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世界長距離界に多大の影響を与えるレナト・カノヴァの方法論とは

レナト・カノヴァ(イタリア、67歳)は、ケニア在のフリーランス中・長距離マラソンコーチだ。これまでイタリア長距離・マラソンヘッドコーチ、IAAF長距離・マラソン講師、カタール陸連中・長距離・マラソンヘッドコーチを10年務めた豊富な経験を持つ。2年前の広州アジア大会を最後に、フリーとなってケニア西北2400mの高地イテン町に居住。イテンは小さな町だが、内外から常時1000人を超える中・長距離ランナーが訪れる高地トレーニングの中心地だ。カノヴァは地球の割れ目と言われるリフトバレーを見渡せる景観の素晴らしい土地に単身赴任した世界でも珍しい「フリー」のコーチだ。かれはコーチ業を「天職」と思っている。コーチ料金はすべて示談。選手、エージェントの要望があればだれでも気軽にコーチを引き受ける。マラソン方法論の講演で世界を飛び回るかれの練習プログラムによって、40人以上のケニア、エチオピアの中・長距離・マラソン選手が直・間接的に指導されている。

カヴァノは現3000m障害世界記録保持者、世界選手権優勝のケニア生まれで国籍変更したサイフ・サイイード・シャヒーン(カタール)ら多くの世界的中・長距離、マラソン選手を育ててきた実績を持つ。昨年のボストンで初マラソンを2時間03分06秒の驚異的な記録で走ったモーゼズ・モソップ、テグ世界選手権マラソン2連覇のアベル・キルイ、1月のドゥバイ・マラソンではトップ10人中9人の練習プログラムを作成している。カノヴァに同行してモソップ、キルイ、女子ケニア代表にほぼ決定し昨秋ベルリンを制したフローレンス・キプラガト、青森山田高校卒業して浜松のスズキに在籍していたルシー・カブー(ドゥバイ、初マラソン2時間19分34秒で2位。歴代8位の好記録。ロンドンマラソンに挑戦する)らの練習を取材した。

―急激にマラソンの記録が進歩した理由は。
カノヴァ―近年、欧米トラックの長距離5000,10000mの競技会が極端に少なくなり、特に10000mのレースは世界中でも数えるほどしか開催されていない。6,7年前と環境が違いトラックで得る収入は非常に少ない。逆に、世界中で大小のロードレースが開催され、ランナーの実力に応じて非常に幅広い活躍の場が設けられた。そこにトラック選手が活躍する場が移り、需要と供給のバランスが取れる状況になった。ロードランナーの年代が若くなり、身体も意識もフレッシュでタフ、たくさんの才能ある選手がロード、マラソンに流れ競争も激しくなった。最近になって、これらの影響が結果、記録として表れてきた。

―モーゼズ・モソップの昨年ボストン前の練習プログラムですが、今季との違いがありますか。
カノヴァ―わたしの練習方法論は基本的に3か条のコンセプトが重要だ。それに変化はありません。最初にメンタル、身体に長い距離の感覚を覚えさせる。スピードは求めず距離に対するメンタルを確立し、身体にはフルマラソン、またはそれ以上の距離をしっかり覚えさせること。次は集中的に早いペースを維持しながら距離を伸ばすこと。最後に、リカバーの調整を完璧にすることが激しい練習を繰り返すよりも大事なことです。長い距離を消化するだけでランナーが強くなることはありえない。疲労を取り除くことがハードな練習を続けることより効果があるということです。また、ランナーの体調によって微妙に調整が必要になるため、モソップのプログラムは毎週作って最良の効果を追求しました。

―昨年のボストンの結果への反響は。
カノヴァ―、まあ、わたし自身もあの記録が出ると予想したわけではありません。しかし、下り坂、追い風に乗って怖がることなくトップ選手がハイスピードに乗った結果でしょう。ケニアではドーピングができる環境はないのに、アメリカでは新しいドーピングのうわさが絶えない。(笑う)困ったものです。

―従来の練習方法論とあなたのコンセプトの違いはどこですか。
カノヴァ―集中的に高いスピードで走る距離を伸ばすこと。ハード練習も大切だが、リカバーそのものが練習と同じぐらい大切なことだろうね。

―世界記録更新の可能性は。
カノヴァ―現在のマラソン記録は長持ちしない。早ければ4月に世界新記録が誕生する。条件さえ整えば、少なくとも今年3回ぐらい世界新記録更新の可能性がある。例えば、ケニア五輪代表に選考されない選手が、秋のマラソンで世界記録に挑戦する可能性が大きいからだ。マカウが世界新記録で優勝した時、かれはハイレとの勝負に集中。もし、スタートから記録に挑戦して走っていたら、少なくとも30秒早かっただろうね。我々は今春ロッテルダムでモソップが世界新記録に挑戦する準備を始めている。というのも、モソップが五輪代表の座を射止める条件は、世界新記録だけだろうからだ。もし、モソップがこのまま故障もなく、レース当日の気象状況が幸いするならば、2分台突入は難しくないと思う。そのぐらいの練習は消化しているからだ。1月ケニア陸連発表のマラソン候補6選手、モソップ、キルイ、マカウ、キプサング、G.E.ムタイら全員にフェアチャンスを与えている状況だが、すべてが結果次第で頭から五輪代表3人が決まる。これは非常に大きなプレッシャーで、モソップもロッテルダムで世界新記録と同等の記録で勝たなければ代表権獲得はない。それはロッテルダム1週間後のロンドンに出場するマカウ、キルイ、ウィルソン、E.ムタイ、ボストン2連覇を目指すG.ムタイらにも全く同じことが言える。

―現在、世界最強選手にだれをあげますか。 
カノヴァ―個人的な意見だが、ジョフレイ・ムタイと2002年からコーチしているモソップだ。甲乙つけがたい実力の持ち主だ。強いて言えばG.ムタイかな。その次に世界記録保持者のパトリック・マカウ、昨年の春からコーチをしている世界選手権2連覇のアベル・キルイ、練習のアドヴァイスをするウィルソン・キプサングらが続くだろうとみている。これに匹敵するのがツエガイ・ケベデ(エチオピア)だろうか。1月のドゥバイで無名の若手エチオピア選手が自己記録を大幅に更新して2時間04分23秒で優勝。2位が04分50秒、3位が4分54秒を記録した。現場にいたのでよくわかるが、スタート時の気温が12度から最高17度ぐらいまでしか上がらなかった。通常この季節は湿度が高いが、奇跡的に湿気が全くなかった。4位になったジョナサン・マイヨはアベル・キルイの練習パートナー。これまでの2時間12分45秒から一挙に2時間04分56秒へ記録を短縮。コーチの私ですら予期できなかった記録で驚いたよ(笑う)かれらの実力はまだまだ未知数。五輪でケニア勢を脅かす存在になるとは思わない。今年は五輪の年。ケニアから無名の選手が刺激されてとんでもない記録が生まれるケースも無きにしもあらずだ。

―タイトルレースと主要レースのあり方の違いは。
カノヴァ―故サミュエル・ワンジルが北京五輪で見せた、ライバルを小馬鹿にしたような高速ジグザグ走法であの暑い北京を高速レースにした功績は大きい。近代マラソンの概念を一掃したのは画期的なスタイルだ。五輪や世界選手権のタイトル獲得を狙うなら、自由に緩急をつける走りができなければならないが、世界新記録を狙うならばイーブンペースで走ることが最も効率が良いことは明らかだ。この急激な緩急スピードに対応できるのは、日ごろからの練習にそれを取り入れているケニア選手だけだろう。

―10代からのロード練習の身体への影響は。
カノヴァ―約10年前、IAAFに依頼されてマラソン練習法を一冊の本にして出版したが、現在ならば根本的に練習法を変えなければならないだろう。練習プログラムは常に時代、状況、ランナーの個性によって変化を求められるので不変ではありえない。現在、私のプログラムによって練習を行っている選手は、約40人以上ケニア、エチオピアにいる。若いランナーがロードレースに出場することは、身体への悪影響を考慮した練習システムを作れば問題はない。

−高地練習なしで低地練習だけで世界のトップ選手と互角に走れるか。
カノヴァ−いや考えたこともないが…、現在の世界トップ選手の全員が高地練習をしているだろう。

 
(2012年月刊陸上競技4月号掲載)
(望月次朗)

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