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第34回ベルリン・マラソン
皇帝ゲブレセラシェついにマラソンで世界新!

2時間4分26秒 テルガトの記録を4年ぶりに29秒短縮

 長距離界の皇帝<nイレ・ゲブレセラシェ(エチオピア)が,ついにマラソンの世界新記録を樹立した――。
第34ベルリン・マラソンは9月30日,ドイツ・ベルリンの市街地コースで行われ,34歳のゲブルセラシェが2時間4分26秒で圧勝。4年前の同大会でポール・テルガト(ケニア)が出した従来の世界記録(2時間4分55秒)を29秒塗り替えた。ゲブレセラシェは昨年のベルリンで35km地点まで世界記録を上回るペースで走りながら,独走となった終盤で失速。今回も昨年と同じような展開となったが,今年は逆に終盤でペースを上げ,世界新で2連覇を果たした。
女子でもエチオピアのゲーテ・ワミが2連覇を果たし,2時間23分17秒でフィニッシュ。アテネ五輪以来のマラソン出場となった坂本直子(天満屋)が2時間28分33秒で5位に入って復調をアピールし,男子の日本勢は2時間12分21秒で9位の瀬戸智弘(カネボウ)が最高の成績だった。



子供ころからの夢がやっとかなえられた

ゲブレセラシェが微笑みながら両手を高々とかざしてゴールイン。タイムは2時間4分26秒,キャリア24回目の世界新,マラソンでは初めてとなる待望のワールドレコードを樹立した。ゴール後,もみくちゃにされながらも「やっと長年の夢を達成できた。この優勝は特別な喜び!」と語った。
アテネ五輪後,皇帝≠フ異名を持つゲブレセラシェは,栄光のトラックキャリアを手にマラソン転向した。しかし,これまで6回のレースで世界新記録を期待されてきたが,ずっと苦汁を味わってきた。今回はレース前,「オレの宿命はどこでも世界新記録を期待されることだ」と,珍しく胸の内をポロリと明かしている。「もし,今回も失敗したら……」と,胸中に不安が起きたのも不思議ではない。
大嫌いな大雨が前日まで降り続いたが,レース当日の朝はピタリと止んで薄曇,無風,気温12〜15度の絶好なマラソン日和に変わった。5人のペースメーカーが昨年よりも正確にスプリットを刻み,ハーフを望みどおりの62分29秒で通過。30km以降はペースメーカーがいなくなり,独走態勢に入った。終盤の5kmは強い向かい風になったものの,前半のペースを上回る快走で飛ばし,4年前,同じコースでライバル,ポール・テルガト(ケニア)が作った世界記録を29秒短縮する驚異的なタイムで2連勝を飾った。
これまでゲブレセラシェは3000m以上の種目,1時間走も含める数々の世界記録を樹立してきた。それ故,彼は「皇帝」,「怪物」と呼ばれ,故パーヴォ・ヌルミ(フィンランド),故エミール・ザトペック(チェコスロバキア)らを超えた「史上最強長距離ランナー」の呼び声が高い。

難航したマラソン転向

ゲブレセラシェがマラソンに転向して以来,彼は走るたびにマラソン世界新記録を期待される宿命を背負ってきた。初マラソンは15歳の時。高地2400mのアディスアベバで2時間48分で完走している。ゲブレセラシェは1960年ローマ,1964年東京と,五輪でマラソン2連勝を成し遂げた母国の英雄,裸足の王様<Aベベ・ビキラに影響されて走り出したと言う。92年ソウル世界ジュニア選手権5000m,10000mで2冠優勝。常に世界の頂点に立ち,五輪10000m2連勝,93年から世界選手権10000m4連勝,世界室内選手権1500m優勝,30000m2度優勝,01年の世界ハーフマラソン選手権優勝など,トラック,ロードで栄光の活躍をしてきた。
ゲブレセラシェはアテネ五輪10000mで,国際経験のない母国の後輩,ケネニサ・ベケレ,シレシ・シヒネらを先導。犠牲的な走りで自らは5位に敗れたものの,ベケレとシヒネが1,2位を占めてエチオピア長距離の伝統を堅守した。同時に非情な世代交替を実感し,これを契機にゲブレセラシェが本格的にマラソン転向に向かったと言えよう。
エチオピアの「究極の長距離」はアベベ以来の伝統種目、マラソン。このマラソンで大成することが憧れであり,国民の願いでもある。過去に,アベベ,マモ・ウォルデ,ミルツ・イフター,ベライン・デンシモらが世界的に活躍して国民的英雄になったが,マラソンとトラックの両方で大成したのはこれまでにウォルデだけだった。ゲブレセラシェは彼らの業績を十分に超えるキャリアを残してきた。
88年ロッテルダムでデンシモが2時間6分50秒の驚異的な世界新記録を樹立して以来,再びマラソン世界記録はエチオピア選手によって叩き出された。
ゲブレセラシェは02年ロンドン・マラソンに出場,ハリド・ハヌーシ(モロッコ,後に米国),テルガトと3人が終盤で争ったが,距離走練習不足の影響からかゴール手前で脚がつって3位に甘んじた。これはテストケースでも,あっさり2時間6分35秒だった。05年アムステルダムも世界記録ペースだったが,35km以後,暑さと向かい風で失速。それでも自己記録を更新して2時間6分20秒で楽勝した。寒さと雨に見舞われた06年ロンドンはつま先で着地するゲブレセラシェを苦しめ,雨で路面が滑り,脚を痛めて2時間9分05秒で9位だった。
06年ベルリンは36km過ぎまで世界最高記録を22秒上回るハイペースで通過したが,終盤の強風に悩まされてペースダウン。記録は2時間5分56秒だった。ゲブルセラシェは「世界新記録が出れば最高だったが,2時間5分台も悪くはない。距離にすればあと350m弱だろう。今回の条件は素晴らしく良かったが90%だった。世界新はすべて条件が完璧でないと出せない」と話したが,またしても期待外れでゲブレセラシェ限界説≠ェささやかれるようにもなった。
2時間5分台で優勝しても人は満足しない。 世界中の人がハイレに大きな期待を掛ける。06年福岡も2時間6分52秒で楽勝したものの,もちろん世間的には期待外れだ。
07年ロンドンではアレルギーで呼吸困難に陥り,中間点手前でレースを棄権した。こうなると限界説がエスカレートしてしまうのは世の常だ。いずれも世界記録に挑戦してきたが,そのたびに,不運にも気象条件などに阻まれてきた。
テルガトが世界記録を樹立した2003年のベルリンは,レースに理想的な9〜15度の気温,無風。そして練習パートナーのサミー・コリル(ケニア)とティツス・ムンジ(同)が絶好調だった。2人のペースメーカーの役目は32kmまでだったが,予想外に好調だったので3選手がそのままゴール直前まで激走。それが人類初のサブ5分実現の背景だ。当時のレースディレクター,ホルスト・ミルデは「神からの贈り物だ」と称したように,偉大な記録は運≠ェ必要条件の1つでもある。
今回のゲブルセラシェの世界新と,4年前にテルガトが作った従来の記録は,根本的に条件が大きく違う点に注目したい。ゲブレセラシェがもし,テルガトと同じ条件で走るチャンスがあるとしたら,そこに大きな可能性が秘められていると感じる。

2時間3分台突入も不可能ではない!

―マラソン世界記録を更新した今の心境は?
ハイレ 最高の喜びだ! マラソン世界最高記録は,ぼくにとって子供のころからの長い大きな夢だったからね。まだこの先があるので……,例えば3分台も可能性があると確信をつかんだ(ハイレはいたって如才ない。どこから本気かジョークかわからないときがあるが……)。あんたがホテルに入ってきた瞬間,パットと閃いたんだよ,「世界記録が出る!」とね(笑)。

―これで24回目の世界新記録だが,今回の記録は最も大事なものですか?
ハイレ どの世界記録もそれなりに大事な意味を持つが,今回のものは間違いなく最も重要な記録だろうね。というのも,エチオピアは伝統的に,60年ローマ五輪マラソンで優勝したアベベ・ビキラから始まっている。僕が走ることに興味を持ち出し,田舎から首都のアディスアベバに出てきたのも,アベベのように強くなりたかったから。エチオピアで「走る」意味,真の長距離はマラソンです。だから,僕がマラソンの世界記録を塗り替えたのはいろんな意味があるのです。記録は破るためにあるが,少しの間でもエチオピア選手によって世界記録をキープしたいね。

―トラックとマラソンの違いをどのように考えますか?
ハイレ エチオピアではマラソンは長距離の「王様」と呼ばれる。究極的な長距離レースとして,勝者は伝統的に偉大な尊敬を受けます。トラックは距離が短く,他の選手とのタイムの争いだが,マラソンは距離が長いだけにレース中に何が起きるが予測できないミステリーな部分がある。孤独なタイムとの冷徹無比な争いだと思うね。今回でも35〜40km地点で,それまで快調に走ってきたのが少しおかしくなった。

―これまでなんども世界記録に挑戦してきたが,今回との違いは?
ハイレ マラソンは距離が長いだけに,レース中になにが起きるか予測が付かない。些細なこと,レース中に石を踏むとか,気温,風,食事など,ちょっとしたことでとんでもないことが起きてしまう。よく眠れたし,起床して外を見ると,前日の大雨が嘘のように止んでいたし,風もなく気温もレースに最適のように感じられた。これはついていると思ったね。完璧な条件と運が必要だと思う。僕は雨が大の苦手さ! もし,雨中のレースだったら,スタートから走る気がしないね。

―世界中から世界記録更新を期待され続けてきたが,プレッシャーにならなかったか?
ハイレ そりゃあ,あまり口に出したり,表情を見せられなかったが,どこに行っても世界記録は出せるかの質問が必ずついて回ったから,気になったね。失敗が長く続くと,すべての責任がこっちに降りかかってくる。でも,いつかはポールの記録を敗る自信があったが,レース前から自分にも予測できないことが必ず起こるから困るんだよ。でも,ナーバスになるようなことはなかった。

―調子は良かった?
ハイレ 8月の上旬,ニューヨークでのハーフマラソンを59分24秒で優勝したが,あそこのコースは起伏があり難しかった。ベルリンのようなコースなら58分ちょうどで走れたかも。調整は順調に仕上がっていたので,後はレース日の天候状態だった。それがベルリンに来た日から大雨だったので,気が萎えたね。

―トラックからマラソン転向で最も難しかったことはなんですか?
ハイレ トラック練習と比較すると,マラソンは練習でもレースでもそれほど難しいと思わない。トラックはマラソンと比較してインターバル練習などは非常にきつい!短い距離で最大限の能力を発揮しなければならないからだ。それと比較すると,マラソン練習は距離を飽きるほど長くゆっくり走るだけさ。練習は簡単でいいね。それとやはり僕の走法が,長い距離をこなしながら自然に長距離スタイルに変わったことかな。

―これまでマラソンを軽く考えていたのでは?
ハイレ あったかもね。だけどマラソンの耐久力をつけるには時間が掛ったね。

―レース直後,ポール・テルガトに電話してなにを話したの?
ハイレ 僕が電話したんじゃあないよ。マーク(レースディレクター)が勝手に電話したので僕も話した。ポールがケニアにいたのか,どこかも聞かなかったが,ポールに「世界記録を破っちゃってゴメン!」と言ったが,僕の友人・ポールはすでに結果を知っていたようで,気持ちよく「おめでとう!」と言ってくれた。僕はポールに「僕の記録を破るチャンスさ!」と,返答して電話を切った。

―特別な練習で調整しましたか?
ハイレ 今までの経験で35km過ぎると,ペースダウンしてきたので前半を飛ばし過ぎないように,ハーフを62分45秒通過に設定。後半にペースアップできるような練習,特に持久力を養うための距離走を重点的に取り入れてきた点かな。1週間に250kmぐらい走るようになったのが成功したのかな。エチオピアは7,8月は雨季なので,クロカン練習を走るのは限られているが,この時期は頻繁にトレッドミルで走り込んできた。

―ロンドンで喘息でレースを棄権したが,呼吸困難の心配はなかったのか?
ハイレ 喘息はここ6〜7年間前から起きたもの。今回も最初の15kmはチョットトラぶったが,20km過ぎてからは幸いになんともなかった。

―喘息で北京五輪は大丈夫か?
ハイレ 北京の大気は喘息には良くない。聞くところによると,北京は大阪以上に高温多湿,その上,大気汚染が凄いところ。まだ北京五輪の準備は考えたこともないが,いずれにしても周到な準備が絶対に必要だろうね。

―次のレースが世界最高記録に100万ドルの懸賞金が掛っているドバイですね。
ハイレ そうです。1月18日,良いペースメーカー,よい調子で、天候を味方につけて挑戦します。

(上記のインタビューは,レース後の記者会見,ハイレと食事,車で移動中などの会話をまとめたものです)

2連勝のゲーテ・ワミ(エチオピア,33歳)

「目標のサブ20分には届かなかったが,2連勝できたので満足。また,ハイレが同じレースで念願の世界新記録を樹立して感激した。ハイレはやっぱりすごい!終始自分のペースでスタートから独走。それほど疲労はありません。練習をスムーズに消化でき,コンディションは良かったので勝つ自信があった。1ヵ月後,ニューヨーク・マラソンに出場する予定なので省エネで完走。記録よりも勝つ走りをした。後半ペースを落としたのも,向かい風があったので無理しないで楽に走ろうろいうこと。05年のニューヨークで走った経験から,ペースメーカーが存在しない女子だけのレースになるし,起伏あるかなり難しいコースです。どの低度疲労しているかジョギングで身体に聞きながら,10日後には通常の練習再開ができると思います。調子が良いので短期間に2レース出場は,それほど心配はありません。貰った賞金で娘イヴァに土産でも購入します。ニューヨーク・マラソン終了後,北京五輪対策を夫と一緒に考えていきたい。北京は大阪,アテネより高温多湿で汚染が酷いと聞いているので,過酷なレースになりそうですね。今回で8回目のレース,4回目の優勝でマラソンが楽しくなりました。五輪の優勝経験がないので,北京で最善を尽くしたい」

アテネ五輪7位の坂本,復活か?

04年アテネ五輪で7位になって以来のマラソンだった坂本直子(天満屋)は2時間28分33秒で5位。小川ミーナ(アミノバイタルAC)が2時間37分50秒で13位となった。坂本の調整は50%の状態だったが,五輪選考会に出場のためのテストケース。米国・アルバカーキでの高地練習を経て,長い故障の苦闘からようやく立ち直りの3年ぶりの完走でなんらかの感触をつかんだようだ。4年前アテネ五輪出場権を獲得した「ゲン」の良い大阪で再起を掛けて北京五輪代表切符を狙う。
「ホント! 途中で止めようかと思うぐらいきつかったですね。いつものことですが両足の足裏には豆ができて痛かった。ハーフから25km地点を過ぎてから脚にきて,30km付近では死にそうな思いで懸命に重い脚を動かしていました。3年間のブランクは予想以上でした。あそこでやめたら今まで多くの人たちに支えられ,ここまで回復してきた努力,苦労が台なしになってしまうと思って必死でした。もちろん,レース前から練習が不十分だったので,そのツケが後半に出ることは予測していました。ハーフ72分,5kmを17分10〜15秒設定,2時間25分前後のタイムを目標設定でしたが……,28分台でしたね。(注:武富監督は,「大阪選考会から逆算すると,この大会出場がベスト。今の状態ならこんなものでしょう」とクールだった)。今回は50%の調整でしたが,五輪選考レースは大阪を考えていますので,やはりここである程度の結果を出さないと次も大きな不安を抱えてのレースです。まだまだ思い切った練習が消化できるような体力はありませんが「25分ぐらいかな〜」,欲を言って「24分台には入れるかな〜」と,かなり欲張りましたが,結果は正直で,甘くないですね(笑う)。でも,ひとつの目途が立ったことが自信になります。とても3年前のような走りはできませんでしたが,不安を抱えながら,やっと故障もなくここまで走れるようになりました。スタートラインに立った時は,やはり3年ぶりのレースですから,完走できるか不安が先にたちましたね。ここのコースは男子が再三,世界記録を出した同じコースですから,きっと良い状態であれば記録を出しやすいと思います。久しぶりの完走ですから,まずは良しとして次のレースにしっかりと結び付けたいと思います。これから地獄の練習を消化して,駅伝のためにも耐久力,スピードをどの程度付けられるか,駅伝をいいスペックとして選考レースに臨みます」

男子の日本勢は瀬戸智弘(カネボウ)が2時間12分21秒で9位になったのが最高で,ドーハ・アジア大会4位の入船敏(カネボウ)は2時間14分54秒で16位,昨年3位の梅木蔵雄(中国電力)は18位だった。

カネボウの伊藤国光監督はレースを振り返ってこう語った。 「われわれが東京に移ってちょうど1年。やはり選手が精神的に新しい環境になれるのに1年かかりました。瀬戸,入船らの結果は現状ではまあまあでしょう。ここでレース経験をしておき,現状でしっかりと結果をだして次にそなえなければなりません。その意図は十分に手掛かりをつかめたと思います。高岡が福岡に出場する予定なので、瀬戸、入船らは来年の東京,びわ湖で北京五輪代表権獲得争いに加わるでしょう」

瀬戸は「もう少しいい結果を期待していたが終盤にきてきつかった。まだ走り込みが不足していたのかも。この経験を五輪選考会に生かしたいと思います」

 
(07年月刊陸上競技誌11月号掲載)
(望月次朗)

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