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ハイレ、ケガを克服して史上初の3分台

マラソン新高速時代に突入

第35回ベルリン・マラソンで、ハイレ・ゲブレセラシエ(エチオピア、35歳)が、自らが持つ世界記録を27秒短縮する2時間3分59秒の世界新記録で大会3連覇、キャリア25回目の世界新記録を達成した。ポール・タガート(ケニア)が、03年ベルリンで出した史上初の2時間4分55秒から5年後、早くも3分台突入高速マラソンが実現した。ハイレは、「2時間3分20〜30秒では走れる」と自信を見せ、気象条件と調整が順調ならば2時間2分台突入の可能性もあることをほのめかした。マラソンで2時間の壁を破るには「これから20年はかかるだろう」と予測。それでも夢のサブ2時間に一歩近づいてきた。優勝賞金などで13万ユーロ(約2000万円)を手にした。また、ジェームス・クワンバイ(ケニア、25歳)もハイレに36km付近まで付いて走り、自己記録を5分近く短縮する2時間5分36秒の史上7位の好記録で2位。女子はイリナ・ミキテンコ(ドイツ)が2時間19分19秒の史上7位、今季世界最高、ドイツ新記録(従来の記録は、ウタ・ピッピヒの持つ2時間21分45秒)で優勝した。日本勢は、12月で40歳になる実井謙二郎(日清食品)が2時間12分48秒で7位、諏訪利成(同)が2時間13分4秒で8位。数日前より打って変わった気温10度、無風の理想的な気象状況だった。



ラッキーな世界新記録だ

ハイレは、チョットよろめきながら笑顔のいつものゴールだった。「とてもうれしい。1秒でも3分台突入、史上初の3分台の意義は大きい。ぼくにとってベルリンはラッキーな街さ!すべてが完璧だった。天候は一生に一度あるかないかの好条件だった。ふくらはぎを痛めて不安はあったが、ペースメーカーも完璧な仕事を成し遂げてくれたし、さらに36kmまで並走者がいたので予想以上にうまくいった。こんな好条件でもなければ世界新記録は難しい。競技場の中を走っていると錯覚するほど素晴らしい沿道の声援が何度も奮い立たしてくれた」と、何度も「ラッキー」を口にした。

恒例のレース2日前の記者会見で、1年前の優勝タイム「予言レース」のムードとは違った。ハイレは、「北京五輪10000mに出場したのは、とてもいいマラソンの練習になった」と言ったが、最高のコンディションで調整してきたが最終段階でつまずいた。「レース2週間前に左ふくらぎをけいれんを起こして少しの痛みがあった。大事をとって1週間完全休養。1週間前、一時は欠場まで考えたが、心配したふくらはぎの痛みも消えたので出場を決意した。丸1週間練習を休み、あとの1週間は軽い練習だったので、走ってみないと調子がわからない」と爆弾発言したため、会場の世界新記録期待ムードは消えてしまった。この時点で会場の関係者は、ハイレの世界記録はほぼ諦めた状態だった。ハイレは、「オレが出場するレースは、人は優勝は当たり前と思っている。周囲の期待は世界新記録以外になにものでもない。ここで5分で優勝してもだれも喜ばないさ!」と笑っていたが・・・、そんなプレッシャ−も励みに変えてしまうのが凄い。ペースメーカー4人。今春の賞金100万ドルが掛ったドバイマラソンで前半を61秒27で通過。後半に失速して2時間4分53秒に終わった苦い経験から、今回は62分30秒に決定した。

すべてのスプリットは14分台の高速

スタートは9時。初秋を迎えた街路樹が朝日を浴びて金色に輝く。無風状態の絶好のマラソン日和だ。ハイレは、スタート前に大勢のジョガーと一緒に写真に納まる余裕を見せた。ペースメーカーに挟まれるようにして先導。スタートから世界新への強い意欲で最初の5kmを14分35秒で通過、10000mを29分13秒で飛ばした。ジェームス・クワンバイ(ケニア、25歳)、チャールス・カマティ(ケニア、30歳、富士通)らの2人が後続する。昨年、2時間4分26秒の世界新記録と通過タイムを比較して10kmで11秒早い。20kmで18秒、ハーフで設定記録よりも25秒速い62分05秒、昨年と比較しても24秒も早い。30kmでペーサーの仕事が終わった。依然として、昨年より27秒早い世界新記録ペース。自己記録2時間10分20秒のクワンバイ、チャールス・カマティらの3人との争いになった。まず、カマティが脱落。ハイレとクワンバイの一騎打ちが36km付近まで続いたが、35〜45kmの5kmは、最速の14分29秒という終盤としては、驚異的なハイペースになったため、クワンバイが脱落してハイレの独走態勢になった。ブランデンブルグを潜ると、初めて300m先にゴールが視野に入る。ハイレが懸命に史上初の3分台突入に掛けて走る。華麗なランニングフォームが崩れない。ゴールまで高速ペースが落ちなかった。両手を真横に広げ、さらに高々と上げて、気持ちだけ身体が横揺れして笑顔でゴール。電光掲示板は、2時間3分57秒を示したが、公式発表は59秒に訂正。わずか1秒だが、ケガを克服して史上初の3分台突入、キャリア25回目の世界新記録を達成。昨年、終盤は向かい風に苦しめられながら2時間4分26秒の世界記録を大きく破る快挙だ。

マラソンに重要なことはスピードだ

ハイレは5月24日に開催されたヘンゲロGPでトラックに4年ぶりに復帰。トラックの練習も少なく、全盛期のスピードがなくなったとはいえ、今季世界3位の26分51秒20を記録。4回目の五輪出場を果たして6位だった。ハイレは、「距離の耐久力に自信があれば、マラソンに重要なことはスピード。そのためにも、今季トラック復帰は適切だった。マラソンで10km通過タイムが29分で走ることは、簡単なことだ」と、スピードの大切さを力説した。また、「後半に向けてスプリットタイムを上げていくには、スタミナとスピードの両方をハイレベルで保持しなければならない。それが高速マラソンの勝敗の鍵になる。その秘訣は、高地での起伏の激しいコースでの練習が必要になる。36km地点でスピードを上げたのは勝負どころ。でも、今だから言えるが脚が良く持ったよ」と、笑い飛ばした。今回の記録を5km平均に換算すると14分41秒の高速になる。すべてのスプリットタイムは14分台。最速スプリットタイムは14分29秒で最遅スプリットタイム(20km〜25km間:14分51秒)差が22秒という機械的な正確さだった。コースはほぼ平坦ながらも20km地点あたりから緩やかに上り、28km地点あたりまで約20m上がるためスプリットタイムが遅くなる。ハイレは、マラソンの高速化についてこう語った。「北京五輪マラソンでサミュエル・ワンジルの走りをTVで見た。かれの記録は、これまでの夏マラソンの概念を根本から覆した。驚いたね。ファンタスティックだ!かれの実力は、ジュニア10000mの世界新記録とハーフマラソンの世界記録のスピードをステップにマラソンに転向してきた選手。若いし、マラソン経験が浅いが、ポテンシャルは素晴らしいものがある。現在、エチオピア選手が長距離、マラソン世界記録を独占しているが、ケニア選手を侮ることは危険だ。ワンジル、クワンバイらの若手台頭が著しい。伝統的な長距離勢力のケニア、エチオピア、モロッコ、新興勢力のエリトリア、ウガンダ、ルワンダなどから、豊かなスピードを持つ中長距離選手がマラソンに進出する流れは今後も続くだろう。男子マラソンの進化は、ますます拍車がかかるって行くだろうね」

20年後、2時間の壁を突破か

ハイレが靴擦れをしたのでシューズについて訊いた。現在ではどうなっているか知らないが、日本では半世紀以上も前から、紙に足型を取ってタイガー(現アシックス)に送ると、サイズに応じて特注してくれたことを思い出した。驚いたことに、ハイレのシューズは市販されたもの。日本の事情を説明すると、「エッ!そんなのあるの。特注のシューズなんて履いたことがない!いつも向こうから送ってくれるものを使っているにすぎない。それしか知らないから比較のしようがないよ。(笑う)(五輪や世界選手権大会前、日本マラソン選手の特注のシューズが話題になるぐらい。軽量、選手の癖に合わせて手作りをするようだと説明すると)ホントか?」(話を疑ったようだ)

「今回で9回目のフルマラソン。距離に対応するメンタルの部分では、完全にマラソンに切りかえられたと思う。実績からの自信だね。その部分がトラックからの転向者にはかなり大切なこと。まだ、オレの限界はまだ先にあると思う。多分、最高の調整で気象コンディションがよければ2時間3分20〜30秒で走る自信はある。続けて、2分台突入の可能性もないとは言えない。だが、2時間突破は少なくとも20年後になるだろうね」と予言した。

ベルリン世界選手権に出場

ハイレ、タガートラのスピードランナーが、マラソンの記録も引き上げてきた。マラソンがスピードで勝負する種目へなってきた。ハイレは、もう直ぐキャリア20年になる。依然、ハイレの10000m26分22秒75、5000m12分39秒36、ハーフマラソンらのいずれも史上2位。五輪10000m2回優勝、世界選手権4勝など、輝かしい結果を残してきた。ハイレが92年世界ジュニアで優勝した時、すでに数年前引退した現早稲田競争部の渡辺監督が3位になっている。長いキャリアを誇っているが、ハイレはエチオピアの日常生活で二つの顔を持っている。「オレは走るのが大好き」と言って止まない。史上稀有な才能を持った偉大な長距離選手として、国民的英雄、エチオピアで最も有名人の一人だろう。また、ビジネスマンとして大成功。アディスに10階以上のビル4棟、不動産業、銀行、ホテル、学校、自動車輸入業など、500人近い人を雇っているビジネスマンでもある。かれの日常生活を目の当たりにして、この両方の仕事を両立しているエネルギーには恐れ入る。09年ベルリン世界選手権大会が開催される。ほぼ同じコースで2度の世界新記録を樹立、3連続優勝した「ラッキーシティ」と呼ぶだけに、初の世界選手権マラソン優勝を目指す意向だ。また、今年のドゥバイマラソンで前半の61分27秒のオーバーペースがたたり、後半、失速して世界新記録を逃したが、来年1月再び世界新記録と100万ドル獲得へのスケジュールが決まった。なぜ、再挑戦するのか訊ねると、「世界新記録への挑戦、100万ドルの賞金も面白いモチベーションさ。だが、前回の自分のミスが気に入らないさ」と、自己に厳しいアスリートの一面を見せた。飽くことを知らないモチベーション、長いキャリアの秘訣は、「故障しないこと。自ら限界を設定しなければ、長く走ることができる。まだまだ走り続けるつもりだ。健康であれば、ロンドン五輪も走るだろう」と。

これまでの自己記録が2時間10分20秒のジェームス・クワンバイが、ハイレに引っ張られ2時間5分36秒の史上7位の好記録を出した。クワンバイは、「あそこまで付いてゆくのがやっとだったが、自己新記録を伸ばして大変に嬉しい」ガブリエラ・ラサのグループの一員で、クラウディオ・ベラルデリがコーチ。コーチは「クワンバイのポテンシャルは高い。昨年のボストンで2位に食い込んだが、5分台を走っても驚かない。地道な練習が実を結んだ」

女子優勝者のイレナ・ミキテンコ(ドイツ、36歳、2児の母親)は、カザフスタンでドイツ系の家族(両親はドイツ国籍)に生まれ、1996年ドイツに家族全員帰国。1998年からドイツ国籍で中・長距離代表選手となる。07年ベルリンで初マラソンを完走、ゲテ・ワミについで2時間24分51秒で2位、今年のロンドンで2時間24秒14で初優勝。体調が思わしくなく北京五輪を棄権。「まさかサブ20の記録が出るとは思わなかった。夫が自転車で伴走しながら、ペースを指示してきたが調子が良かったので、指示を無視して走ったのが良かった。来年、地元の世界選手権で優勝を狙いたい」

実井謙二郎談「今ある力を出せればいいと思って走った。もう、自己記録に挑戦する気にはならない。うまくまとめることができ、前が落ちてきたので拾えて順位が上がった」

諏訪選手談「2週間サンモリツで合宿。ベルリンにくる前に体調が悪かったので、一時は欠場そのものを考えた。行けるところまで行こうと思って、最初は前に付いていったが、やっぱり速かった」

 
(08年月刊陸上競技11月号掲載)
(望月次朗)

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