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第39回世界クロスカントリー選手権大会
日本ジュニア女子団体、2年ぶり18回目の銅メダル獲得

第39回世界クロスカントリー選手権大会が、南スペインの大西洋に面したポルトガル国境に近いプンタ・ウンブリアで開催された。日差しは真夏を思わせ、体感気温は25度を超えていただろうか。今年もケニア、エチオピアらの選手が男女ジュニア、シニア4種目で熾烈なライバル、先陣争いを演じた。昨年、ケニアが全8種目で完全優勝を果たしたが、シニア男子でイマナ・メルガ(エチオピア、23歳)が、最後のスプリント争いで懸命に追う5人のケニア選手を振り切って圧勝。最高峰のレースをエチオピア選手が、2年ぶりに制して面目を施した。シニア女子は、世界の長距離トップ選手のヴィヴィアン・チェルイヨット(ケニア、28歳)、リネット・マサイ(ケニア、22歳)が1,2位を分けた。次いで、トラック選手からマラソンに転向したシャラネ・フラナガン(アメリカ、30歳)が3位に浮上した。

日本ジュニア女子が大健闘して2年ぶりに団体銅メダルを獲得する明るいニュースをもたらした。沢木専務は、「一時は東日本大震災の影響で、大会の棄権も考慮したが、ジュニア女子が頑張った」と朗報に喜んだ。また、ジュニア女子個人成績で、11位に菅華都紀(興譲館高校、2年)、12位に木村友香(筑紫女学園高校1年)、シニア女子で26位に新谷仁美(豊田自動織機)が入るなど女子選手の活躍があった。かつて欧州選手が強く欧州クロカンが隆盛を極めたのは昔のはなし。近年、アフリカ選手が強すぎ、地元選手が全く対抗できなくなったため、次々と欧州名門クロカン大会が廃止。クロカンがジョギングブームでロードレースに代わり、さらにマウンテンレースが急激に大衆化されてきたのが現状だ。世界陸連は、世界クロカンを招致しようとする立候補都市が不足してきたため、来年から世界クロカンの隔月開催を決定した。

ジュニア女子
6000m(2000mx3周、92名参加、11:30スタート)

コースは陸上競技場をスタートし、すぐに松林に入る。最大高低差最大8.5m。終盤に起伏が激しい箇所がある。1か所に障害物の丸太が3本置かれている。芝生が敷いてあるが、ところによっては砂があるために柔らかい。コースに沿って観客が満員。盛り上がった雰囲気のある大会だった。優勝は、最後の200mのホームストレッチで決着。1秒僅差で逃げ切ったファイス・キプイェゴン(ケニア)が18分53秒で優勝。2位はジェネット・ヤリュウ(エチオピア)、同タイムで3位に甘んじたアゼムラ・ゲブル(エチオピア)らがメダルを獲得した。優勝したキプイェゴンは、「レースは非常にきつかった。しかし、優勝がすべてを忘れさせてくれます」と喜び、2位のヤリュウは、「レースの大半は先頭に立ってリードした。2位になって優勝はできなかったが、昨年よりは良い成績なので満足している」。3位のゲブルは、「われわれは上位3位独占を狙ったが、ケニアに1位を奪われて残念。でも、団体優勝したので良かった」と話した。

この種目でアフリカ勢に対抗できるのは日本選手ぐらい。それでもケニア、エチオピア選手との格差は明らかにある。ケニア、エチオピア選手以外でトップは12位の菅華都紀(興譲館高校2年)、続く13位に木村友香(筑紫女学園高校1年)らが入ってきた。他の日本選手の成績は、23位に小ア裕里子(成田高校2年)、26位に横江里沙(須磨学園高校1年)、30位に渋谷璃沙(花輪高校3年)、34位に吉田夏実(仙台育英高校2年)が入った。

団体優勝はエチオピア、2位にケニア。3位の日本は74ポイントで2年ぶり18回目の銅メダルを獲得した。

銅メダルを獲得したメンバーの喜びの声
・菅華:観客の声援がすごく良かった。抜いても、抜いても前に選手がいました。
・木村:前のケニア、エチオピア選手らを追って走った。
・小崎:国籍に関係なく観客が大声で、ときには日本語で応援してくれた。
・横江:日本語の応援など、観客の応援が楽しかった。
・渋谷:始めての国際大会で良い経験ができました。
・吉田:震災の時は千葉で合宿中。家に帰っていません。1日中電話がつながらなく心配しました。実家、学校も震災を受けたのですが、人的被害はありません。電話で両親が心配しないで頑張ってこいと言ってくれました。日本選手最下位でも出場できて楽しかった。

ジュニア男子
8000m(2000mx4周、110名参加、12:00スタート)

スタートからジョフレイ・カムウォロー(ケニア)が先頭に立ち完全にレースを仕切った。最後まで余裕ある走りを見せて2分21秒で優勝。2位に6秒の大差をつけて力の違いを見せた。今後の成長を期待したい。2位にトーマス・アイェコ(ウガンダ)、3位にケニアのパトリック・ムウィクヤが入った。優勝したカムウォローは、「勝ってうれしい。コースはきつかったが、非常に美しい。天候も良かった。大勢の観客が応援してくれた」と大喜び。2位のヤリュウは、「6km地点から本格的なレースが開始された。優勝を狙ったが、相手が強すぎた。」。3位のムウィクヤは、「レースはきつかったが3位になって嬉しい」とホッとした様子だった。日本選手では、アフリカ選手以外では2名のアメリカ選手について3番目、全体で33位の久保田和真(九州学院高校2年)が日本選手ではトップ。続いて36位に市田孝(鹿児島実業高校3年)、37位に八木沢元樹(那須拓陽高校3年)、42位の服部勇馬(仙台育英高校2年)、43位の有村優樹(鹿児島実業高校3年)、46位の横手健(作新学院高校2年)らが続いた。

日本は148点で団体7位に終わった。

シニア女子
2000mx4周、104名参加、12:45スタート

ケニアチームは、世界長距離トップ選手、五輪、世界選手権メダリストをずらりと配列。上位独占と団体優勝を狙ってきた。一方、ライバルのエチオピア勢は、五輪および世界選手権金メダリストのティルネシュ・ディババ、メサレット・デファーらが故障で欠場。メセレッチ・メルカムは出場するが、今年からシニアで出場するジュニアで活躍したディババ姉妹の末っ子ゲンゼベでは、ケニア勢に対抗するには駒不足。それでもスタートから若いゲンゼベ、H.W.アヤリュウ、オルジラらが積極なレース展開を試みたがそれも2周目まで。3周目から先頭集団はチェルイヨット、マサイ、チェロノのケニア勢。その背後にメルカム、白人選手でただ一人、北京五輪10000m3位、昨秋初マラソンのNYで2位のシャレーン・フラナガン(アメリカ)が併走。ペースアップして先頭集団を構成し、実力者たちの本格的なレースが始まった。小柄なチェルイヨット、細身で長身のマサイの対照的な走り。数歩遅れてチェロノ、メルカム、フラナガンらが後を追う。最終ラップでは、チェルイヨット、マサイの2人と第2グループとの差が徐々に開く。優勝の行方は、ほぼこの2人に決定。小柄なチェルイヨットは、終盤の平坦なコースから2度大きく上下する起伏でわずかにリード。3本の丸太の障害物も難なく超え、満を持して猛烈なダッシュを仕掛けた。残り200mでマサイとの差を広げ、諸手を上げて笑顔でテープを切った。優勝タイムは24分58秒。2位のマサイに9秒の大差を付けた。3位はフラナガンで25分10秒だった。念願の優勝を決めたチェルイヨットは、「やっと念願が果たせた。これまで世界クロカンショートコースで3回とも8位だった。世界クロカンでメダルを獲得することができて大変に嬉しい。勝てるチャンスはあると思った。次回も勝ちたい。マサイも2位になって大変に嬉しい。彼女は練習パートナー、競技を離れても友達です。団体優勝もできて、完璧に目的を果たした」と語った。2位のマサイは、「わたしの目的は勝つことだったが、またしても2位で残念。でも、優勝者は友達で練習パートナー。こういうときもありますね。コースは美しく、非常に気に入った。観衆の応援は素晴らしかった」。3位のフラナガンは、「レースは最初からハイペースできつかった。トップ集団についていったがこんなきついレースはあまり経験がない。疲れた。団体3位になって、チームメートを誇りに思います」と結んだ。

日本選手トップは、26位に入った新谷仁美(豊田自動織機)。次いで33位の田中華絵(立命館大学3年)、38位の清水裕子(積水化学)、53の位小俣后令(積水化学)、76位の桑城奈苗(シスメックス)、85位の五十嵐藍(シスメックス)の順だった。日本は団体で160点、7位に終わった。



シニア男子
2000mx6周、123名参加、13:40スタート

3年連続して世界クロカン5連勝を果たした史上最強のケネニサ・べケレ(エチオピア)が今年も右足の故障で不在。レース前の下馬評では、エチオピアより粒の揃ったケニア勢有利が予想された。昨年の世界クロカン優勝者、ジョセフ・エブヤは国内選考でもれたものの、若手のポール・タヌイ(20歳)、ヴィンセント・チェプコック(22歳)、マシューウ・キソロ(21歳)、マラソンで2時間4分55秒のジェフレイ・ムタイ(29歳)、フィレモン・リモ(25歳)、ホセア・マチャリンヤング(24歳)らが出場。全員が優勝を狙ってくる強力な布陣だ。スタートから恐ろしくハイペースのレースが展開された。エチオピア、ケニア、ウガンダ、エリトリア、元ケニア国籍のバーレン勢が横一線に並んだ。周回を重ねるに従って、トップ集団は高速レースに振り落とされて数が減って行く。エチオピア、ケニア勢とウガンダとバーレン選手が各1名ずつぶら下がっている。

残り1周になると、1周目からトップ集団の中央にポジション取りしたイマナ・メルガ(エチオピア)、ディノ・セフィル(エチオピア)、6名のケニア勢、ステファン・キプロティッチ(ウガンダ)、アリ・ハサン・マーブーブ(バーレン)らが虎視眈々と走る。丸太の障害物を超えると同時に猛烈なダッシュ。最後のコーナーを右に曲がると、ゴールまで200mの直線。09年ワールド・アスレティック・ファイナル5000mで優勝。昨年急成長したメルガは5000m12分53秒58のスピードランナー。瞬間的にメルガはケニア勢との差を大きく開けて33分50秒で初優勝。世界クロカンで最も重要な種目で、2年ぶりに世界チャンピオンの栄冠をエチオピアに取り戻した。2位から5位にはケニア選手が入った。メルガは、「抜きんでて強い選手はいなかったので、トップ10人全員に勝つチャンスがあると思った。優勝争いに残ったのは4人のケニア選手と自分だったが、最後のスプリント争いでは勝つ自信があった。勝って本当に良かった。優勝の喜びをエチオピア国民と分かちあいたい」。2位のタヌイは、「暑すぎた。足元が不安定なコースだった。2位になって嬉しいが、優勝がエチオピア選手では素直に喜べない」。3位のチェプコックは、「高いレベルの高速レースだった。楽しいレースができた」と結んだ。団体優勝はケニア。2位がエチオピア、3位ウガンダで、日本は266点で14位に終わった。

沢木専務は「日本選手が、アフリカ勢が得意とする世界クロカンで40位以内に食い込むことは非常に難しい」と言っていたが、46位に田村優宝(日本大学1年)が入った。また、日本国内クロカンで強かった鎧坂哲哉(明治大学3年)はレース中に足首を捻挫して後退し、日本選手最下位の86位の不本意な成績だった。50位に高林祐介(トヨタ自動車愛知)。84位に早川翼(東海大学2年)が入った。なお、佐藤悠基(日清食品)は欠場した。

沢木専務談

東日本大震災のため、日本陸連は一時世界クロカンへの派遣中止を考えたが、最終的に派遣を決断した。未曽有の巨大な災害で、直接、間接的に国民全員が強い精神的なダメージを受けている非常事態です。日本が一刻も早く再興できることを願っています。わたしも大震災の時、来日していた世界陸連ディアック会長との会合も急きょキャンセルする事態に遭遇しました。ディアック会長の提唱で、開会式では災難を受けた総ての人たちに1分間の黙祷が捧げられた。この状況の中でジュニア女子選手が頑張り、個人ではアフリカ選手以外でトップの11位に食い込んだ菅華都紀、12位の木村友香選手らの活躍があった。2年ぶりに団体3位になった快挙は非常に喜ばしく、明るいニュースを日本に送ることがでた。近年、世界クロカンでアフリカ勢を相手に、日本選手が40以内に入ることはなかなか難しくなった。その中で、シニア女子の新谷仁美選手が26位と健闘したのは立派だった。また、最終種目のシニア男子は、国内で好調だった鎧坂選手がレース中に足首を捻挫してしまい、本大会に調子を上げてきた田村選手も46位に終わった。日本選手には今回のさまざまな遠征経験を生かして、今後も努力をしてほしい。



 
(2011年月刊陸上競技5月号掲載)
(望月次朗)

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