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パトリック・マカウ・ムショキ

:1985年3月2日、首都ナイロビの南マチャコス市の近くマニャズワニ村出身。
:部族・カンバ族、ケニア東方サバンナに居住する国内最大のキクユ族との文化類似性が認められるサブトライブ。
:キャサリーと既婚、3児の父親。
:身長177p、体重55s
:ナイロビの郊外ンゴング町に在住。
:練習は高地1700mンゴングの森山,マサイランドでマカウ、パトリック・イヴティのグループで練習をする。
:マネージャー:ザネ・ブロンソン

走ることは金稼ぎだ。マラソン世界記録保持者パトリック・マカウ

ケニアの首都ナイロビの南20qにあるンゴング町。ここはポール・テルガトが住居を構え練習の拠点にしたことで有名になった。多くの長距離選手が育った幾つものコースが大自然の中にあり、マカウもこの町に「キャンプ」も持っている。マカウは1年前、中心部をわずかに離れた閑静な住宅地に自宅を購入。1月末に奥さんが双子の子供出産、3人の父親になった。12月初旬に朝練習を終えた彼の自宅に招かれ、ミルクと砂糖が入った「チャイ」とパンの朝食をごちそうになりながら話を聞いた。マカウはインタビューに慣れないのか、性格なのか、シャイなのか分からないが、言葉が少なく取材泣かせのタイプだ。世界記録保持者になり急激にメディアの注目を受けて戸惑っているような印象を受けた。奥さんは結婚前3年間にブラジルを拠点に世界各地のロードレースを転戦した経験が豊富なため、メディア対応も心得て話題が豊富だ。何とか聞き出したのは、マカウの趣味は車のコレクションとの事。

マカウのレースは目立たない。レースは集団の後方について慎重に流れを見極め、積極的に前に出ることなく後半勝負をかける地味なタイプだ。

「世界記録保持者のハイレを、サミュエル・ワンジルのジグザグ走法を使って疲弊させ、世界新記録を樹立して勝ったのはうれしかった。おれはベルリンでハイレを破ることしか頭になかったので、世界新記録はむしろ副産物だったと言える。オレも万全の態勢で記録に挑戦することができれば、2分台に突入は可能だろう。マラソン世界記録をエチオピア人から再び我々の手に取り戻した意義は大きい。あの瞬間ケニアでは大変な騒ぎだったらしい。でも世界記録保持者になってから生活が忙しくなったよ」と苦笑。「世界記録は破るためにある。今度はおれが追われる立場になった。オレの世界記録は世代交代を告げ、ワンランク上のレベルになるきっかけだ。ライバルを刺激し、多くのランナーがモチベーションを高める効果もあるだろう。オレの世界記録が破られるのは時間の問題さ。そう長くは持たないよ。好調のモーゼズ・モソップがロッテルダムで世界記録挑戦を宣言しているし、彼もそのぐらいの記録で勝たなければ代表は難しいので必死だろう。気象条件が良ければロッテルダムで世界新記録が生まれてもおかしくはない。もちろん記録に挑戦するのは彼だけではない。ロンドンに出場するアベル・キルイ、ウィルソン・キプサング、エマニュエル・ムタイやボストン2連覇を狙うジョフリー・ムタイだって世界記録を狙って走るだろう。4年に一度の五輪は誰もが出場を夢見る。五輪代表のチャンスは記録にかかっている。オレを含めた6人の五輪代表候補選手に相当なプレッシャーがかかる。ロンドンは大変なレース展開になるだろうね。彼らに対抗するのは並大抵のことではない。昨年のロンドンでは、25q付近で転倒してリズムが狂い3位に終わったが、まずは五輪より勝つのが難しいと言われるロンドンで優勝して五輪代表になること。とにかく最高の調整をしていかなければ勝てない。五輪のことは代表に選考されてから考えても遅くはないよ。」

そもそもパトリック・マカウが19歳で本格的に走ることに興味を持ち始めたのは、「金稼ぎ」のためだ。都会出身のランナーは極めて稀で、田舎の若者にとって最も手っ取り早い貧困脱出手段が早く走ることだ。ケニア、エチオピアのアスリートの究極の望みは、早く走ることによって「有名人」になり、金を稼ぐこと。マカウは「知り合いのランナーから走ることで賞金を稼ぐチャンスがあると聞いて、どんなことがあっても走ることで貧困から一歩でも脱出しようと必死だった。それ以外にチャンスはあり得ない環境だった。」と述懐する。「トラックは強くなければ欧米の国際レース出場チャンスはないが、無名なオレでもロードならチャンスがあると思った。タンザニア、ザンジバルハーフなど、金になるレースなら片っ端から出場した。それまで無一文のおれに金が転がり込んできた!走ることは金のためさ!それ以外のことは考えもしなかった。獲得した賞金は両親の家を建てる土地や家族の生活を大きく変える助けになった。ケニアでは大半のランナーが同じような環境で頑張っているのさ。このスポーツは無一文から、忍耐と素質さえあれば、学歴を問わずに実力次第でフェアに「金稼ぎ」ができる。オレも2004年にジミー・ムインディ(39歳、ホノルルマラソン6回優勝など)に走ることを勧められ、かれの作成してきた練習プログラムを消化して成長してきた。同郷のパトリック・イヴティ(34歳、シドニー五輪10000m4位、2007年ロッテルダム、ホノルルマラソン優勝など、)らと、キャンプで寝食を共にし、多くの事を学び世話になってきた。最近、ムンディ、イヴティらと一緒に田舎にクラブを設立。若い世代をサポートするキャンプの設立や運営資金など提供する体制を整えた。ケニア長距離界の良き伝統、練習法などを確実に次世代に継承し、若い世代に素質を伸ばすチャンスを与えるのが使命だと思っている。それが我々ケニアの特徴でもあり強さでもあるだろうね」

ケニアのマラソン選手層はとてつもなく厚い。パトリック・マカウは2時間03分38秒の世界記録保持者でも、ロンドン五輪マラソン代表権を無条件で獲得することはできない。ケニア陸連は五輪代表候補6選手を目の前にして、誰を選考するのか難しい判断をしなければならない。1月マラソン代表候補選手6人を公表したが、今春のマラソンの結果を見て3選手に絞るか、さらに6選手を五輪合宿に呼んで最終エントリー締め切り直前に最も調子のよい3選手を決定するのだろうか。いずれにしても、ケニア陸連の最終的な選考決定は世界中のマラソン関係者の注目を集めるだろう。

 
(2012年月刊陸上競技4月号掲載)
(望月次朗)

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