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ハイレ「皇帝」の飽くなき挑戦、記録、北京五輪に向けて始動

 ハイレ・ゲブレセラシエ(35歳)は、「オリンピックイヤー」を迎え、その手始めに1月18日、ドゥバイ・マラソンで世界新記録へ挑戦する。当然、北京五輪マラソン優勝を視野に入れている。ドゥバイは世界新記録「100万ドル」の賞金が掛っている。ハイレは02年12月、隣国カタールのドーハ市で開催された10kmロードレースで世界最高記録27分02秒で優勝。賞金「100万ドル」を獲得、中東は相性が良い土地だ。ドゥバイは「平坦で走りやすいコースだ」と言い、世界記録更新と「100万ドル」狙いで北京に勢いを向ける。ハイレは、春マラソンを決めかねている。ハイレは、過去ロンドン・マラソンと3レース100万ドルの基本的な出場契約があったが、気象条件に恵まれず、コース路面などが、かれの走法に適していないため悪夢の結果だった。ハイレは、11月半ばから1ヶ月超多忙なスケジュールを消化した。ケネニサ・ベケレの盛大な結婚式、披露宴に2度奥さんと一緒に出席。それに伴い海外から多数の関係者、マネージャーのヨス・ヘルマン、ヘンゲロGP主催者、NYマラソンディレクターらが前後してアディスを訪れた。恒例のグレートエチオピアンランは21世紀を祝福する記念すべき「ミレニアム」レースだった。本番の前日、「子供レース」のスターターを勤め、深夜便1時発のフライトでローマ経由モナコに飛び、IAAF主催の「ガラ」の受賞式に出席。火曜日の早朝アディスに帰国した。家族からのささやかな「歓迎」朝食後、事務所に向かい夕方まで勤務、帰宅して裏山で1時間半走っている。そして3日後の11月31日、オランダに飛び、12月2日、へーレンベルグ15kmロードレーに出場。寒い風雨の中を独走。ケネニサ・ベケレの持つ42分42秒コース記録を破る42秒36で圧勝した。世界新記録に向けて、確かな手応えを掴んで帰国した。ハイレは「ベルリン前と調子は変わらない」と言う。

以下の記事は11月半ばから、ハイレ家に居候して会話を交わし、その後、この原稿ができる直前まで電話で話したことを含めて総合的にまとめたものである。

ペースメーカーを期待していない

ある朝、チョット寝坊して6時起床。郊外で25kmロード練習に同行することにした。外は暗闇。30分後に明るくなり、7時前に日が昇る。昨年までナショナル長距離コーチだったイルマ・ベルタの運転するミニバスと途中で落ち合った。アディスの東20km郊外の起伏の激しいデコボコ道路で往復コースで25km走を行った。イルマは今季から中距離コーチに任命された。陸上競技のことをなにも知らないスポーツ省の役人の指示で長距離から中距離コーチに配置転換されたが、個人的にハイレ、アデレ、日本の実業団で走った経験ある選手らと一緒に25kmロード走行のタイムを取りをかっていた。ハイレの経営するジム勤務のフィジオが、ハイレ、選手を交通事故から守るため車を後方をつけて走る。相当に起伏のある難コースだ。ハイレのハイペースに、たちまちひとりふたりと落ちて行き、10km手前から独走だった。

−ここは起伏が激しいコース。ここはいつもロード練習をするコースですか。
ハイレ−ロード練習は数箇所あるのでプログラムによって違う場所で行います。ここのロードは比較的に交通量が少ないので安全な場所だが、コースは起伏がかなりあるのできつい。基礎的な走り込みに最適の場所ですね。ロード練習は1週間に一度だけで十分。

−だれも一緒に付いてこれない。
ハイレ−そんなに飛ばしているとは思えないが、これはいつものことさ!(笑う)一緒に走る選手がいるほうが楽だが・・・、練習、レースだって同じような状況だから仕方がないね。

−ヘレンベルグ15kmロードレースは、最悪な気象条件でもコース新記録を出したが、ベルリン・マラソンの調子を維持できているのですか。
ハイレ−友達のヨス・ヘルメンス(ハイレのマネージャー)主催レースなので断るわけにはゆかない。15kmレース出場は、練習の成果をチェックすることが大切で、ベルリン前にも、NYハーフに出場して調子をチェックをしている。大嫌いな雨と風が吹いた最悪のコンディションだったが、ベケレの持つ大会記録を更新できたのでかなりイイ調子です。

−ベルリンマラソン後、休養は十分取りましたか。
ハイレ−ベルリンから帰国、疲労は思ったより少なかったので休んだのが1週間だけ。ドゥバイ・マラソンに向けて直ぐに練習を再開しました。

−ドゥバイで世界記録を更新できそうですか。
ハイレ−マラソンは走り出してもその先はまだ読めないもの。現在調子が良くても、レース前日まで良くても、走ってみなければわからに不思議なレース。出場するからには、下手な走りをすることはできません。

−最後までタイソン・ゲイと争った世界陸連の07年度最優秀男子選手賞を逃してしまいましたが・・・。
ハイレ−イイとこまで行ったんだがね。(笑う)政治的な配慮があったのではないだろうか。世界選手権3冠王のタイソン・ゲイが有利に選考される理由はわかります。マリオン・ジョーンズのスキャンダルでアメリカ国内の陸上競技は大きなダメージを受けている。IAAFが少しでもアメリカ国内で薬に汚染された陸上競技に関する良いニュース、イメージつくりに役立つ配慮したのだろうと思うし、世界新記録こそ出していないがIAAF主催大会で大活躍した結果を重視していると思います。男女(メセレット・ディファー)も同じような種目で最優秀男女子選手賞がエチオピアで独占することもできないだろう。(笑う)でも、貰った賞もいまひとつはっきりしないものだったね。IAAFも埋め合わせに無理して作ったんじゃあないかな。(笑う)

−タキシードが似合ったよ。
ハイレ−ホント!?あのタキシードひと揃いと靴までもヤシン(ハイレが田舎からアディスに出て来たとき依頼の友人。ハイレの持ちビル内でスポーツ店を経営しているイスラム教徒。)が、ぼくのためにサウディアラビアのジェッダ市で購入してきたものさ。あの男は器用であたかも仕立てたようにピッタリのものを仕入れてくるんだ。ぼくが一番似合うのは競技ユニフォームさ。面倒だから、着るものから履くものまで、すべてヤシンにオマカセ!(笑う)仕事上に必要な背広も吊るしで間に合わせているし、シャツ、ネクタイ、シューズまでもさ。(笑う)

−ベライネ・ディンサモが1988年ロッテルダムで出した2時間6分50秒の世界記録から、再びエチオピア選手によってマラソン世界記録を塗り替えたが、国内の反応はどうでしたか。
ハイレ−世界新記録のシナリオを予定していたが、実行までに長いこと待たせたね(笑う)エチオピアの人たちは待ちくたびれていたんじゃあないかな。11月初め関係者、友人、知人ら400人を「アレム」映画館に招待して、世界新記録祝賀会を盛大に行いました。と言うのも、CNNが30分間の「ハイレ物語」のような番組を作成、放映したので、見れなかった人たちも多かったと思いそれを放映して見せることができたからです。

−昨年、ロンドンで30kmを過ぎて途中棄権した後、一時は引退も考えたと聞いたが・・・。どのように再起したのですか。
ハイレ−だれに聞いたの。あまり人に言ってはいないが、それホントだよ。調子は悪くるなかったが、まさか呼吸が苦しくなったのは初めての経験。あの棄権はいままで築いてきた自信が内部で崩壊したショッキングな事故だった。ロンドンで3回走って、走るごとに結果が悪くなった。02年最初のレースで2時間6分35秒で3位、06年足を痛めて9位、07年呼吸困難に陥って途中棄権して最悪な状況だだった。現地の新聞は限界説の記事を掲載するし、さすがに精神的にかなり落ち込んでヨスに弱音を吐きましたね。しかし、ヨスが親身になって弱気になって引退まで考えたぼくを再び走るように元気つけてくれたので、すっかり立ち直ったのさ。さもなければ、今のぼくはなかったろうね。ぼくの引退はロンドン五輪後までないよ。(笑う)

−途中棄権はやはり喘息ですね?
ハイレ−喘息の一種と医者にも言われたが、あのロンドンの大気がぼくに合わないんじゃなかな。福岡、ベルリンではなにも起きないんだから。

−ヨスに家を一軒プレゼントしたとか。
ハイレ−まだ完成していない。(笑う)ヨスは休むことを知らないから、昨年疲労でダウンするまで働く男。エチオピアに家族できて休養をする場所があればいいと思ったまでのことです。中国人がアディス郊外に建設中の高級住宅地の1軒を購入したので、これをヨス専用に提供しようと思っています。でも、ヨスが気に入ればの話だがね。

−マラソン選手大成、例えば5,6分台の選手になるのに必要なのはトラックのスピードですか。
ハイレ−必ずしもそうとは限らないが、ポール・タガートとぼくは典型的なトラック出身。ポールとぼくの2人は、5000mで12分40秒、10000mで26分30秒を切っているスピードがあったので2時間4分台を記録したと言われるが、それも一理あるだろうが、ポールに1秒遅れたサミー・コリルはトラックランナー出身ではない。スピードがある選手のほうが記録狙いには有利なことは確かです。ベライネ・ディンサモ、ゲザヘンゲ・アベラ(シドニー五輪、ロンドン、世界選手権優勝者)らは、トラック記録はそれほどではなかったがマラソン選手として史上に残る名選手だと思います。要するに、マラソンは簡単のようだが、距離が長いだけになにが起きるか一歩ごとに全く予測が付かない厄介種目です。スピードと耐久力をうまくバランスをとって42kmに均等に配分しなければならない。キーポイントはわかっていても、ぼくも含めて選手だれもが直面しなければならない難問題です。

−ポールの世界記録は、サミーとゴールまで争った結果だが、あなたの場合は30kmから独走しているが、ドゥバイでのペーサーの選択ができますか。
ハイレ−最後の15kmを独走するのはきついが、いいペーサーを見つけるのは難しいと思います。今回、ドゥバイはタフなペーサーを希望するように伝えてありますが、ペーサーをあてにすると外れた時に大変なことになる。

−あなたは3分台突入を予言しているが、ドゥバイで3分台を狙うのか。
ハイレ−もちろん、目標は高いほうがいい。ぼくの現世界記録より27秒早く走れば3分台突入できるが、必ずしも3分台で走れる約束はできない。ポールがベルリンで4分台を記録した事実が、3分台突入の可能性が現実のものになってきたと思います。記録なんて、ひとつの壁が破られるとなだれ現象が起きるもの。マラソンはレース当日になってみないとわからないものがたくさんある。例えば、ペーサーの調子、気象条件など、今からあれやこれを考えても仕方がない。しかし、ぼくの調子が良くて、諸条件が完璧ならば、3分台突入はできると思っています。

−春マラソンの予定は。
ハイレ−まだ、ドゥバイ後のレースは全く考えていません。

−北京五輪は高温多湿、大気が汚染され喘息が心配になりませんか。
ハイレ−ロンドン以外で、その心配はなさそうです。

−夏マラソンの経験がないでしょうが、暑さ対策は大丈夫ですか。
ハイレ−寒いより暑いほうがいいね。アテネ世界選手権、アテネ五輪も高温多湿だったが、かなりうまく調整できた経験があるからそれほど心配していません。レースはみんなおなじ条件で勝負さ。

−人類は夢の「2時間の壁」を破れると思いますか。
ハイレ−もちろんです。20年か40年先か、いつになるかとうてい予測は不可能ですが、それほど遠い将来の話しではないと思います。必ず「サブ2時間」の記録が出るでしょう。ぼくらの世代は、それに1秒でも近づくように、きっかけになるような記録を短縮するのが選手としての仕事です。ベルリンで世界記録を更新したのも念願がかなえられて非常に幸せです。ぼくの世界記録は永遠に残り、100年後でも「これはハイレ・ゲブレセラシエの記録だ」と記憶されますからね。

 
(望月次朗)

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