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マーティン・レル、歴代5位の好記録で2連勝、ワンジル2位

ロンドンマラソンは、男子世界のトップ選手が集結するため、ある人は五輪前哨戦とまで呼んで期待した。1908年ロンドン五輪でマラソンの正式な距離、「26マイル386ヤード」が決まって100年目とか。そのためい多彩な行事が行われた。この半端な数字の由来が面白い。08年ロンドン五輪マラソンの公式距離を26マイルと決定したが、ロイヤル席からゴールを見やすくするため生じた半端な距離の数字らしい。ケニア陸連は、五輪マラソン選考の対象にする重要なレースと位置付けた。スタート時、気温11度、微風だったが・・・。



男子トップ集団のハーフを62分30秒ペース設定した。最初の5kmを14分22秒の高速で入った。10kmを29分10秒、15km、44分00秒、20km、58分58秒、ハーフをペイサー2名が先頭、9選手が後続して62分14秒で通過した。これはハイレの世界記録を17秒上回るハイペースだ。

トップ集団は、優勝候補のマーティン・レル(ケニア、29歳)、サミュエル・ワンジル(ケニア、21歳)らはスキー帽を被ったままだ。デリバ・メルガ(エチオピア、27歳)、ライヤン・ホール(アメリカ、25歳)、アブデラヒム・グムリ(モロッコ、32歳)、エマニュエル・ムタイ(ケニア、30歳)、フェリックス・リモ(ケニア、28歳)、ヨナス・キフレ(エリトリア、30歳)、ヘンドリック・ラマラ(南ア、35歳)らだった。少し遅れて、バルディニ(イタリア、33歳)、大阪世界選手権大会で優勝したリューク・キベット(ケニア、25歳)らが第2集団に付いた。

25kmを1時間13分47秒、30kmを1時間28分29秒で通過直後、ペーサー2人が仕事を完了した。35kmをレル、ワンジル、グムリ、メルガ、ムタイ、ホール、キフレらの7選手が、依然、ハイレの記録を17秒上回る驚異的なペースを維持して1時間43分54秒で通過。レルは、「このままのペースを続けることができるなら、サブ4分で行けると思った。」と、レース後に語ったが、35km地点に差し掛かるころから、運悪く向かい風に冷たい雨がかなり激しく降ってきた。

ワンジルは、「疲れてきた終盤、強い向かい風に冷たい雨が振って前が良く見えなかったし、身体が冷えて硬くなってしまった。」と言った。力尽きたキフレ、ホール、ムタイらが脱落。最後のトンネルを抜ける登り坂でメルガも後退して優勝争いから脱落した。

残ったレル、ワンジル、グムリらの3選手が並走。壮絶な優劣を決めた激走がゴール直前まで展開した。03年、ポール・タガート、サミー・コリル、ティツス・ムンジらの3選手がゴールまで競り合い、2時間4分55秒の世界新記録を樹立した状況に類似している。

冷たい雨で身体が冷えたのか、35kmからの5kmで急激なペースダウン。40kmを1時間58分63秒で通過。ハイレの世界記録から遅れること46秒。ここで世界記録へ期待は消滅したが、いつ、どこで、だれが飛び出すか、勝敗の行くを追って目が離せない。

レルは、「06年、スパートの判断を誤ったため、2秒差でフェリックス・リモに負けた悔しい思いがある。スパートのタイミングは、早くても遅くても失敗するもの。慎重で正確な判断が勝敗の分かれ目だ。ワンジルはこのような状況のレース経験はない。」と読んでいた。

最後のコーナーを曲がる手前、一瞬、レルが仕掛けた。最初にグムリが遅れた。ワンジルは懸命にレルを追ったが、差はグングン広がり勝敗はあっけなく決まった。レルは両手を大きく横に広げてゴールイン。2時間5分15秒の大会新記録、歴代5位の好記録で2連勝、最多優勝3度目のタイ記録だった。

ワンジルはレルに遅れること11秒。歴代6位の2時間5分24秒、マラソン2度目で自己記録を1分15秒短縮。世界を驚かす強豪と互角の勝負を挑んでの快挙だった。3位のグムリは、3度目のマラソンで自己記録を2分14秒短縮する歴代7位の2時間5分30秒だった。

ひとつのレースで3選手がサブ6分を記録したのは史上初。上位3人の記録は、02年ハリッド・ハヌーチ(アメリカ)が、当時の世界新記録で優勝した2時間5分38秒のコースレコードを破ったものだ。

また、4位のエマニュエル・ムタイ(ケニア、)が2時間6分15秒、5位は新鋭ライヤン・ホール(アメリカ、23歳)が2時間6分17秒、6位にデリバ・メルガ(エチオピア、)が2時間6分38秒、全員がサブ7分を記録したハイレベルな激戦だった。

レースの翌日、レルは世界記録への挑戦、五輪について語った。

「レース終盤の悪天候、強い向かい風と冷雨のため身体が冷えてペースダウン。世界記録を破ることができなかったが、世界記録への挑戦に大きな自信になった。ここで世界記録を狙うことは難しいと思ったが、天候に恵まれワンジル、グムリらのような、最後までプッシュできるランナーと一緒ならば世界記録を破る自信がある。五輪出場経験はないが、北京でケニア初のマラソン優勝、悪くてもメダル獲得を果たしたい。その後、マネージャーが世界記録への挑戦をいつ、どこで実行するか計画を立てるだろう。」

2位になったワンジルは、「自己記録を大きく更新して、五輪マラソン代表になることは確実になった。五輪でベストを尽くして優勝を狙いたい。その後、マラソン世界記録へ挑戦します。世界記録は、決して破れない記録ではない。」また、3位になったグムリも、世界記録を破る可能性を口にしていた。

若さと急成長の新星、ホールは、「自己記録を更新でき大きな自信になった。昨年まで世界のトップ選手と大きな力の差を感じたが、その距離が短縮されたような感じだ。この経験を五輪で生かしたい。」と、自信を深めた。

ゲテ・ワミ給水で転倒、伏兵イェレナ・ミキテンコ初優勝

世界のトップ選手を集めた男子と違い、ポーラ・ラドクリフとがレース直前になって棄権したため、女子レースの注目度は低かった。優勝候補筆頭のゲタ・ワミ(エチオピア、34歳)が、不運にも30kmの給水地点でスアード・アイト・サレム(アルジェリア、29歳)が滑って転倒。ワミが彼女の上に重なるように転倒。手足にかすり傷を作った。その間にトップ集団に遅れること100m以上、30秒損失。ショッキングなレース中の転倒は始めて。懸命に追ったが、リズムを失って3位に甘んじた。「転倒がなければ優勝する自信があった。」と、苦笑い。マラソン転向2度目のイリナ・ミキテンコ(ドイツ、35歳)が、2時間24分14秒の平凡なタイムで優勝した。

 
(08年月刊陸上競技6月号掲載)
(望月次朗)

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