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日本のマラソンファンの皆さんへ
(東京マラソンに出場する現マラソン世界記録保持者、ハイレ・ゲブレセラシエのメッセージ)

日本のマラソンファンは、世界で最も熱狂的と言われます。今回、「東京マラソン」に参加することになり、皆さんと一緒に走ることを非常に楽しみにしています。ご存じのようにエチオピアと日本は地理的に遠く離れていますが、東京五輪マラソンでは優勝したアベベ・ビキラと3位になった円谷選手、メキシコ五輪マラソンではマモ・ウォルデと君原選手が死力を尽くした優勝争いをし、どちらも史上に燦然と残る足跡、名勝負となりました。これらの偉大な先駆者によって、両国関係はマラソンを通じて結びつき、前ハイレ・セラシエ皇帝がアベベを同伴して日本を公式訪問されてから両国の関係は一層深まりました。

わたくし自身、これまでの日本でのレース経験から、いろんな形で大きな影響を受けています。1991年12月15日、18歳の時、海外2度目の遠征が千葉国際駅伝でした。第2区間5kmを13分35秒で完走。アメリカ選手に次いで区間2位の成績を上げました。われわれは良い成績を残すことも大事でしたが、各選手に出場金が出ることを前もって聞かされ、「賞金はホントに出るのか、いくらか」がレース以上に楽しみでした。レース後、渡された封筒を開けてみてびっくり!だれも夢にも思わなかった「$900」(注:エチオピアは世界の最貧国。国民平均1日$1以下の生活だった)のキャッシュ!それは大変な額。あの日の出来事は、今も昨日のように鮮明に覚えています。

実はあのキャッシュが、父親に反対され続けた「プロランナー」への説得力になったのです。あのキャッシュがなかったら、現在のわたしがなかったかもしれないターニングポイントでした。

2度目の来日は1995年9月15日。イエテボリ世界選手権10000m2連覇を果たし、チューリッヒGP5000mで12分44秒30の世界新記録を樹立した直後、「スーパー陸上」大会5000mに出場した時です。この頃から在エチオピア日本大使館から、恒例の天皇誕生を祝うレセプションに招待を受けるようになり、以後、天皇誕生日を祝福しています。3度目の来日は前橋で開催された室内世界選手権1500,3000mで2冠を獲得した時です。シーズン開幕前に右足のアキレス腱を痛めてしまい、激痛に堪えながらのレースでした。この選手権1500mの3分33秒77は現在でも大会記録です。3000mは、シドニー五輪5000mで優勝した同僚のミリオン・ウォルディと1,2位を独占しました。4度目が06年の福岡マラソン。福岡マラソンは世界でもトップクラスの伝統あるレース。スタートから沿道に観客が途切れることがなく熱狂的な応援。まるで競技場内で走っているような感覚です。2時間6分52秒、わずか1秒差で国内最高記録更新はならなかったのですが、ホント!勝って良かった。ベルリン、福岡の連勝で自信を取り戻し、マラソンランナーとして復活。その後、2度の世界記録を更新できました。ぼくにとって、日本は幸運をもたらす特別の国です。昨年、NYマラソンで起きた引退騒動ですが、世界中の人たちから暖かいメッセージを送られ勇気付けられました。NYは4分台のシェイプだったのに、足の故障で途中棄権。一時的な感情のもつれを制しきれず、『引退!』と口にしてしまったわけです。たくさんの人にご迷惑をお掛けしたことを申し訳なく思っています。あれから4カ月、東京マラソンは復帰後の再起レースです。アンゴラの10kmロードに出場、真夏のレースで35度と暑く、きついレースだったのですが28分04秒、大会記録を1分ほど更新。その後、東京に向けての調整も順調です。

走るたびに世界記録を期待されても困ります。世界記録はそう簡単に出るものではありません。東京で気象状況さえ良ければ、大会記録2時間7分23秒更新と優勝を狙います、と言っておきましょう。ひざは完璧な状態に回復しています。これまで2度の五輪、世界選手権前、信じられないような足の故障を奇跡的に克服してきました。20年近く世界の長距離、クロカン、ロード、マラソントップ選手として現役を続けていますが、「運」がなければ不可能なことです。わたくしの1日は、6時の起床、朝練から始まり、9−5時まで昼食を挟んで会社務め。貸しビル、ホテル、建築会社、銀行、車「Hyundai」の輸入元、学校、Great Ethiopia Run10kmレース主催などの会社では700人以上を雇用。夕方はジムでの練習を約2時間行うのが日課です。これは長年続けている、毎日の基本的なスケジュール。よほどのことがない限り変えることはありません。「走る」ことがわたしの「原点」です。

マラソンの真価が問われるのは、35kmを過ぎてから。この勝負所に3つの橋を渡る起伏ある難コースとか。率直に言って走ってみなければわかりません。ぼくはレース前、コース下見をした経験がこれまで一度もありませんので今回もしません。本物のレースはスタート後。マラソンはなにが起こるか予測が難しい。レースは常に流動的な「生き物」です。シュミレーションは役に立たないとは言いませんが、あくまでも卓上作戦です。レースは常に流動的でそれに応じた対策が必要です。状況に応じた正確な判断、的確な対応を素早くとることが必要でしょう。実際レースが始まらなければ、作戦を立てたくとも、立てようがありません。レース中の競争相手の表情、走り、レースの流れ、自分自身の調子、気象条件、コースなどをしっかり判断することが重要です。伝統ある長距離王国エチオピアの代表、現マラソン世界記録保持者として、だれよりも復活の走りを私が強く望み、ベストで走ることが使命だと思っています。

ロンドン五輪まで1年半以上もあります。東京マラソン後のスケジュールは、4月17日ウィーン10km、5月マンチェスター・ハーフマラソンの出場が決まっています。今秋のマラソンは未定ですが、ロンドン五輪5回連続出場を狙っています。多分、長距離選手では史上初めてでしょう。それもまたおもしろいチャレンジですが、種目は10000mかマラソンか、現状では全く白紙状態です。近年、世界のトラック選手不足。これなら10000mにメダル獲得チャンスがあるのでは・・・、と楽観的です。マラソンではチャンスがあれば、2時間3分そこそこの世界記録の挑戦を考えています。その先はマスターズの長距離、マラソンか。政界進出にも興味がありますが・・・、まだまだ未定の話です。

最後に、東京マラソンとわたしが主催するGreat Ethiopia Runとなんらかの姉妹提携を結びたいと考えています。Great Ethiopia Runは、2001年から始まり、エチオピアの首都アディス・アベバ市内の10kmレースです。世界各地から3.5万人が参加するアフリカ最大のロードレースに成長しました。わが国は、「シバの女王」の時代から存在するアフリカ大陸でも最も古く、独自の文化を持つ国です。世界遺産の「ラリベラ」の岩を掘って作られた中世の教会群など、観光も十分に楽しめるとも思います。ぜひ、エチオピアにお越しください。日本からの参加を大歓迎します。

2月1日、アディス・アベバにて
ハイレ・ゲブレセラシエ

 
(2011年月刊陸上競技3月号掲載)
(望月次朗)

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