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ラシド・ラムジ
静かな中距離の雄、ラシド・ラムジ

ヘルシンキ世界選手権大会最大のハイライトは、陸上競技の「華」男子800,1500m史上初の2冠を制したラシド・ラムジ(バーレーン、25歳)の活躍だろう。ラムジはバーレーン国籍だが、生粋のモロッコ人だ。多くのランナーを輩出してきた太平洋岸に面したサフィと言う人口30万人の港町出身だ。チュニジアで開催された99年アフリカジュニア選手権1500mで3分47秒13で2位。将来を嘱望された伸び盛りの時期だったが、この程度のキャリアでは国内で仕事はなく、食うにも困る不安定な生活だった。01年12月のある日、バーレーンで働いている友人からの長距離電話での薦めで、バーレーン軍隊に入隊。異国の土壌で才能を開花した。02年釜山アジア大会、03年マニラアジア選手権大会1500mで優勝。04年ローマGLでイチャム・エルゲルージュ(モロッコ、32歳)らの並みいる世界の強豪相手に完勝。世界の注目を浴び、頭角を現してきた。アテネ五輪出場で準決勝で敗退の失敗から多くを学び、ヘルシンキで2種目完璧なレースで他を圧倒して世界を驚かした。この中距離2種目で五輪、世界選手権大会達成したのは、東京五輪で活躍したピーター・スネル(ニュージランド)以来41年ぶりの快挙だ。今季のターゲットは自己記録更新を始め、ドーハアジア大会連勝を目指し、大阪世界選手権、北京五輪ダブルタイトルを狙う。


モロッコ脱出、新天地バーレーンで開花

ここでラシド・ラムジの背景を理解するためにモロッコの現状を簡単に説明しよう。モロッコの主要産業は観光、農業、リン鉱石を中心とした鉱業が南にある。そのうちの大半の人口が農村地帯に住み、穀物、野菜、オリーブ、果物などが主に栽培されている。都市と田舎では貧富、発展差が大きい。イスラム穏健派に属するのモロッコは、国策で観光業に力を入れ西欧化が進み、女性の競技参加も他の保守のイスラム諸国と比較すると圧倒的に開放的な国だ。フランスの植民地時代からモロッコ出身の選手は長距離が強かった。ここもケニア、エチオピア同様、長距離選手は、田舎で子供のころから足腰を使って自然に鍛えてきたものが多い。長距離選手育成は、皮肉にも、貧困と高地民族か高地練習の可能性を持つことが必須条件だ。モロッコは間違いなく、世界でも最強の長距離国のひとつだ。また、マグレブ(アラビア語で「西の果て」の意味で、チュニジア、アルジェリア、モロッコの3カ国を総称して言う)出身の欧州移民家族の2,3世らも、欧州各国で衰退した欧州長距離選手に代わった。現欧州5000,10000m記録は、ムハメット・ムーリット(注:ドーピングで2年間出場停止経験がある)がベルギー国籍を獲得後に樹立したものだ。かれとは90年始めにモロッコの首都ラバットにある国立陸上競技宿舎で取材したときに逢った。かれもラムジ同様、モロッコからの脱出組でベルギーで成功したひとりだ。この手の商業的移民で成功した例は、フランスのマグレブ系選手に多い。現800m以上(マラソンを除く)長距離種目総ての記録がモロッコ系移民の子孫が樹立したものだ。伝統的にモロッコ選手は、北部の古都フェズから約60kmほど離れた風光明媚なアトラス山麓にある夏は高級避暑地、冬はスキー場として有名な高度1650mイフレンの高地練習で鍛える。5月に訪れたイフレンは、欧州から6カ国からの選手がシーズン開幕を前にして合宿中だった。ラムジ、コーチらも家族を帯同しての合宿中。今年3回目の高地練習でアメリカ遠征の調整をしていた。以下は4日間イフレン、メクネス(60km先の低地)、高地2000mのミシリフェンの3箇所でラムジとブーラミ・コーチを取材したものをまとめた。

バーレーン陸軍入隊、陸上競技へ専念

−あなたは99年ジュニアアフリカ選手権で2位。将来を有望視されながらなぜバーレーンに行ったのか?
ラムジ−あの程度の結果ならなにも役立たない。モロッコで職を探すのは難しい。将来性のないモロッコで生活が不安だった。モロッコ陸連は、素質発掘、選手育成システム、ラバットには国立合宿所、コーチ、施設などは揃っているが、経済的にモロッコで陸上競技を続けることは難しい。モロッコより素晴らしい環境、条件もありますからね。少なくとも、あの時点で考えられる最良の選択だったと思います。

−モロッコから簡単に移住できるんですか?
ラムジ−そんなに難しくはない。友達が電話でバーレーンにくることを薦めてくれたから、それに飛びついたわけです。モロッコの不安定な生活よりはるかに恵まれていた。バーレーン軍隊に入隊すれば、月給が約750ドルを支給されて練習に専念、国籍獲得も直ぐにできるという条件だった。不安なく選手生活を続けてゆく環境は申し分がない。

−バーレーン陸軍陸上競技部で練習したのですか?
ラムジ−最初の数ヶ月は兵士としての訓練を受けますが、その後、スポーツ選手は軍籍のまま走ることが仕事。これは国策のひとつです。

−しかし、今はモロッコに滞在、練習ができるのですか?
ラムジ−バーレーンにはケニア出身の選手もいますが、かれらも基本的にベースはケニアです。バーレーンは夏は猛暑で湿気が高くて普通の練習、高地練習もできないので、その季節になるとモロッコで練習する。コーチは同じ町出身のハリッド・ブーラミがバーレーン陸連と契約して、ぼくの選任コーチです。

−コーチはラムジ選手をいつからコーチしているのですか?
ブーラミ−02年から専属のコーチとして就任しました。

−あなたは5000mの選手で中距離の指導経験がありますか?
ブーラミ−ぼくも当時は現役を引退したばかり。指導経験は少ないが、現役中は1500〜5000m走者だった。(注:5000m12分53秒41,アトランタ五輪3位。95,97年世界選手権2位。モロッコ駅伝チームとして来日経験も数回ある。弟のブラヒムは03年3000m障害で世界記録7分55秒28を記録。後にドーピングで2年間出場禁止)モロッコでは中・長距離コーチはほぼ同じと考える指導者が多いと思います。

−インターバル練習では2人のペーサーを使っていましたね。
ブーラミ−実際、使うのはラシドの2歳年上の兄レオワンでやはり1500mが得意。ここ数年は競技を止めていたが、弟の活躍に刺激されて半年前から再開した。ペーサーを探すのが大変だったが、これでだいぶ助かっています。レオワンは、今年3分33秒ぐらい行くんじゃあないかな?

−今日のインターバルの内容を教えてください。
ブーラミ−メクネス(イフレンから西へ60kmn離れた高度800mの町)は高地ではありません。イフレンのスタジアムで練習する選手が多いのでここに来たのです。600mx1、ペース81秒,休み120秒、500mx1、ペース51秒,休み110秒、400mx1、ペース53秒、休み80秒、300mx1、ペース41秒、休み5分、500mx1、ペース69秒、休み2分、300mx2本、ペース41秒、休み60秒、200mx2本、ペース26秒、休み300秒。

−練習中、しきりにラムジに話しかけていますね。
ブーラミ−ぼくは選手と技術的なことから、いろんなことをそのつど話すことにしている。練習の後から話すより、その瞬間に気がついたこと、対話を続けることが心理的に大切だと思うからです。

−外国の土壌で素質を開花して、ヘルシンキで800,1500mの2冠を制した時、モロッコ国内の反応はどうでしたか?
ラムジ−ぼくは便宜上バーレーン国籍で競技を続けているが、心はモロッコ人。これは変わるものではありません。出身地サフィ市では、ぼくの国籍がどこであろうが関係なく、心から町の人たちが祝福してくれました。しかし、全国紙では、モロッコ陸連の才能発掘、育成政策、才能海外流出などの在り方について、かなり厳しい批判記事が掲載されていました。しかし、ぼくのような2重国籍の選手の例は過去にたくさんあります。

−バーレーンの反応は?
ラムジ−バーレーン選手が世界的な大会で優勝したことは史上初。小さな国 (注:奄美大島とほぼ同じ大きさ。1971年8月英国から独した世襲君主制。人口約70万人。約45万人がバーレーン人) で、これまで国際的な結果を残したことがなかったので大喜びです。ヘルシンキ大会が終了後、バーレーンの王様は会議でモロッコに滞在中だったので謁見があったし、バーレーンに飛んでからも方々で大歓迎を受けました。

−バーレーンがなぜ陸上競技に力を入れ始めたのですか?
ラムジ−陸上競技だけではありません。現在のハマド・ビン・イーサ・アール・ハリーファ国王が、前国王の死後99年3月に首長位を継承してから、国の近代化を進めたひとつの「イメージアップ」は国策です。02年には国名を「バーレーン王国」と改める2院制国民会議会を設定するなど、中近東では最も近代化された国。国が小さく、先の見えてきた石油産業から脱皮するための努力です。FI、バイクGPレースは中東では今年で3年目。マイケル・ジャクソンらの著名人も住み始めて、観光事業なども手広くしています。

―コーチはバーレーン陸連コーチですか?
ブーラミ−わたしはバーレーン陸連から給料を貰っているが、仕事はラムジ専属という形になっています。

−ヘルシンキ後、生活が変わりましたか?
ラムジ−ぼくの選手としての生活は変わりませんが、周囲の人の態度が大きく変わりましたね。

−コーチあなたは?
ブーラミ−お金ではなく、コーチとして最高の結果を達成、これ以上の満足感はありません。しかし、これから大きな目標達成にために努力が必要です

−02年からアジア大会、選手権に出場していますが大会の印象はどうですか?
ラムジ−02年アジア大会は、1500m出場選手が少ないという理由で大勢の選手(注:16名)で決勝一発勝負だった。最近ではカタール、バーレーンなどでケニア選手が大勢帰化したので、中・長距離で急激に国際的なレベルが上がってきたと思います。今年のアジア大会の中・長距離のレベルはかなり高いレースになると思います。特に、地元カタール選手の台頭に充分注意を払わなければ・・・そう簡単には勝てないでしょう。

−03年マニラアジア選手権の1500mであなたはシャヒーンを破った。
ラムジ−彼は3000m障害専門選手。ぼくの専門種目の1500mで勝って当然でしょう。

−04年ローマGLでエルグルージュに勝ったときの感想はどうでしたか?
ラムジ−優勝したことで国際的な評価と自信を得て、とにかくあのレースでの相手はエルグルージュからラガート、バーラ、コリルですからね。しかし、レース前のイフレンの練習では、エルグルージュは気管支炎のこともあったし、走る前から調子が悪かったことを知っていました。

−彼はあなたのアイドルだったと聞いたが・・・?
ラムジ−そうです。ぼくが陸上競技に興味を持ち始めたのは、12,3歳のころ。現在ぼくのブーラミ・コーチがアトランタ五輪5000mで3位になった同じ町の出身選手の影響も強いのですが、ぼくは中距離1500mが大好きなのでイチャムはアイドルでした。かれはモロッコが生んだ史上最強のスポーツ選手と尊敬しています。かれの功績は偉大です。しかし、ヘルシンキ前、エルグルージュは本格的な練習もしていない状態だった。かれはまだ引退宣言をしていないが、遅かれ早かれいつかは引退の日が来るもの。かれはアテネ五輪で完全に終わっています。

−04年がブレークした年、五輪挫折の年でもあったわけですね。
ラムジ−ホントだね。(笑う) アテネではメダル獲得を狙っていたんです。ところが準決落ちでしょう。04年室内世界選手権で2位。かなり自信を持って屋外シーズンを迎え、シーズン前半、アルジェリアでそれまでの自己記録3分37秒26から3分31秒87のアジア新記録を樹立。ローマGLで世界のトップ選手に勝って、アテネ五輪でメダル獲得に自信があったのですが、経験不足から予選から飛ばしすぎ、準決勝で人生最悪の挫折を経験しました。あの経験があったからこそ、ヘルシンキでぼくの持っている最高のものを世界に証明できたと思う。

−ヘルシンキの2種目制覇は、当初の予定になかったとか?
ラムジ−イヤそれは違います。2種目出場は予定通りです。2ヶ月前に2種目出場申し込みは済ませなければならない。でも1500mの結果いかんで800mに出場しない可能性はありました。

−あなたは800と1500mのどちらを好みますか?
ラムジ−ぼくは1500mがすきですが、800〜5000mを走ることができます。これはモロッコ中・長距離の伝統ですね。サイド・アウイタからハリッド・ブーラミ(38歳、5000m12分53秒41)・コーチ、イチャム・エルグルージュ、練習パートナーのアブデラヒム・グムリ(30歳、5000m 12分50秒23)、モハメッド・アムヤン(30歳、1500m3分34秒81、5000m13分01秒98)兄のレオワン・ラムジ(28歳)らも、800か1500m以上の距離をこなす中・長距離の世界でもトップクラスの選手です。
ブーラミ−長距離選手にとって高地練習は必修プログラム。しかし、モロッコ中・長距離選手はウエート練習を非常に重要視します。モロッコ長距離選手は全国中から集まり、子供のころから足を使って鍛えている環境、高地練習できる可能性があります。ケニア、エチオピア、ウガンダ、エリトリアなど、世界の長距離実力国の選手は高地で生まれ育っている。この点がモロッコと違っているが、かなりいろんなことで類似点があります。しかし、モロッコのようにエチオピア、ケニア選手がウエート練習を重要視することはないと思います。うちの選手はシーズン前なら週3回のウエート練習をします。ですからモロッコ選手の身体は筋肉質で頑強。ほかのアフリカ選手と比較すると、選手寿命が平均的に非常に長いと思います。もちろん、それがモロッコ選手の強さの秘訣です。

−800m決勝ゴールは劇的だった。
ラムジ−まさか勝てるとは思わなかったから。してやったりです!1500mで優勝するためのハードな練習、準備は完璧だった。ラガート、エルグルージュらが不在なので、優勝チャンスはかなりオープンだった。得意な1500mはレース前から勝てる自信があったし、五輪で失敗したのであそこで絶対に勝たなければならないと思っていました。しかし、800mはちょっと違った状況でした。800mスペシャリストを向こうに回してのレースです。自己記録(1分45秒38)も良くなかったし、レース経験もそれほどあったわけではありません。でも、すでに1500mで優勝したので、失うものはそれほど大きくなかった気軽さがどこかにあったと思いますね。コーチと一緒に綿密に準決勝レースを徹底的に分析、優勝候補の対ボルザコフスキー攻略作戦が完璧に成功したから大変に嬉しかった。

−その作戦とは?
ラムジ−ボルザコフスキーのビデオを繰り返し見て、かれの特徴をしっかりつかんで準決勝レースで逆を突くという作戦だった。
ブーラミ−決勝レース前夜、ほとんど寝ることはできないほどぼくは緊張した。ボルザコフスキーの準決勝レースビデオを10回ほど見て、どうしたら勝てるか綿密な作戦を考えていた。最終的に、ボルザコフスキーの裏をかく逃げ切る作戦が成功しました。最後のカーブを曲がった時点でラムジがボルザコフスキーに3メートルリードしていたので、飛び上がって「勝った!」と言ったら周囲の人たちが驚いていた。かれのスピード持続力を知っているから、あのリードで充分に勝てる確信がありました。

−ヘルシンキで2種目制覇、エルグルージュから祝福のメッセージがありましたか?
ラムジ−イチャムは、変わっていてほとんどわれわれと話すようなことはありません。そんなことは絶対に起きません。

−今季はシーズンが非常に長くなります。
ラムジ−アジア大会が12月ですからね。ヘルシンキ大会後5週間ぐらい軽いジョギング程度の走りで、完全休養をとりました。室内レースに一切出場せず、今年はシーズンを2回に分ける予定です。アメリカで屋外シーズンを迎え、3レース出場して3分33秒ぐらいのタイムを目標にしています。最初のピークはローザンヌGPかローマGLで自己記録更新を狙う予定です。欧州屋外シーズンを終えてから、少し休養して調子を落としてからアジア大会に向けて調整します。

−彼のポテンシャルはどのように考えますか?
ブーラミ−まだ、かれは若いので伸びしろはあります。身体的能力に非凡なものがあります。特に、天性のスピードと「リカバー力」は凄い!練習中でも軽く400mを46秒台を走るスピードがある。かれは「休火山」のように普段は物静かな男だが、レースになると爆発的なエネルギーを発散する。精神的な強靭さにモチベーションを加え、勝負への執着心もあり、負けず嫌いだからでしょう。

−訂正しなければならない点がありますか?
ブーラミ−調子が悪い時、疲れると上体が左右に揺れる。腕ふりが外に開くなど、訂正しなければならない弱点があります。

−今年の目標は?
ラムジ−今年はふたつの目標があります。1500mでの自己記録更新ですが、限りなく世界記録に近いもの。もうひとつはアジア大会1500m2連勝です。
ブーラミ−理想的には、サブ27秒まで持って行ければ最高でしょう。

−世界新記録の挑戦は?
ラムジ−現在のぼくの実力は、イチャムの記録が凄く高いので現状では力不足でしょう。これまで選手権では勝つことが最優先してきました。勝つためのレースであって、記録への挑戦ではないからです。しかし、やがてはイチャムの世界記録へ必ず挑戦していきますが、もう少し時間が欲しいですね。

−アジア大会800,1500m2種目優勝は?
ラムジ−2種目出場をどうするか決めてはいませんが、屋外シーズンの結果、体調などを見計らって決める予定です。

−GLジャックポット、100万ドルへの挑戦は?
ラムジ−(笑う)それよりも今季は記録への挑戦です。世界選手権大会で勝ったが、ぼくの1500mの記録はサブ30秒に入っていない。どこまで自己記録を伸ばせるか?記録への挑戦の年です。

−誰をライバルと考えますか?
ラムジ−アメリカに行けば、当然ベルナード・ラガート(USA,32歳)、ケニアの若い選手らのダニエル K。コーメン(22歳)、アイサック・ソンゴク(22歳)らの挑戦を受けるでしょう。

−これらの目標の先が五輪に繋がりますね。
ラムジ−なにごとも一挙にできません。北京五輪まで、毎年段階を踏んで北京五輪で優勝できるよう最善の努力をして行きたいと思います。

(06年月刊陸上競技誌7月号掲載)

(望月次朗)

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