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ロンドンマラソン
赤羽、2度の震災を超えての自己新記録

赤羽有紀子(ホクレン)は、名古屋国際出場予定だった選手とは別格の招待選手として出場。急遽代替え選考会になったロンドンに招待された選手は野尻あずさ(第一生命)、藤永佳子(資生堂)、那須川瑞穂(ユニヴァーサル)、中村友梨香(天満屋)、扇まどか(十八銀行)、藤永佳子(資生堂)、重友梨佐(天満屋)、松岡範子(スズキ浜松AC)らの7選手だった。

当然、日本選手は日本人トップ争いに焦点を集中、テグ世界選手権代表の座を虎視眈々と狙ってきた。赤羽は大阪国際で優勝、世界選手権代表の座はほぼ確定していたが、やはり日本選手に負けるわけにはいかない。日本選手全員がハーフを71分通過で設定した第2グループ。日本選手はアジア大会優勝の中国選手やイリナ・ミキテンコらを含む大きな集団で5kmを16分35秒で通過。10kmを33分21秒で通過後、11位と順位を上げてきた野尻が積極的に第2集団を引っ張る。赤羽は14位、荻、那須川,松岡,藤永らが続くが、この時点ですでに期待された中村は20位以下に脱落した。トップ集団はハーフを70分37秒で通過。第2集団は12位の赤羽が先頭で、設定より遅れた71分27秒で通過。野尻は14位に後退、扇、松岡、藤永、ミキテンコらが同タイムで続いた。

25km手前から、赤羽がスピードアップ。11位に順位を上げて第2集団の日本勢と徐々にギャップを広げた。赤羽は20−25kmの5kmスプリットを17分03秒。落ちてきたジェシカ・オーガスト(ポルトガル)らと並走。赤羽は30kmを1時間41分36秒で通過。25−30kmスプリットタイムは17分14秒でわずかにスピードが落ちた。落ちてきたエチオピア選手らを拾い、順位を9位に上げてきた。藤永の通過タイムは1時間42分14秒で13位、野尻は1時間42分15秒の14位争い、その背後に松岡が続いている。

赤羽は30kmを過ぎて7位に順位を上げた。藤永が12位、わずかにリードを奪って13位の野尻と争っている。この2人で世界選手権代表の座の攻防。赤羽は2時間16分15秒で40kmを通過。順位を6位に上げてそのまま2時間24分09秒の自己新記録で昨年に続き6位、日本人トップでゴール。この瞬間、赤羽の世界選手権代表は決定的になった。

30kmを通過後、熾烈な代表選考を掛けた藤永が12位に順位を上げ、14位に後退した野尻に4秒差を付けた。35km地点通過ではさらに両者の差が11秒に広がった。しかし、野尻は競技歴が浅いがインカレノルディック種目で優勝した脚力を生かして、土壇場で藤永を抜いて自己記録を3分ほど更新した2時間25分29秒で12位。13位の藤永も自己記録を3分近くも大幅に更新したが、終盤になって野尻に逆転を許し無念なゴール。

赤羽談「ニュージランドのクライストチャーチで地震に遭遇。この時は昼食後だった。部屋に帰ってこれから休もうと思っていた時、地震がきました。部屋にいては危険だと思ってみんなで外に飛び出すと、道路に割れ目が走って、液状化した道路を目にしました。正直言って怖かったですよ。合宿を早めに切り上げて帰国し、ようやく状態が良くなったころの徳之島での合宿中(3月2日〜3月25日)に東日本大震災に遭遇。短期間に2度の地震を受けたので大ショックでした!栃木県の芳賀郡芳賀町の自宅は、もちろん津波の被害はなかったのですが、1日中電話が繋がらず、やっと次の日に連絡がついたことで一安心したのですが、地震で家じゅうの壁に亀裂が走り、総ての家具などが倒れました。そして、今度は原発事故で放射能が怖くて、姉のところに預けた4歳の娘のことが心配になり数日間は練習に集中できませんでしたね。そこで夫(周平)が連れに行ってくれて手元に置くことで、落ち着いて練習に集中できるようになりました。その後、3月26日から4月12日のここにくる直前まで奄美大島で合宿。

レース後、「昨年と順位は同じですが、自己記録を更新したのでまあ、良かったですが、欲を言えば24分を切りたかったですね。前半は走りやすかったのですが、途中で切れそうになり…、71分通過設定のハーフが71分半ぐらいかかってしまったのですが、後半も頑張れました。世界選手権では、暑さ対策を夫と考え、五輪出場をテグで決められるように頑張りたいと思います。」夫の赤羽周平さんは「クライストチャーチ、東日本大震災の2度の災害を乗り越え、原発で子供の心配、家が破壊されて精神的にかなり緊張した状況の中で良くここまで頑張ったと思います。また、奄美大島の合宿中のロンドンにくる10日前、足の甲に痛みがあったのでレントゲンを撮った結果、骨折は見られなかったのですが、あのまま練習を続行したら、多分、疲労骨折が起きる状態だったので大事を取って休養。ここにきても少しの痛みが残ったのでレース数日前まで出場か欠場かの迷いがあった。最終的に、彼女の意思を尊重して出場を決めたような状況でした。いろんな事態が連続して起きた状況の中で健闘、我々にできることは微々たることかも知れませんが、日本に少しでも活気が戻るよう、スポーツを通じて復興活動に協力したいと考えております。震災からの復興と原発の問題で日本はこれからが本当の戦いだと思います」

山下監督(第一生命)談
「野尻が予想以上の粘りで2時間25分29秒、自己記録を3分近く短縮したのは立派ですね。順位より記録が大事。中盤できつくてズルズル落ちたが、ひ弱さがなくなったのは評価できる。走りも良くなって、後に足が流れなくなったのも成長してきた証拠。あれだけ練習がしっかりできているので、これからの課題はスピードでしょう。これまで練習熱心で、伸びしろのある子ですからこれを機に大きく伸びて欲しい。研究熱心で、わたしより知識のある子ですよ。これから尾崎と2人を見なければならないので・・・、大変なことになる」

武富監督(天満屋)談
「惨敗です。中村は良くなった。一度切れた後に短期間で本気になって集中的に練習ができたのは、この1か月間でわずかに2週間でしょうか」

野尻あずさ談
「最初の5kmをゆっくり入る気はなかったが・・・、もう少し早く入ったほうが良かった。中盤で日本選手集団のトップに立って引っ張ったが、気持ち良く流れていいリズムだったので前に出た。ペースメーカーになることをも気にならなかった。赤羽さんを追うことはしなかったので、30kmの給水で藤永さんが前にいると知っていたし、35kmで藤永さんと11秒ぐらい離されていることも知っていた。焦ることはなかった。感覚としてはペースが落ちたとは思っていませんでした。終盤に粘ることもできたし、最後はなんとかまとめることもできたと思います。22分台を目標にしました。名古屋国際より1か月のずれが起きたんですが、モチベーションを切らさずにやってきました。」

藤永佳子談
「自分のペースで20km通過してから前に出たんですが、30kmを過ぎると予想外に足に来てガタガタ。こんなに動かなくなるのは初めて。沿道で日本人や地元の人たちが応援してくれて力になった。野尻さんに抜かれた時は、全く対応できなかった。今現在、精いっぱいの力でした。入社した時から、世界選手権出場が目標でしたが、改めて最後まで走って自己最高記録を更新できたのは良かった。ここで走るチャンスを与えてくれたことに感謝します。」

松岡範子談
「今日は初めてのマラソンだったので、コースも良く知らないし、日本選手に離されないように。でも、なんだかわけのわからない前半でした。とりあえずついて行こうかと言ったカンジ。自然の流れに任せました。タイムとか順位とか考えずに、どこまでやれるか行けるとこまで。後半の10kmはきつく、最後の5kmは足に来ましたね。初マラソンでの2時間26分54秒は、みんなから良くやったと言われました。」

 
(2011年月刊陸上競技6月号掲載)
(望月次朗)

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