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07年度世界女子最優秀選手に輝く、飽くなき前進
メセレット・ディファー

世界陸連は、07年世界女子最優秀選手賞をメサレット・ディファー(25歳)を選考した。07年シーズン、ディファーは数々のタイトルと世界記録更新に意欲的に挑戦、無敗でシーズンを終了した。シーズン始め「初の世界選手権5000m優勝、世界女子最優秀選手賞」獲得を掲げて完璧までに目的を遂行した。2月3日、スチュットガルト室内3000mで28分23秒72の世界新記録を樹立。5月20日、カーソン2マイルを9分10秒47で優勝、6月15日、オスローGL5000mで14分16秒50で圧勝。これまでの自己の持つ世界新記録を8秒近く破る驚異的な世界新記録を達成した。7月、アフリカンゲームズ5000mに2連勝。9月1日、大阪世界選手権5000mで14分57秒91で圧勝。9月14日、ブリュッセルGL2マイルで、春先に彼女自身の持つ世界記録を11秒89短縮する8分58秒58の驚異的な世界新記録を樹立、ワールドアスレティックファイナル3000mで優勝して無敵だった。世界陸連が07年度の世界女子最優秀選手賞を発表する前、ディファーは「07年シーズン総合結果を公平にチェック、わたしの実績に勝る選手は見当たらないと思うので、07年世界女子最優秀選手賞はわたしのものでしょう。もし、わたしが受賞から漏れるようなことになれば、なにかが間違っているとしか思えません。」と、奢ることもなく、淡々と受賞予告を新築の自宅で語ったのは印象深い。

これまでなんどもアディス・アベバを訪れているが、お互いの都合がつかずメセレットと話す機会ができなかった。今回、数ヶ月前に新築された豪邸を訪れて話す機会を持てたのは良かった。

新築したので家にきてよ

ディファーは、恒例のモナコで開催される世界陸連主催の「ガラ」に、母親のアステル・メンゲシャ(48歳)を同行して晴れの表彰式に出席している。ディファーの「サクセス・ストーリー」の背景は、おおよそエチオピア長距離選手のお決まりの話と似通っているものの、大半の選手は貧しい田舎の農家出身が圧倒的に多いが、ディファーは首都アディス・アベバの北西20km郊外のアソコ村で育っている。父親はトラ・ディファー(60歳)自動車メカニック。昔、あそこから街中まで、やはり歩くことが多かったと言う。かつては日本、欧州もそうだったように、今のエチオピア、ケニア長距離選手の強さの根本的な秘訣は、子供のころから「脚」を使った生活環境が最高の自然のトレーニングであることを証明、遺伝子とは全く関係ない。単純な日常生活のあたりまえの歩行が、世界最強長距離選手を生んでゆく原因のひとつである。「長距離走」は貧者のスポーツと言ってよいだろう。ディファーの家庭も貧困で食事も満足にできず、薪広い、水汲み、貧しくて裸足で走ったとか、その種のエピソードは数えきらないほどありそうだ。

ディファーらの私生活は、他のエチオピア多くの選手らと違う独自の生活を歩んでいる。これまでのエチオピア女子選手に見られない社交的で開放的な人柄。こちらの意図を汲んでたちまち「新築したので家にきてよ」と笑顔で誘ってくれた。元銀行サッカークラブの選手だったテオドロス・ハイル(26歳)が滞在先のホテルまで車で迎えにきてくれた。新築の豪邸は、古くから存在するアディスの市内から西南の高級住宅地の一角にある。ディファーと数人の子供たちと出迎えてくれ、そのうちの一人を指差して「これはわたしたちの子供よ」とニコッリ笑って紹介してくれた。(ベケレは結婚式で5ヶ月に成る子供がいることを公表。一瞬、今度もまたか!と思ったので・・・、こっちも惚けて)「そうかね。それは知らなかった。幾つになったの」と子供に訊くと、夫婦で笑いながら「メラートは養女で6歳の子です。」と、茶目っ気タップリにいきさつを説明してくれた。

走ることは貧困からの脱出だった

−わたしの子供なんていうから「エッ」と思ったよ!
メサレット−まさか、あんな大きな子供がいるわけないでしょ。(笑う)あの子は孤児だったのを今年養女にしたのよ。メラートは大きくなったら長距離選手になるんですって。

−あなた方の子供は?
メサレット−わたしたちはまだ若いので、子供は北京五輪後に後回しにしても遅くないでしょう。

−2人が知り合ったのは
テディ−おなじ銀行のスポーツクラブに在籍、ぼくが銀行のサッカーチーム、メセレットは銀行の陸上部に在籍していたのです。あのころはメセレットの練習はむちゃくちゃ、基礎体力の作り方、食事、マッサージなど、彼女はほとんどそのような知識を持たなかった。そんなことを話すようになって知るようになった。われわれが婚約してから一緒に住みだしのはアテネ五輪前から。結婚式は、多分、北京五輪後でしょうね。

−この辺はきたことはないが、凄い家を建てましたね。
メサレット−ありがとう。やっと大阪世界選手権前に完成したの。この近くに旧飛行場もあるので走ることにはこと欠きません。アメリカンスクールは側にあるし、その学校内の300mのトラックは国立競技場より立派な施設もあります。わたしは自由に使っていいことになっているので便利な閑静な住宅地です。

−家の大きさは。
メセレット−敷地はよくわかんない。たぶん建坪が600平米ぐらいかな。

−あなたは数少ないアディス出身選手と聴いているが、この近くで育ったのですか。
メセレット−出身地はアディスと言っているのですが、アディスの北西のタダック方面の郊外にあるアスコ村の出身です。あそこからアディスの中心地までは、最近ではこの方面の道路事情もよくなりましたが・・・、少なくとも20km以上の起伏ある山道を歩かなければなりません。

−そもそも走り出したきっかけはなんですか。
メセレット−小さいころから走るのが早かったんです。7歳の時、校内レースで1等だったし、8歳の時、ジャン−メダ(注:アディス市内の元競馬場が多種のスポーツ練習場に変わり、特にここではクロカンレース練習やレースが行われる有名な場所)で開催された大会で6位になったりしたので、父親が「走る素質があるのでがんばれ!」と励ましてくれました。これまでいろんな失敗、失望なども経験してきたが、挫折せずに練習を継続してきた努力が報われたと思います。

−国内ではユースのころから無敵だっと聞いていますが・・・。
メセレット−商品が貰えるのも楽しみだったが、負けるのが大嫌い!小・中学校で3000,5000m、クロカンでも負けたことはありません。

−最初の海外遠征はどこですか
メサレット−わたしが16歳の時、99年ポーランド(ビツゴス市)で開催されたユース世界選手権大会の3000mに出場。ケニア選手に競り負けて9分2秒8で2位でした。

−どの大会でブレークしたと思いますか。
メセレット−進歩してゆく過程において、そのつどワンステップ上がるために、ある種の殻を破ることが必要です。これまではユース世界選手権、アフリカ選手権なので2位が続きました。02年、キングストンで開催されたジュニア世界選手権3000,5000mで2冠優勝、ある種の「ブレーク」でしょう。大きな自信になりましたね。また、アテネ五輪優勝も同じようなインパクトがありました。

−アテネ五輪5000mは、補欠選手が優勝してしまった。
メセレット−そうですね。(笑う)エチオピア女子5000mの持ち記録が4位だったので補欠でした。それが本番になって正選手が10000mに回ったので、5000mに欠員が生じたのでわたしに運良く出番が回ってきたのです。だから。このチャンスを生かすためには絶対に勝ちたかったのですね。

−キングストンの5000mから、これからも長く続くティルネシュ・ディババとスプリント決着争いが始まりましたね。
メセレット−あれはいつものこと。ナショナルチーム練習では毎日やっていますよ。(笑い)

−パリ世界選手権でティルネシュが最年少者で10000mに優勝、アテネ五輪で5000mであなたが勝った。ヘルシンキ世界選手権でティルネシュが2冠、あなたは5000mに競り負けた。06年GL最終ベルリンGL5000mであなたが競り勝ち、アスレティックファイナルでも熾烈なスプリント争いが続いてきたライバル同士。これは見応えのあるレースです。
メセレット−今のところレース結果は五分五分かもね。(笑う)わたしがアテネ五輪で勝ちましたがヘルシンキで負けました。お互いにライバル同士で負けず嫌い。スピードも互角、トラックで一騎打ちの勝負で決着がつくパターン。そんな簡単に勝負を諦めることはできませんよ(笑う)2人のライバル意識がトラック世界記録向上に一役買ってもいるし、優勝者は一人だけ。勝負はどちらかが負けになるのは仕方がありません。これからも優勝争いが長く続きそうよ。でも仲が悪いわけじゃあありません。ナショナル合宿では一緒に練習もするしコーチもおなじですから。契約ウェアが日本から飛行場に届くと、打ち合わせ時間を決め手一緒に取りに行く時があります。

−一見、ティルネシュとおなじ長距離選手ながら、あなたは3000と5000mが得意。エチオピア選手に珍しくもクロカンがそれほど好きではない。今後10000mに距離を伸ばす予定がありますか。
メサレット−わたしとティルネッシュでは得意種目が違います。彼女は長距離トラック、クロカン、ロードなど万能選手。わたしは五輪種目なら5000mだけ。これまで10000mを走ったことがありません。多分、今年は走る予定がありません。クロカンが好きになれないのは、初めてダブリンで開催された世界クロカンジュニアに出場しましたが、寒くてまともに走れず34位。あれ以来クロカンはコリゴリです。

−07年はこれまで最高のシーズンをだったと思いますが、1年を振り返っての感想は。
メサレット−06年シーズン後半から調子が上向き、07年シーズン開幕前「初の世界選手権5000m優勝と世界女子最優秀選手賞」獲得することを目標に掲げてきました。目標達成にはなにをすべきかテディと相談した結果、室内3000m世界新記録、屋外5000m世界新記録、2マイル世界新記録、世界選手権優勝すれば、最優秀選手賞は獲得が可能ではないかと予測を立てました。これらすべての目標を大阪で達成して、無敗でシーズンを終了。安心して受賞できる可能性が高くなったと思っていました。最高のシーズンを終えたと思います。

−シーズン終了後、ギリシャにバカンスに行ったとか。
テディ−ギリシャは大好きな国。海辺で時間を過ごすのが気に入っています。

−モナコの「ガラ」にお母さんを招待しましたね。親孝行ですか。
メサレット−ホント!お母さんに表彰式を見てもらって大変喜ばれました。

−あなたは家族中の面倒を見ているとか。
メサレット−それはありませんが、両親には、すでに家を一軒建ててやりました。必要ならいつでも援助の手を伸ばしてやりたいと思います。16歳の妹が同居して練習をしていますが、ヤル気さえあればわたし以上に強くなる素質があると思います。

−あの受賞の席のスピーチで「賞金の一部を社会事業に寄付する」と言っていますが、どのような社会事業を援助しているのですか。
メサレット−わたしが育った環境は、エチオピアのどこの田舎でも見られる貧しい農村の家庭です。ドロ壁に草屋根、土間、周囲の家のほとんどが電気もありませんでした。父親は自動車のメカニック。3姉妹、2兄弟でわたしは4番目で食べて行くのがやっとの生活。山で薪集めや水汲みなど、「貧困」がどのようなものか嫌と言うほど体験してきました。わたしは過去の貧しかった生活を忘れません。わたしの競技者としての強靭なアスリートの基本的な精神力が、これらの厳しい環境に自然に生まれたものです。試合や練習で簡単に「ネ」を上げません。現在、わたしにできる範囲で、エチオピの幼い女子たちに教育のチャンスを作ってやることです。メラートを養子に迎えたことや、アメリカで教育を受ける奨学金のサポート、この賞金の一部でひとりの少女の心臓手術をアメリカで受ける準備など、われわれの救済の一環です。幸い、アメリカに賛同者がいますのでかれらと協力しながら微力ながら、これからも一生なんらかの援助を続けたいと思います。

−あなたが走ることで得たものは、大切なものがたくさんあるようですね。
メセレット−神様のおぼしめがあってこそ・・・、本当にたくさんありますよ。アフリカ女性として、五輪、世界選手権優勝、世界記録樹立、さらに最優秀女子選手賞を受賞して大変に誇りに思います。スポーツを通していろんな経験を重ねてきました。今年は五輪の年。わたしは5000m2連勝に向かって、最善を尽くしたいと思います。

 
(望月次朗)

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