇帝』の異名を持つハイレ・ゲブレセラシエの二人だ。ハイレと93年マラソンワールドカップ優勝者のリチャード・ネルーカ(英国、自己記録2時間10分3秒、13分23秒36秒、27分40秒3)らが主宰するNGO「Great Ethiopian Run」が設立して今年で6年目だ。参加者が膨れ上がり、競技運営も手際よく行われるようになった。TOYOTA, UNICEF、AIMS, CARE, EC、英国大使館らがバックアップして年齢、男女別の1200m「子供レース」が新たに土曜日に開催、予想以上の反響で盛り上がった。

また、引退したアテネ五輪1500,5000mダブル優勝したイチャム・エルグルージュ(モロッコ)、クロカンショート、ロング2冠、シドニー五輪5000m2位のソニア・オサリバン(アイルランド)、アテネ五輪7種目、世界選手権連勝、欧州選手権優勝、4年間無敗を続けるカロリン・クリュフト(スエーデン)、ハイレの後継者、世界記録保持者、五輪、世界選手権優勝、世界クロカン2種目5連勝の偉業を達成したケネニサ・ベケレらも招待して大会に華を添えた。筆者がハイレに提供したこれまでのレース写真を大きく伸ばして、「ハイレの軌跡」と称しての写真展を開催、数百人の招待客にレセプションで公開した。

レースは国民的な最大の娯楽行事に成長、世界に向けて発する数少ない楽しいニュースだ。エチオピア暦(ジュリアン暦)による今世紀最後のレースだ。トタン1枚で覆われた7階の屋上からの撮影も怖かったが、3万人近い参加者の一斉スタートは圧巻だ。誰にでも参加できる「10kmレース」は巨大なメスケル広場をスタート、市内を通過して同じ場所に戻る起伏のあるコースだ。短いが高地2400mは楽ではない。各国大使らによるレース、国内トップ選手は優勝金目当て、子供たちも真剣に競う。出場料を払うことができない貧しい人達は途中から飛び入り参加する。40数カ国からの参加者、観客も一体となって楽しんでいた。

現在のエチオピアは自然災害、戦争、目立った政治不安定な状況も少なく、交通量が急激に増加してスモッグが空を覆っているものの、自由と平和を満喫している印象を受ける。

エチオピアは日本の3倍以上の広大な国土、首都と地方の発展度が極度に違い、未だ国土の隅々まで道路網が未開発、学校もなく、電気も通じていない未開地が大きな部分で存在している。

この「Great Ethiopian Run」の基本的なコンセプトは、エイズ対策、撲滅運動、児童虐待、家庭内暴力撲滅運動などの様々な問題に対して国民の注目を集めることにある。

エチオピア暦は西暦より遅れた年号が使用されている。キリスト生誕日に関するローマ教会とエチオピア教会との解釈の相違から生じたものである。ちなみに、来年のレースは9月9日、エチオピア暦の新「ミレニアム」2日前に開催される予定だ。

最後に、話が方々に飛ぶが福岡マラソンでハイレが優勝した。彼が福岡に飛ぶ前日まで、ほぼ1週間なんらかの形で一緒だった。練習する時間があったとは思われない。ハイレはレース2週間前から休みなく動き回っていた。多分、彼が最もリラックスしたのは、アディスからドバイ経由日本までの機内だったろう。レース日はかれの最も嫌いな雨、風、寒さなど、悪コンディションを克服しての優勝だ。改めてかれの怪物ぶりに驚いた。

 
(望月次朗)

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