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ベルリンマラソン男子
パトリック・マカウ、 マラソン世界新記録2時間3分38秒を樹立

2分台突入は時間の問題か

パトリック・マカウ(ケニア、26歳)は、突然走りを止めた世界記録保持者のハイレ・ゲブレセラシエ(エチオピア、38歳)を25km地点で置き去った。最後のペーサーが32kmを過ぎてストップ。マカウの独走が始まった。「世界新記録で勝ちたかった」。マカウはブランデンブルグ門を通過すると、両サイドの観客席から歓声を受けてゴールへ向かって懸命に走った。ゴール直前、掲示板でタイムを確認。ベルリン市長らの持つテープを胸で切った。派手なゴールシーンはなかった。ゴール後、両手を上げ観衆に応え、数歩後路上に正座。なにかを祈るように、数度身体を二つ折りにゆっくり上下した。

予想と期待が掛ったマカウ、ハイレはスタートからに敢行に飛ばした。新世代の精鋭マカウが、ハイレの記録を3年ぶりに21秒破る2時間3分38秒の世界新記録を樹立した。同時に、30km通過タイム1時間27分38秒も世界新記録だった。ベルリンでマラソン世界新記録が樹立されたのは、男子が5回目。ちなみに女子は高橋尚子を含む4回を数える。これまでコースをなんども変えて高速コースに仕立ててきたが、最近はコースを変えていない。



人生最良の日!マラソン世界記録はケニア人の手に

マカウは「ハイレはぼくの子供ころポール・テルガト(ケニア、ハイレのライバル、元マラソン世界記録保持者。)と共にアイドルだ。ぼくはマラソン経験は今回で5回目。ハイレと一緒にマラソンを走ったのは夢みたいな話だ。かれから学ぶことはたくさんあるので素晴らしい経験を得ることができると思った。昨年、雨が降る悪コンディションでも5分08秒だった。調整は完璧。コースは熟知しているので天気さえ良ければ世界新記録に挑戦しようと思っていたが、朝起きた時、なんとなく身体が重く世界新記録は難しいような予感がした。しかし、ハイレに勝ちたかった。スタートしてから少しずつ調子良く走れるようになった。ハーフを61分44秒で通過、ペーサーがしっかり走ってくれたので世界新ペースが続いた。

25km付近でぼくが給水した時、ハイレが急にキックしてギャップが出た。すぐにあとを追った時、突然、前を行くハイレが道路脇で止まったので驚いた。一体なにが起きたか全く見当がつかなかった。当然、追い上げてくるものと予期した。後方を振り返って見たが姿が見えないのでただ世界新記録ペースをキープすることに集中した。ペーサーが32km付近で止まってから独走態勢に入った。世界新記録で優勝できると思ったが、最後の10kmは非常にきつかったね。ハイレの世界記録を破って優勝するなんて…!夢にも思わなかった。ゴール直後は実感として感じなかったがジワジワと嬉しさが込み上げてきた。世界新を達成できてこんな嬉しいことはない。人生最良の日!レース後、たくさんの電話がケニアからあって、マラソン世界記録が再びケニア選手の手に戻ったことを感謝された。ケニアではエチオピアランナーがマラソン世界記録をキープしているのは屈辱だと思っている人が多い。(笑う)このライバル意識が過剰気味だが存在する以上、世界の長距離が進歩すると思っている。おれ自身も2分台で走る自信はあるし、近い将来2分台に突入するのは目に見えている。この世界新記録もすぐにケニアランナーに破られることは確実だろうね。まだまだマラソンの記録は伸びて行くだろうと思う。」と声が弾んだ。

ロードレース専門のマラソンランナー

マカウは09年ロッテルダムでマラソンデビューを果たし、2時間6分14秒で4位だった。その年、NYで2回目のレースに出場したが途中棄権した。しかし、初マラソンから1年後の10年ロッテルダムで2時間4分48秒の当時歴代4位の好記録で優勝。わずか3レース目で一躍世界の注目を浴びるようになった。今春のロンドンのハーフ付近で転倒。足の故障を気遣って走り2時間5分45秒で3位に終わっている。6回目のマラソンで世界記録を樹立した背景には、トラック経験はわずかだが、07,08年世界ハーフで連続して2位。欧州のロードレースで4年間積み上げた数々の輝かしい実績がある。ハーフの自己ベストは歴代4位の58分52秒の好記録だ。

マカウはケニアの東部、マチャコス市に近いマニャンズワニ村出身。マチャコス市からは90年代半ば、ボストン3連勝を果たしたコスマス・デティ(現牧師)、トラック出身で現役のマラソンランナー、パトリック・イヴティらを輩出している。マカウとイヴティは共同出資、村の子供たちのためのランニングクラブを設立しているとか。

マカウが走ることに興味を示したのが15歳のころだった。トラックを捨てロードに転向。05年ザンジバールハーフが最初のレースだった。理由は金になるからだ。マカウは「欧州のトラック出場チャンスの難しさと収入の少なさ、家族を養わなければならないからロードに転向した。国内で無名の若いトラックランナーに、ほとんど収入の道はない状況だ。だが、ロードランナーはトラックより外国レースに出場するチャンスがある。ロードレースは実力によってレース選択が可能で収入にもなるのが魅力だ。おれはそこからここまで這い上がってきた。この傾向はますます強くなるだろう」と言う。

確かに、欧州の長距離、クロカンレースでは、ケニア、エチオピア選手がレースを独占するため、TV、地元スポンサー、観客も興味を失ってしまうらしい。かれらが無料でも出場したいと言っても断られるのが現状らしい。しかし、世界中でおきている健康ブームと町興しの大小ロードレースは、ランナーの実力によって、相応のレースに出場でき、それなりの収入を得ることができる。これはアフリカンランナーにとって非常に大きく切実な目標と魅力あるマーケットであろう。このマーケットでケニアランナーは超優良ブランドであることは間違いない事実だ。

金がなくとも高速コースで世界新記録続出

昨年、マカウは雨中の悪コンディションで2時間5分8秒を記録した。この時点で早くも「気象条件が良ければ…」と世界新記録の期待がかかった。今春ロンドンで転倒したにもかかわらず、安定した走りで5分台の結果を出した実力ランナーだ。マカウは昨年を上回る絶好のコンディション。好天気に恵まれ、世界記録保持者のハイレと直接対決にマカウの闘争心が倍増したと言っても良いだろう。マカウはこう言う。「ハイレと対決するチャンスはめったにない。かれを越すことは世界一流の証明にもなる。当然のこと、万全を期した調整、打倒ハイレに燃えてきた。」

ベルリンで初の男子世界新記録は、1998年ロナルド・ダ・コスタ(ブラジル)の2時間06分05秒。ベライネ・デンシモ(エチオピア)の記録を11年ぶりに更新した。この結果、雪崩現象を起こしてシカゴ、ロンドンで5分台に突入。03年ベルリンでポール・テルガト(ケニア)がサブ5分の2時間04分55秒、続いてハイレが07、08年の2年連続世界新記録で優勝。2時間04分22秒から2時間03分59秒に短縮。近年、ベルリンは世界で最も高速なコースとして名高い。

しかし、ベルリンは豊富な資金力のあるロンドン、NY、ボストンらと比較すると、「資金」が極めて乏しいと言う。今回、予算の大半を男女マラソン世界記録保持者のハイレとポーラ・ラドクリフ(イギリス、38歳)に使ってしまい、他のトップ選手を招待する資金がなくなったと聞いた。昨年の優勝者マカウは契約上、オプションで安く出場が決定。うまくマカウ−ハイレ新旧2人の対決から世界新記録の大成功を収めた。2位はペースメーカ。レースディレクターの承認を得て2時間7分55秒で完走している。ただその1点の印象が強かった。かれら以外の選手の実力は10分台の選手のみ。これほど一方的に偏った選手層のレースも例を見ないだろう。マカウに世界新記録のボーナスは公式発表されていないが、気持ちだけは払う約束とか。女子選手も男子と同じような状況で、ポーラ・ラドクリフ(イギリス、38歳)、イレナ・ミキテンコ(ドイツ、39歳)らにやはり大半の予算が持って行かれたらしいが、この2人は五輪参加のための記録最優先で出場した。今年も3年ぶりに世界新記録が誕生。世界中のレースディレクターから羨望される高速レースだ。

「4年に一度のチャンスが来る五輪で優勝することは、マラソンランナーの究極の目標だろうと考えています。もし、五輪代表に選考されたら(その後、ケニア陸連は世界選手権の2連勝したアベル・キルイとマカウの選考を発表した。)五輪まで、多分、短いレースに出場するだろうが、春マラソン出場はやめて五輪準備に集中して優勝を狙いたいと思う。」

 
(2011年月刊陸上競技11月号掲載)
(望月次朗)

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