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ジェリモ鮮烈なデビューから5ヶ月、五輪優勝、ジャックポット100万ドル獲得

「ジェリモ」か「オバマか」、衝撃的なインパクトを与えた時の人

07年11月ケニア大統領選挙後、ケニア西部のランナーの「宝庫」エルドレット周辺から起きたカレンジン(少数部族を含めた総称の呼び名)によるキクユ族(国内最大の部族)無差別攻撃、殺戮が勃発した。政治家が巧妙に部族対立を扇動。暴徒は、キクユの女、子供らが避難した教会に火をつけて焼殺した事件は世界を震撼させた。この騒動で一時は五輪参加も危ぶまれたが、国際調停委員が内戦拡大を辛うじて阻止した。今でも、エルドレット近辺のいたるところに暴徒の攻撃に焼き崩れた家屋、鉄条網の中で怯えながらテント住まいのキクユ族の人たちが大勢いる。陸上競技選手が中央対抗意識に燃えてか、それともナショナリイズムか定かではないが、北京五輪のケニア5個の金メダリストのうち4個は、カレンジン出身選手の手によるものだ。中でも、200,400mから800mに転向した全く無名なパメラ・ジェリモ(18歳)のセンセーショナルな活躍は、一躍、国民的なヒロインになった。4月19日、初レースのアフリカ選手権選考会で優勝。続くアフリカ選手権で、マリア・ムトラを下してジュニア世界新記録で鮮烈な優勝を遂げた。それ以後、破竹の勢いで突っ走り11レース目で北京五輪女子800mでケニア史上初の同種目優勝。凱旋帰国したのもつかの間、チューリッヒGLで1分54秒01、史上3位の好記録を叩き出した。ゴールデンリーグ6戦全勝でジャックポット100万ドル獲得。「ジェリモ」と、ケニアにルーツの時期アメリカ大統領の「オバマ」の、スパーアイドルがケニアに誕生した。



ジェリモのホームグラウンド、高地2400mのケイノ競技場

カプサベットの町は、エルドレット市から南に48kmの距離にある。この半分以上の距離が身体がバラバラになりそうな悪路のデコボコ道が続く。4x4の車で1時間はタップリ掛る。標高2400mの町に、今は古びて土のトラックだが、幾多の名選手を生んできた「ケイノ競技場」がある。キプ・ケイノは、独立まもなく東京五輪から3大会連続出場。世界陸上競技史に燦然と輝くケニア史上最強の1500,3000m障害、5000mの名選手だった。ケニア史上最多五輪メダル獲得。現ケニア五輪協会会長に就任している。ここからパメラ・ジェリモが世界に飛び出たラウンドでもある。かつて、現男子800m世界記録保持者のウイルソン・キプケターも利用していた。北京五輪男子800m優勝者のアルフレッド・ブンゲイ、同3位のウィルフレッド・イェゴ、北京五輪女子1500m優勝者のナンシー・ラガート、同女子800m2位のジャネット・ジェプコスゲイらも練習にやってくる。ケニアのランナーにとって、「カプサベット」、「ナンディヒルズ」(注:ナンディ族の丘の意味)の響きは特別なもの。「ナンディヒルズ」は、古くは大英植民地時代、広大な斜面にインドから紅茶を植えつけから発展。茶畑を縦横に走るリフトヴァレー独特の赤茶けた粘土状の「農道」で、ケイノ時代からクロカン練習に使われ半世紀後の現在まで続いている。ランニング「聖地」に、ケニア紅茶と選手育成の名産地とも言えよう。

ジェリモの出身地、キプタモク村で

ジェリモがブリュッセルGLで優勝。IAAFディアック会長から大きな模造ジャックポット100万ドル「小切手」と「金塊」を両手にかざした映像はケニアで繰り返し放映されたとか。「100万ドル」賞金は、五輪優勝など比較にならない強烈なインパクトを国内に与えた。他の五輪優勝者、メダリストらはほとんど無視され、ジェリモ「100万ドル」一辺倒に湧いた。政府はジェリモに破格な「外交官」旅券を発行。ジェリモ主体の歓迎パーティーを開催してきたが、他の陸上選手から反発、ボイコットされた。インターネットで「ジェリモは女か男か」とか、捏造スキャンダルが巷に溢れ、高い有名税を払う羽目になった。滞在先の近くに住んでいる現役のころから知り合いのボストンマラソン3勝するなど、ケニアマラソンの先駆者、現ケニア陸連副会長のイブラヒム・フサインの影響力を使ってジェリモらと接触を始めた。まず、ジェリモのバルナバ・コリル マネージャー、サイド・アジズ(36歳)コーチ、ジェリモらに直接電話を入れるが、困ったことにうまく足並みが一向に揃わない。彼らがメディアアレルギーか、取材対応に馴れないのか、なんとなくちぐはぐな感じを受けた。ある日、コーチからジェリモがケイノ競技場で練習に来る予定と聞き、運転手つきの4x4レンタカーで悪路を駆って行ったがジェリモはとうとう顔を見せなかった。そこでコーチが教えてくれたジェリモの出身地に車を駆った。ジョリモの出身地は、カプサベットから南へ25kmのカヨ村に向けて走り、さらに山道を3km奥に入った牧歌的なキプタモク村だ。牧草地に車を止めると、たちまちわれわれは村人に囲まれたが親切に温かく迎えてくれた。水道、電気もない人口は500人の小さな村とか。母屋は新築中だった。運転手が通訳をかってくれ、訪問の意図を伝えた。ジェリモの母親と家族の写真撮影を希望すると、母親が着替えてやってきた。美しい自然を背景に、母親ロダー・ジェプツー・ケテール(48歳)、元警察官の祖父(95歳)、パメラの妹ナンシー(12歳)、ロジャー(12歳)らと一緒に、近所の人を加えた記念写真を数枚楽しく撮影できた。

ジェリモはメディア嫌い

ジェリモの母親の奨めでお茶を頂きながら話した。母親は、「わたしもスプリンターだったが、貧しくて競技を続けることはできなかったが、娘がわたしの代わりにがんばってくれている。娘が北京五輪前太陽発電機を購入してくれたので、村の人たち全員TVの前にかじりついて応援した。決勝レースの日、曇り日で電気が弱くなってしまいもう少しで見逃すところでした」と、娘を誇る満足そうな柔和な表情が良かった。それまでの楽しい話を聞いていると、母親の携帯電話が会話を中断した。母親がしばらく話していたが、その電話をぼくに渡した。電話に出ると、案の定ジェリモからだった。雑音交じりの音声が悪い。早口、「なぜ、村に取材に行ったか!そんな話は聞いていなかった!」と、高圧的な声で喋り捲った。話の途中で電話が切れてから、2度目の電話がかかり、今度はぼくの女性運転手に電話が回った。なぜか、ジェリモはかなり感情的になっていた。すっかり楽しかったひと時が、ジェリモの電話でぶち壊された。

開口一番、インタビューは5分間!

あれやこれやでジェリモに逢うことにすっかり興味が薄れ、明日はここを発つという前日、イブラヒムの計らいでジェリモのインタビュー設定の一報が入った。早速、運転手付きの車を雇って、悪路を飛ばしてカプサベットに正確に到着した。練習の終えたコーチと一緒に、ジェリモを待つこと1時間半以上を経過した。コーチに「あと15分だけ待とう」と、制限時間をを決めた矢先、ピンク一色のパメラ・ジェリモが競技場に姿を現した。われわれの前に来て、開口一番「インタビューは5分間だけ!」と、挨拶もなく高飛車に一方的に言ってきた。
−(この態度にカチンときた)エッ!!たったの5分間!人を待たせること1時間半!いきなり5分間!と、一方的なこんな失礼な言い方はないだろう。もし、5分間が本意ならインタビューをする意味が全くないので、こっちが断りたい! (腰を上げて車のほうを歩き出した。ぼくの剣幕に慌てたコーチが、「チョット待ってほしい」と言いながらジェリモに懸命になにか説得し始めた。しばらくして、ジェリモが渋々ベンチに腰掛けた。ぼくはこのときばかりと話し始めた)

−はじめ、ここにきた意図を正確に言っておきたい。ぼくは陸上競技専門誌の取材者です。あなたはなんの勘違いを起したか知らないが、ここにきた意図は古い知人のイブラヒム、マネージャー、コーチらに充分に説明してあるはずです。ぼくはかれらからあなたに十分な説明がなされたものと解釈していた。キプタモク村を訪れたのも、陸上競技誌のページに必要な選手の背景をチェックしたまで。それ以上でもそれ以下でもない。ケニア国内で、あなたのやっかみからくる中傷が国内で起きたらしいが、そんなものに全く興味はありません。あなたがメディア不審の態度をある程度理解できないでもないが、ケニアを一歩出れば、陸上競技関係者以外にあなたを知る人は、今後はどうか知らないが、少なくとも今は非常に少ないと思う。外国からわざわざ時間と金を掛けて、あなた目当てスキャンダル探しに来る人は、まずいないでしょう。キプタモク村で、あなたがお母さんに電話を掛けてくるまでは楽しかった。あなたのお母さん、近所の人たち皆さんが温かく親切に迎えてくれた。あなたが五輪前に太陽発電機、TVを購入して、村のひとたちに五輪TV観戦できるように計らってやったことなど、お母さんが嬉々として娘を誇る気持ちが伝わってきた。お母さんが電話に出た瞬間から表情が変った。あなたは一方的に早口で喋り捲りまくった。ぼくの運転手までに、「わたしは警察官。あなたをいつでも逮捕できる!」と、全く愚にもない脅しを掛けてきた。先ほども、挨拶も交わさないでいきなり「インタビューは5分間だけ!」こんな無礼な態度に甘んじなければならない理由は全くない。(ジェリモは無表情で無言。これ以上追い詰めることもないので、矛先を変えてコーチにインタビューを始めた)

−いつごろから200,400mから800mに転向しましたか。
コーチ−(コーチはホッとしたように喋りだした)07年ブルキナファソウの首都ワガドゥグで開催されたジュニアアフリカ選手権400mで優勝した後、ぼくのクラブに入ってきた。その時点で、800m転向を奨めました。

−その根拠はなんですか。
コーチ−彼女の400m練習などを見ていると、ストラクチャー、走法、スピード、エンデュランスなどは、800mで最も効果的に存在能力が発揮できると思ったからです。

−ジュニアアフリカ選手権で優勝タイムは。
ジェリモ−54秒ぐらい、コーチ覚えていますか。
コーチ−正確には覚えていません。そんなもんじゃないかな(苦笑)

−ロングスプリントから800m転向の印象はどうでしたか。
ジェリモ−コーチから身体的能力を生かす最適な種目は800mだと言われて納得して転向をしたのですが、それほどの違和感も感じなかった。

−正式に800m転向、練習を始めたのはいつごろからですか。
ジェリモ−本格的な練習を始めたのは、やはり07年12月の始めぐらいですね。

−コーチのグループは中・長距離専門のクラブですか。
コーチ−そうですが、800、1500mの中距離選手が主体です。ジェリモ効果で選手が五輪前38名から今では89人に増えました。

−このクラブは個人的なクラブですか。
コーチ−そうです。わたしは元10000m29分台の選手でした。指導を始めたのが6年前ですが、欧州のような組織が確立したクラブではありません。プロ選手契約のある選手のマネージャー、選手個人の指導で得る報酬以外に収入はありません。

−ジェリモを800m練習を始めた時の印象を覚えていますか。
コーチ−ぼくはジェリモを指導する前から、彼女がここのグラウンドで練習していたのである程度は知っていたわけです。クラブに女子中距離選手は2名しかいなかったので、女子選手は常に男子トップグループではありませんが、男子選手と一緒のグループに入って練習。ジェリモはたちまちかれらと同等に練習を消化するようになりましたね。

−アフリカ選手権選考会が最初の800mレースだったとか、その印象は。
ジェリモ−練習を十分にしたので勝つと思っていました。2分1秒ぐらいで楽勝したので、取り立てるほどの印象はありません。
コーチ−一度も800mレースに出場しなかったのですが、われわれはジェリモの実力は誰もが認めていましたから勝ったのは当然でした。

−しかし、あのマリア・ムトラを押さえてアフリカ選手権で優勝したことが、あなたのターニングポイントですか。
ジェリモ−そうですね。ムトラを破って優勝できるなんて思ってもいませんでしたので、1分58秒70のジュニア世界新記録で優勝したことは、大きな自信になりました。800m転向が成功したことを確認できました。

−欧州第1戦のヘンゲロGPで1分55秒76で優勝するや、11レース目で北京五輪優勝、チューリッヒGLで1分54秒07史上3位の好記録、ブリュッセルGLでジャックポット100万ドル獲得など、衝撃的な成果を上げましたが、どのレースが最も印象的ですか。
ジェリモ−どのレースも初めての挑戦なので新鮮な気持ちで、常にベストを尽くして自分のレースをして結果を出してきましたので、それぞれすべてのレースに強烈な思い出が詰まっています。
コーチ−コーチ指導している私自身が、まさかここまでやるとは予想さえできませんでしたね。

−北京五輪の活躍に続き、衝撃的な100万ドル獲得は、ケニアに強烈なインパクトを与えたとか。人生変わりましたか。
ジェリモ−そりゃあ〜、これまでのように普通の生活は無理です。これまで経験したことがない人からの反応を感じます。メディアは、全く根拠のない捏造記事で書き立てます。不信感は募るばかりです。どこに行っても人の視線を感じ、私自身が変わらなくても周囲の人がこれまでと違った態度を見せます。
コーチ−短期間に大成功したので、来シーズンはやはりいろんな形でプレッシャーを感じます。

−これから頻繁に外国に出るだろうと、外交官旅券を発行してくれたとか。
ジェリモ(笑いながら)−わたしは特別扱いよ。

−他の金メダリスとは破格な扱いですね。
ジェリモ−(無言)

−来季の目標は、世界新記録への挑戦と世界選手権優勝でしすか。
ジェリモ−来季の最大の目標は、連続無敗記録を伸ばして、その延長に世界選手権優勝です。世界新記録への挑戦は、まだ先が長いのでそれほど急ぎません。いつかは競技者として、難攻不落といわれる1分53秒28(注:ヤルミラ・クラトフフィロワ、83年)を破りたいものです。でも、そう簡単なことではありません。調整、大会主催者、ペースメーカーなど、いろんな要素がうまくまとまらないと新記録が出るものではないと思います。

−世界新記録挑戦するためになにが必要だと思いますか。
ジェリモ−コーチの指導、目標に向かって、個人的なディシプリンがこれまで以上に重要なこと。猛練習に耐えてゆかなければならないでしょう。 コーチ−まだそこまで考えていませんが、大きな練習プログラム変更は考えていません。これまで以上に、スピード、スピード+エンデュランスのコンビネーションが大切なこと。

−彼女のポテンシャルは。
コーチ−コーチを始めて1年目。彼女も800mを始めて1年目が終わったばかり。存在能力はとうてい計り知れないものがあるでしょうね。

―室内レースに出場予定がありますか。
ジェリモ−室内を走ったことがないから・・・、多分、ないでしょうよ。(注:この発言から2週間後、プラハで室内レースに出場を発表した)

−最後に老婆心ながら言いたいことがあります。スター選手はトラックの結果だけがすべてではないと言うことです。

 
(08年月刊陸上競技12月号掲載)
(望月次朗)

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