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Special Interview 男子やり投ジュリアス・イェゴ

ケニア・フィールド種目のパイオニア。リオ五輪でも金メダルを狙う

 やり投は五輪で7回(男子)も優勝しているフィンランドの国技≠ニも言われる。伝統的に北欧、ドイツ、チェコらの欧州勢らが強い。ところが、4年前のロンドン五輪前後から流れが変わってきた。五輪1ヵ月前、バルセロナ(スペイン)で開催された世界ジュニア選手権に優勝した当時19歳のケショーン・ウォルコット(トリニダードトバゴ、現22歳)が、前年までの自己記録を9m近く上回る84m58のナショナルレコードで五輪も制覇。この種目としては異色なカリブ海出身の選手が、同じ年に世界ジュニア選手権と五輪にも優勝してしまう史上初の離れ業≠やってのけ、五輪の男子投てき種目で初の黒人チャンピオンとなった。
 彼の活躍に影響されたのか、同じ世界ジュニア選手権で2位だったアルゼンチンのブライアン・トレド(現22歳)、ケニアのジュリアス・イェゴ(現27歳)、エジプトのイハブ・アブデラーマン・エル・サイド(現26歳)らが、やり投伝統国の選手と争って頭角を現してきた。なかでもイェゴ、エル・サイド、ウォルコットは、しばしばIAAFダイヤモンドリーグ(DL)で勝つなど世界トップクラス選手としてのキャリアを積んできた。
 イェゴは、ロンドン五輪でケニア選手フィールド種目初の決勝進出を果たして12位。2013年のモスクワ世界選手権は4位。そして、2015年は6月上旬のバーミンガムDLで世界歴代9位(当時)となる91m39の快投を見せていたが、8月の北京世界選手権ではその記録をさらに塗り替える92m72(世界歴代3位)の大アーチを放ってケニア勢初のフィールド種目優勝の快挙を達成し、ケニアの金メダル獲得数1位(ジャマイカと並ぶ7個)に貢献した。
 イェゴは、これまで世界的な中長距離ランナーを数多く輩出してきたケニアのカプサベット市に近い紅茶産地、ナンディ・サウス・カウンティ出身だ。そこから約20km北にあるケニア第4の都市・エルドレットの最高級ホテル内の近代的なジムでウエイトトレーニングを開始。身体を作り上げ、1月から南アフリカのポチェフストルーム(ヨハネスブルグから約100km南西にある町)でリオデジャネイロ五輪に向けて本格的に投げ始めた。

予想外の90m超えと金メダル。大ブレイクの2015年

―― 2015年は大きくブレイクした素晴らしいシーズンだった。この1年を振り返っての感想は?
イェゴ 2015年は、僕にとって成績、記録とも予想外≠フ充実したシーズンだった。シーズン開幕から最後までかつてない好調を続けた。それまでは4位だった2013年のモスクワ世界選手権で投げた85m40が自己記録だったが、2015年は5月下旬のオスロラヴァ(IAAFワールドチャレンジ大会)で86m88、次が6月上旬のローマDLで87m71と自己記録を伸ばし、3日後のバーミンガムDLは最終投てきで91m39。90m超えは一流選手の証、僕にとって夢の大記録だった。
―― あの時は公式記録か非公式記録か、かなりもめた。(注:やりの刺さった地点が有効試技範囲をわずかに右に外れてファウルという判定が一旦は下されたが、イェゴが泣きながら抗議し、大会終了20分後に判定が覆って有効試技と認定された) 
イェゴ 確かにもめたが、結果的には認定されてホッとした。あの一投は大きな自信になった。
―― そして、北京世界選手権で優勝した。
イェゴ モスクワ世界選手権では最後の投てきでひっくり返されて3位から4位に転落し、メダルを逃した苦い経験がある。北京では密かにメダル獲得を狙っていたが、ここでも予想外の大記録で優勝≠ネんて信じられなかった。友人のエル・サイド(エジプト)が1投目からいきなり86m台(86m07) を放ち、2投目に88m台(88m99)と記録を伸ばしてトップに立ったことも大きく刺激された。僕は2投目まで82m42で6位だったが、3投目は投げた瞬間に確かな感触があった。でも、まさか93m近く(92m72)も飛ぶなんて、あれも予想外の一投だった。
―― 完璧な投てきだった?
イェゴ 試合が終わってフィンランドのクオルタネでの合宿中に指導を受けるペッテリ・ピイロネン・コーチと一緒にビデオを観てチェックしたが、コーチから「やりのスピードは十分だったが、高さが足りなかった。スピードと高さのバランスがあればあと数メートル伸びていただろう」と言われた。まだまだ改良の余地がある、ということさ。

2011年の年末からフィンランドで本格指導受ける

―― あなたは「YouTube」でやり投の技術を学んだ選手として有名だが、その経緯は?
イェゴ (笑いながら)それは2011年の年末にフィンランドに行く前の話。2008年から常にケニア選手権で優勝していたが、練習した割には記録が思うように伸びなくてくすぶっていた時、いいコーチがいなかったので仕方なく「YouTube」で世界記録保持者のヤン・ゼレズニー(チェコ)、五輪で2連覇したアンドレアス・トルキルドセン(ノルウェー)、ビッグゲームのメダル常連であるテロ・ピトカマキ(フィンランド)らの投げ方を何度も観て研究した。とにかく、やり投の技術を習得する苦肉の策だった。今、ケニアで練習する時は自分自身がコーチだが、ピイロネン・コーチのアドバイスもいつでも受けることができる。
―― 誰の技術が最も適していると思ったか?
イェゴ いろんな選手の投げ方をYou Tubeで観てきたが、僕にはトルキルドセンの投げ方が最も適していると思った。彼は僕のアイドルだった。10年ぐらい前、トルキルドセンとゼレズニーが一緒の試合に出場していた際、トルキルドセンを一生懸命応援したのを覚えている。
―― フィンランドのクオルタネ市のやり投「ハイ・パーフォーマンス・センター」(IAAF
公認)の合宿経験はどうだったか?
イェゴ ターニングポイントは2011年9月にモザンビークのマプトで開催された「オール・アフリカン・ゲームズ」で78m34を投げて優勝したこと。それはケニア記録として14年間破られていなかった78m20を破る新記録だった。これを契機に国際陸連からの支援を受け、2011年の年末から2012年のロンドン五輪前まで、クオルタネで練習する機会を得た。憧れのピトカマキらフィンランドのトップ選手と一緒に刺激の多い充実した毎日だった。現在の僕があるのは国際陸連の経済的なサポート、フィンランドのコーチ、選手らの友情の支えによるもの。感謝しきれない恩義を感じている。ここでエル・サイドと一緒に練習、フィンランド人のマネージャー(ユカ・ハコネン)と契約するなど、プロ選手としての環境も整えることができた。
―― しかし、フィンランドは寒かったでしょう。
イェゴ 最初に行った時は真冬の冬季練習で、基本的な身体作りだった。外に出るのは寒くて怖かった。フィンランドの施設、コーチの指導など素晴らしい環境だったが、問題は入国ビザの関係で長期滞在ができず、ある一定期間滞在して一旦帰国し、またフィンランドに飛ぶようなことを繰り返していた。今現在、友人のエル・サイドは冬季練習をクオルタネでしているが、(赤道直下の)ケニア人の僕は、冬季のクオルタネはどうしても馴れないので行くのをやめて、ケニアで基礎的な身体作りをしている。僕はエル・サイドと同じコーチ、マネージャーについていて、彼はライバルだが、良き友人。彼とはDLの転戦で同じ部屋になる仲でもある。

モスクワ世界選手権でケニアの主将に フィールド種目でも認められた

―― クオルタネ・コネクション≠ナロンドン五輪の決勝進出ができた?
イェゴ あそこで練習を始めた2ヵ月後、79m95を投げて五輪B標準記録(79m50)をクリアし、やり投ではケニア選手初の五輪出場が可能になった。その後、81m12を投げて念願の80m超えを果たすまでに成長。そして、ケニア勢として初めて五輪のフィールド種目で決勝に進出することができた。あれは大きな自信になったし、国内の反応も大きな変化が見られた。それまで国内ではフィールド種目は中・長距離選手と比較するとかなり低く見られて冷遇されてきた。例えば、僕は2008年の世界ジュニア選手権(ビドゴシュチ大会)の標準記録を超える72m18を投げていたのにもかかわらず、「どうせケニア選手はフィールド種目で世界とは戦えない」という先入観を持たれて参加を見送られた悔しい出来事があった。やはり、スポーツは結果がすべて。大きな国際試合の実績の積み重ねが必要で、ケニアのフィールド種目の歴史は始まったばかりさ。
―― 国内スポンサーはついた?
イェゴ 僕は2007年のケニア選手権で3位になった直後、警察クラブから勧誘され、ケニア警察スポーツクラブ(2008年3月警察学校を卒業)に所属しているが、携帯電話会社がスポンサーについたこともある。ケニアでは、フィールド種目の選手にスポンサーがつくようなことはめったにない。現在のミズノとのスポンサー契約は、モスクワ世界選手権後から。
―― モスクワ世界選手権のケニア代表の主将を務めた。
イェゴ デヴィッド・ルディシャ(男子800m世界記録保持者)が故障で欠場したため、全選手の投票で僕が代わりの主将として任命された。世界トップクラスのランナーからも祝福された名誉なことだったし、フィールド種目の選手も認められた証でもあった。
―― ケニアのアスリートは、単に走る能力だけではなく、フィールド種目にも世界に誇れる才能がありそうだ。
イェゴ その通り。我々ケニア人はいろいろなことにおいて世界に誇れる潜在的な能力を持ち合わせていると思う。ただ、これまで走ることばかりに目が向いて、フィールド種目はまったく無視されてきた。僕は将来、フィールド種目専門のキャンプを設立して才能発掘を支援していきたいと考えている。
―― 最近でこそDL出場の常連だが、2012年はチューリヒ大会だけ、2013年はブリュッセル大会だけの出場だった。2014年から本格的に参戦しているが、DLをどのように位置づけている?
イェゴ DLは出たくてもそう簡単には出場できないし、実力が伴わなければ出ても意味がない。DLはどの種目も世界のトップ選手がしのぎを削る。ちょっとでも狂うと記録、結果などは望めない大会。年間を通じてコンスタントな力、結果を出して初めて年間優勝ができるもの。だから、一発勝負の選手権大会で勝つのとは違う難しさがある。

やり投の強豪が広範囲の国に広まってきた

―― 最近のやり投は、世界各地から広範囲にわたって実力者が台頭している。この傾向をどのように見ている?
イェゴ 非常に興味深い傾向だと思う。これまでやり投はある整った一定の環境、長い経験が必要とされてきた種目。ロンドン五輪で予想外のカリブ海の小島出身のウォルコットが、世界ジュニアに続いて優勝して世界を驚かせた。どのような環境でも可能性がある、という夢を抱かせる快挙だったと思う。僕もやり投に関してはまったく後進国の出身。エル・サイドも同じような環境だが、あきらめないで継続する努力で道が開けると思う。
―― 近年、やり投のレベル自体も上がってきた。
イェゴ 北京世界選手権の決勝では87m以上投げた選手が5人。世界選手権史上で最も高いレベルの激戦だったはず。
―― いつ頃からやり投に興味を持ち出したのか?
イェゴ 15 〜 16歳から。サッカーのテレビ観戦は大好きだけど、やり投はデリケートな部分が醍醐味のスポーツさ。
―― カプサベット、エルドレットでもやりを投げる場所は少ないでしょう。
イェゴ 僕はエルドレット、カプサベットでまだ1度もやりを投げたことはない。競技場があっても人、家畜が入って来ることがあるから危険。投げられる環境ではない。ケニア国内ではナイロビのスタジアムでしか投げていない。
―― さて、今年はリオ五輪の年となる。
イェゴ やはりリオ五輪を考えて、オフの期間はウエイトトレーニングを慎重かつ十分に消化している。基礎体力をつけてから南アフリカでの合宿で投げ込んでいく。4年に一度のチャンス。もちろん、フィールド種目でケニア初の五輪メダル獲得に向けてベストを尽くすよ。

 
●Text & Photos/Jiro Mochizuki(Agence SHOT)
(月刊陸上競技2016年2月号掲載)

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