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欧州選手権史上初のスプリント3冠王、クリストファ・ルメートレ
黒人選手以外で初のサブ10達成

昨年シーズン、20歳の大学生クリストファ・ルメートレ(フランス、20歳)の一挙一動がフランス国内で大変な騒ぎだった。かれの記録云々よりも、見方を変えれば、スプリントで白人が黒人選手に対抗する劣等感の裏返しとも見られるが、黒人以外で初の10秒の壁を突破した歴史的な快挙だった。100m「サブテン」は、スプリント王国のアメリカやジャマイカでは話題にもならないタイムだろう。本来の競技そのものの争いよりかなり的を外れていたような印象を受けた。シーズン開幕前からルメートレはメディアの重圧にさらされながらも、9秒98のフランス新記録を樹立。世界史上72人目のサブ10スプリンターになった。昨シーズンサブ10を3回、最終的にフランス記録を9秒97に短縮、世界ランキング11位だった。200mはフランスタイ記録の20秒16、世界ランキング12位。08年世界選手権ジュニア200m、09年欧州ジュニア100mでそれぞれ優勝。シニアになって最初の年、10年バルセロナで開催された欧州選手権で史上初の100、200m、4x100mリレーのスプリント3冠を達成。白人ボルト2世と呼ばれるゆえんだ。その活躍が認められ欧州陸連から年間最優秀選手賞、2010年フランススポーツ大賞を獲得するなど、国内外スポーツの注目を一身に集めた。今年の3月パリで開催した欧州室内選手権で3位になったものの、屋外シーズン2戦目のクラブ選手権100mで早くも10秒08を記録。今季の活躍に期待が掛る欧州白人スプリンター第一人者をスイス国境に近い山に囲まれた湖畔の保養地のエックスレバンにある競技場に訪ねて今季の抱負などを聞いた。

アルプス山中の保養地

パリからTGVで約3時間。海抜は230mぐらいしかないが、大気が澄んでいるためか陽の光は高原並の肌を差す強さを感じる。エックスレバン市は、リヨン市に近いアルプスの山に囲まれた美しい湖畔にある閑静な街だ。目的の「スタッド・ジャック・フォレティエール」を探しだすのはいとも簡単だった。ルメートレへの取材申し込みは、パリにある事務所がの練習に支障をきたさないように統制をしているため、数週間前からしっかり選手、コーチの承諾を得なければならない。同行したフランス人同業者の友人の説明によると、子供たちの陸上競技教室から、クラブを代表する国内トップ選手らが一緒になって施設を共有するのは典型的なクラブ練習の雰囲気だという。とにかく楽しそうでにぎやかだ。ルメートレは恋人と手をつないで一緒に競技場に姿を現した。一人ひとりに握手。さらに親しい人には両方の頬に数回ずつキスしてゆっくり挨拶を交わすのがフランス流の礼儀。この挨拶がなければなにごとも始まらない。半世紀を超えるスプリントコーチ経験を持つピエール・カラッツ(71歳)が自転車でやってきた。かれに会って意図を伝えた。すでに話が伝わっているらしく、コーチは練習中好きなように撮影してよいと許可してくれた。カラッツコーチの指導で、17:30から19:30まで流れるような練習が進行した。コーチが「練習を終えたので好きなように話すが良い」と言ってルメートレを紹介してくれた。練習後、スタンドで話を聞いた。

‐体調がおもわしくないとコーチから聞いたが。
ルメートレ‐先週から喉がちょっとおかしいだけです。

‐屋外シーズンが開幕したばかりだが、現時点で昨季と比較しての違いを感じるか。
ルメートレ‐冬季練習を故障もなく消化してきたので、練習中の走っている感じ、コーチが取るタイムを比較しても、いろんな局面で成長を感じている。今季に向けてあれだけやったんだから、地力がつかないはずがないと思っています。

‐冬季練習は地元で欧州選手権が開催されたので、それ相応にいつもより練習が多かったのでは。
ルメートレ‐そうでもなかったが、やはり地元開催だったのでピークを大会に合わせた。勝ちたかった。それが予選、準決といい走りができたのに、決勝で悪かったのはなぜか良く分からない。多分、スタートが少し悪かったかのかもしれない。決勝ではわずかなミスが致命傷になる。メダルを獲得したのは嬉しいが、同時に優勝できなかったので大変に残念だ。勝てるチャンスに勝てなかったのは・・・、大きな悔いが残る。まあ、それもイイ経験ですね。

‐昨季、白人最初のサブ10、欧州選手権史上初の3冠を獲得、非常なプレッシャーの中で期待以上の結果を出した。
ルメートレ‐白人最初のサブ10とか、メディア好みですが現実に黒人選手が圧倒的にこの種目で強いが、人種によって才能の差がそれほどあるとは思っていません。とにかく昨年は、ぼくにとってプレッシャーも凄かったが、素晴らしいシーズンだった。レース出場のたびにサブ10を期待され、メディアの注目を浴びてきたし、欧州選手権ではぼくの予想以上の3タイトルを獲得でき素晴らしい体験をすることができた。

‐昨季、サブ10を3回記録、コンチネンタルカップ100mにも優勝。フランス国内スポーツ大賞をはじめ、欧州陸上競技年間最優秀選手賞を獲得するなど、独り占めするような活躍だった。
ルメートレ‐該当する選手はほかにもいたのに…、ちょっと予想外だったので大変に嬉しかった。

‐人生変わりましたか。
ルメートレ‐いや、根本的な変化は全くありませんよ。周囲はぼくを見る目が違ってきたようだが、ぼくは過去の結果に満足して固守するような性格を持ち合わせていないので、前向きに今季は世界選手権、来年は五輪に向かっての長期的な視野を持って練習に集中しています。

‐プレッシャーをどのようにして克服してきたか
ルメートレ‐特別なことをしたからではありません。日常生活から平常心でやってきました。自分のペースをキープすることができたからだと思う。ここは田舎なので静かに練習に集中できる環境にある。家族、学校、クラブ、練習仲間、コーチなど素晴らしい練習環境と仲間がいる。サブテンをいつ切れるかメディアの大きな注目だったが、手に届く距離にいて自分では遅かれ早かれ破るチャンスが来ると確信していたので慌てもしなかったし、プレッシャーも他人が考えるより怖くはなかった。

‐今季、100,200mでどのぐらいのタイムを予測できるか。
ルメートレ‐100mなら9秒90−92ぐらいに持って行ける気がするし、もちろん9秒90を切ることができれば最高だがそんなに欲張ることはしない。200mは19秒台に突入できると思う。

‐昨年のパリDL100mで両脇にウサイン・ボルト、アセファ・パウェルと並んでレース経験があります。今季はどの程度彼らに対抗して近づけると思いますか。
ルメートレ‐あのレースは全然歯が立たなかった!ボルトは9秒84、パウェルが9秒91、ぼくが10秒09だった。正直言って、今年も彼らと互角に勝負できるとは思っていません。昨季より少しは成長したと言っても、まだまだ実力差はかなりあります。今季、最初のテストケースがローマDL100m、ローザンヌDL200m、モナコDLはまだ決めていませんがかれらと一緒に走るので結果で証明するしかないでしょう。 

‐昨年、200mで20秒16のフランス記録とタイで走っている。やはりサブ20に手が届くタイムだと思うが、200mを走る回数が少ないように見えるが特別な練習はしないのか。
ルメートレ‐100mの延長が200mだと考えているので200mの練習よりは100mをしっかり走ることによって200mの記録は伸びると考えています。まあ、ときには長い距離を走ることもしますが・・・。

‐コーチはあなたの身体的な素質、身長、体重など ボルトに比較しても総ての面で遜色のない素材だと言っていますが。
ルメートレ‐ボルトはぼくより一回り大きい。コーチは無理してまでも素質を急激に伸ばそうとは考えていません。一歩ずつ、確実にレベルアップするようにしています。

―どんなところが昨年との違いですか。
ルメートレ‐昨年よりパワーがつきスピードがついたように感じます。あとはレースで結果を出すことです。

‐欧州の白人ボルトと言われて比較されるのをどう思いますか。
ルメートレ‐まだまだ、ボルトのレベルには達していません。ぼくは発展途上選手。好意的に、欧州を代表する大きな期待をされていると考えています。

‐もちろん、今季最大の目標が世界選手権の活躍にあると思うが、100,200mの両種目で自分の力が世界レベルでどこまで通じると思いますか。
ルメートレ‐前回のベルリン世界選手権は19歳の時。100mを第2次予選でフライングを起こして失格したが、非常にイイ経験になったと思います。しかし、今回は欧州チャンピオンの肩書で出場。世界中の期待、注目があると思います。それは大きな刺激、モチベーションにもなります。楽観的に考えれば、どちらかと言えば200mの方がメダル獲得のチャンスはあるのではないかと思っています。今回からルールも変わり予選、準決勝、決勝と3本になったので、鍵は準決勝の走り、組み合わせも大きく影響します。100mの準決勝を通過すれば、しっかりチャンスをものにして表彰台に上りたいですが、現実はかなり厳しいと思いますよ。

‐しかし、あなたは天性の勝負強さの持ち主。
ルメートレ‐天性かどうか知らないが、出場するレースは国際レースであろうが小さなレースであろうと常に全力疾走して、総てのレースに勝ちたいし、人一倍負けず嫌いの人間なんで結果に強く執着します。

‐学生との両立は大変ですね。
ルメートレ‐シーズンに入るとかなりキツイ時もありますが、うまくバランスを取るようにしています。

‐期待しています。

インタビューを終えると彼女と手をつないで駐車場に向かった。大きな身体を折り曲げるようにして、ブルーの小型車の運転手の隣席に窮屈そうに座り込んだ。

パリ郊外で行われた「インタークラブファイナル」と呼ばれる国内トップクラブ対抗戦があった。ルメートレは100mに出場、圧倒的な強さ10秒08の好記録で圧勝。レース後、「少しの追い風があったが、この時期に10秒08で走れたことに満足している」と好感触を得たようだった。続いてローマDL100mでウサイン・ボルト、アセファ・パウェル(ジャマイカ)らを相手にどのようにして走るか聞かれて「今季最初のテストレースが楽しみだ。自分の習得した技術、冬季練習の成果を世界トップ選手と走ってテストできればよい」と短く応えていた。

その1週間後、ローマDLレース前の記者会見でウサイン・ボルトが「クリストファは数年後に世界のトップ3のスプリンターに成長するだろう」と言わせた。昨年パリDL100mに出場したルメートレは、ボルト、パウェルらにいとも簡単にあしらわれ、遅れること距離にして2.45m。今年もローマDLで昨年同様にボルト、パウェルらの後塵を拝したが、その差は優勝したボルトにわずか90cmの差に接近した3位。著しい進歩を証明した。クリストファは「80mぐらいまでボルトに食いついて走れた。これは大きな自信だ。この時期10秒00は予想以上のタイムで驚いている。シーズンが深まるに連れてかなりの記録が出るだろう」と両手を開いて「10秒00」を示してニッコリした。今季のルメートレは楽しみだ。

ピエール・カラッツ(71歳)

「このクラブでスプリントコーチをやって半世紀。わたしの家は競技場から200m離れたところにある。これまで数えきれない選手をコーチしてきたが、クリストファは特別な才能を持った別格の選手。そもそもかれとの出会いはわたしの友人が「凄い才能を持った子供がいるのでコーチしてくれ」と言われたことから始まった。田舎のスポーツ祭典で15歳の子供が50mを6秒08で走ったと驚いていた。忘れもしないある日、友人がクリストファを連れてきたので走らせてみたら100mを11秒46で走った。今度はわたしが驚いた。それ以来かれをコーチしている。08年は本格的に陸上競技の練習を始めて2年。わずかに週3回の練習だけでジュニア世界選手権200mで優勝。09年は練習日を週に4回に増やし欧州ジュニア100mで優勝。10年にやっと20歳になったので練習を週5回に増やした結果、バルセロナで開催された欧州選手権で3冠を獲得した。まだかれは成長期にあるのでウェイトトレーニングは控えている。かれのポテンシャルはどこまであるか想像もできない。鉄は熱いうちに叩けと言うが、かれは理想的な素材の持ち主。多くの可能性を秘めているので、長期的な展望を元にして、昨年より今年の進歩を確実にするように心がけている。こんな才能を持った選手に巡り合ったのは半世紀で初めてのことだ。わたしの責任も大きい。クリストファに必要なのはパワーだが、必要以上にパワーを付けてアンバランスな身体を作るリスクを避けなければならない。無理は故障を生むだけだ。かれの自然な走り方の特徴は2.70cmの大きなストライドで、100mゴール手前になると3mにまで伸びる。また、素材もさることながらクリストファは強靭なメンタルが大きな武器にもなっている。とかく若くして史上初の3タイトル獲得した後、選手が頭でっかちになって勘違いを起こしてしまう悲劇的なケースを見てきている。クリストファはこの点でも優れた模範選手で舞い上がることなく両足がしっかり地に付いた考え方を持っている。これは非常に大事なことで、コーチが教えるのが最も難しいもの。かれは気持ちの切り替えが早く、ネガティブ思考はほとんど見られない。冬季練習から一貫して練習中のタイムも昨季と比較して伸びているので、コンスタントに10秒を切る力を付けて欲しいし、現状では9秒90前後、200mで19秒台の記録を出せる力を付けてきたと思う。世界選手権も、両種目で決勝に残れば表彰台に上ることも可能だろう。しかし、我々の目的は、今回の世界選手権の結果よりも、さらにはロンドン五輪よりもはるかに向こうの大きな目標、ゴールを目指して努力して行きたい」

 
(2011年月刊陸上競技7月号掲載)
(望月次朗)

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