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アンドレイ・シルノフ、悪夢から一転、五輪優勝

炭鉱の町からハイジャンパー

アンドレイ・シルノフ(ロシア、24歳)の出身地は、黒海に近い南ロシアのロストフ地方。かの有名なドン河に沿って発展したロストフ−オン−ドン市から西75km離れたシャティ(炭鉱の「たて鉱」の意味、人口22万人)市。あの勇猛な「コサック騎兵」もここら一帯が故郷とか。シャティ市は五輪ゴールドメダリストの町としても国内で知られている。6人の重量挙げ五輪優勝者、射撃、モスクワ五輪女子100mで優勝したリュドミラ・コンドラチェワ、北京五輪男子走り高跳び優勝者のアンドレイ・シルノフらの9選手を生んでいる。シルノフはカザン市で開催された北京五輪代表選考会で4位に終る。一時五輪代表選考から漏れたが、心機一転、ロンドン、モナコGPでそれぞれ2.38m、2.33mをクリーして滑り込み代表入りを果たした幸運児。北京五輪決勝戦で2.36mにバーは上がった。挑戦者は6名だったがシルノフは初回の跳躍でクリアー。他の5選手はいずれも失敗。シャティ市に28年ぶりに五輪優勝をもたらした。



五輪代表選考会の失敗は、自分に対しての怒りだった

伝統的に、ロシア男子走り高跳びの高いレベルと層の厚さは世界でも群を抜いている。北京五輪でロシア勢は1,3位を獲得。ベテランのフォロニン(2.40m、32歳)、リュバコフ(PB 2.38m、29歳)らを始め、若い世代の台頭も著しいく、若手のテレシン(2.34m、25歳)、シルノフ(2.38cm、24歳)、ウホフ(2.33m、23歳)、シュストフ(2.30m、24歳)らがひしめき合っている。ソ連時代を含むと、五輪優勝者は最多のアメリカについで5名と2番目に多い。シルノフは、身長198cmと高さにも恵まれ、今季の目標を世界新記録、世界選手権優勝をターゲットにシーズンに備えている。

−カザンで行われたロシア選手権兼五輪選考会で4位になったときの反応は。シルノフ−正直言って、4位になった失望というより自分に対しての怒りでいっぱいだった。それ以外に自分の感情のやり場がなかったこともありますが・・・、五輪出場ができない可能性も頭に浮かばず、とにかく無我夢中で次の試合に世界が驚くような記録を出してなんとか自分に見返したいと思っていましたね。ロシア選手権から1週間後、ロンドンGPでは五輪出場云々はこれっぽちも考えず、最善の努力をしてなんらか特別な記録達成だけに集中。できれば2.40m以上をクリアーしたかった。それからどんな希望と可能性があるかじっくり考えようかと思った。結局、昨季世界最高記録の2.38mを跳んだため、ザゴルルココーチが、「シルノフは北京五輪でメダル獲得をするだろう」と即座に代表選手入りを発表したんです。(注:正式にはシルノフとテレシンの2人の対決が五輪直前イルクーツクで合宿中に行われた。結果はシルノフが勝ったため、ロシア陸連の強い要望でロシア五輪協会に選手交代を要望した結果、シルノフが3人目の代表に正式決定した)

−カザンで行われた五輪代表選考会で、1位が2.33m、2〜6位までが2.30mの大接戦で明暗を分けました。ピーキングは1週間のズレが生じたのですか。
シルノフ−じゃあないと思いますよ。伝統的に、ロシアの男子走り高跳びレベルは高い。4年に一度の五輪選考会ともなれば、男子走り高跳びはなにが起きても不思議ではないんです。ぼくにとってついていなかっただけです。(笑う)

−モナコGPも2.33mで優勝、北京五輪で絶好調を迎えて、2.36mをただひとり1回目の跳躍でクリアーして優勝。五輪優勝は、五輪代表決定前より楽な試合だったですか。
シルノフ−ぼくの意見では、どんな大会でもこのレベルになれば楽な優勝はありません。正直言って、2・36mの跳躍前、イシンバエワが棒高跳び世界新記録をクリアーした瞬間、かなり刺激されましたね。最初の大きな国際選手権で優勝した06年欧州選手権大会で経験したおなじスタイル。2,3回目の跳躍を全く考えないで1回目の跳躍にすべてを集中して、確実に克服することが大切です。感情をコントロールして、集中力を高めてクールに対処することを心がけることです。だから見ている人は楽勝したと印象を受けるのでしょう。

−五輪前の準備期間中、最も難しかったことはなんですか。
シルノフ−五輪選考会2ヶ月前ですね。通常シーズン前の基本練習は、ヴァリエーションがあるのですが、ランニング、ウェイトなどが主力で単純なきつい練習です。キスロフォドスクで高地練習も行ったのですが、酸欠で苦しい思いもしています。シーズンを迎えれれば、それほど体力的にはきつい練習は減ってゆくのですが、今度は精神的にプレッシャーの疲労が激しくなってくる。特に、今回は五輪代表になった過程が違ったから、期待に添える結果を出さなければならないプレッシャーは感じていました。

−走り高跳び選手に高地練習が必要ですか。
シルノフ−ロシアの選手は高地練習は欠かせないと思っていますが・・・。

−昨季11戦7戦4敗、今世紀最高の2・38m、最低記録が2・30mを3回記録していますが、好調の背景はなんですか。
シルノフ−コンスタントに2.30m以上を跳ぶ技術が安定してきたことは、コーチのお陰と練習の成果だと思います。また、ロシア男子走り高跳びの国内レベルは非常に高いので、常に厳しい争いの中でもまれて成長してくる。国内で頭角を現すことが難しい。

−2.40m以上をクリアーする必要条件はなんですか。
シルノフ−まだまだ訂正箇所はいっぱいあります。技術的な話は跳躍、練習、試合などコーチから指摘されます。その訂正の繰り返しが技術の習得、向上になると思います。

−ソ連時代の男子走り高跳び最高記録は、1985年イゴール・パクリンが出した2.41mですが、環境、用具などの進歩があるにもかかわらず、ロシア記録はまだこれを越すことができません。
シルノフ−ぼくが生まれたのは1984年ですからソ連時代の環境、記録と比較はできません。が、ソ連時代の記録に現ロシア記録が追いつくことができないのが現状です。個人的にも、ロシア走り高跳び選手は、ソビエト時代の先人たちが残した偉大な記録に、われわれが追いつき追い越す目標記録になっています。

−五輪後、ロシア五輪優勝者がクレムリン宮殿に招待され、選手を代表してスピーチを述べましたね。
シルノフ−前もって代表スピーチをすることになっていたので、準備する充分な時間があったので、心の底から正直に表現したまでです。

−ロシア大統領と大勢の政界の要人を前にして、かなり大胆な発言で評判になりましたが・・・。
シルノフ−引っ込み思案ではないもできない。ロシアのスポーツ現状を大統領に直訴する絶好のチャンスです。それを逃す手はないでしょう。われわれスポーツ選手の現状を訴えて、選手待遇、練習環境の改善、サポートをお願いしました。一言もストレートな意見と述べることをできなければ、現役選手の意見が大統領に伝わることができません。社会の一員、または競技中であれ常にベストを尽くすことが大切です。

−シャティ市は、五輪優勝者が非常に多い町とか。その背景は。
シルノフ−それは説明が難しいですね。炭鉱の町ですから、力自慢の男たちが大勢います。ウェイトリフティングで6名の五輪優勝者がでたのは理解できますが・・・、陸上競技、射撃などの五輪優勝者は、スポーツ環境は優れているからだと思いますよ。ぼくの卒業した南ロシア州立大学など立派なスポーツ施設は整っています。実際、ギニス世界記録の本に「市民一人に、世界で最も多くの五輪優勝者を生んだ町」と記録されたとか。ぼくの父親ならその質問に誇らしげにこう言いうでしょう。「すべてが偉大なる河ドンから流れる新鮮な大気から生まれるもの」ぼくだって、帰省するたびにあの独特な新鮮な大気をエンジョイします。

−五輪優勝後、市民の歓迎はどうでしたか
シルノフ−素晴らしかった。28年ぶりの五輪優勝者が出たので、市長始め大歓迎パーティーで熱烈に招待してくれました。個人的には、競技を長い間サポートしてくれた家族、親しい知人、友人たちと優勝の喜びを分かち合いました。

−その故郷のシャティを離れて、いつ、なぜモスクワに住居を移したのですか。
シルノフ−04年モスクワ開催の室内競技で優勝したとき、長年指導してくれたセルゲイ・スターヤ・コーチと共に、国内でもっとも有名な走り高跳びコーチ、ザゴルルコ ナショナルコーチの練習に参加。モスクワに住居を移してから、ザゴルルコからコーチを受けるようになったからです。住居をモスクワに移したのは、コーチの指導を受けられること。頻繁に国際試合に出場するためビザ獲得手続き、ロストフからモスクワ経由で西側に飛ばなければならないため大変に不便なためです。

−2人のコーチの違いはありますか。
シルノフ−スターヤとザゴルルコーチの違いは、豊富な国際試合の経験の違いでしょう。ザゴルルコーチは、世界のトップクラスの選手指導は手馴れたものです。

−走り高跳びの動機といつから始めたのですか。
シルノフ−10歳ごろ、三段跳び選手だった兄コンスタンティンの競技大会を観戦して、すっかり陸上競技のとりこになったのです。最初は三段跳びをやっていたのですが、身長が伸びると共に、三段跳びより走り高跳びに転向しました。

−今年室内競技を完全休養していますが、なぜですか。
シルノフ−五輪後は休みなく調整を続けて大会に出場ました。プロである以上競技化に出場して生活費も稼がなければならないが、これらの出場した大会は、五輪前に契約を済ませたので義務を果たしたまでです。シーズンが終了するとともに、五輪優勝歓迎レセプションが方々で行われたので、いつもより冬季練習スタートが1ヶ月以上遅れてしまったからです。ゆっくり休養することも練習のひとつです。

−だれが走り高跳び選手で理想的な模範選手ですか。
シルノフ−ロシア人ならシドニー五輪で2連勝確実視されていた世界記録保持者のハビエラ・ソトマヨール(キューバ、2.33m)を破って衝撃的な優勝を遂げたセルゲイ・クリュージン(ロシア、2.35m)でしょう。かれは競技者としてだけではなく、競技を離れても人格者として多くの人の尊敬を集める素晴らしい人です。

−しかし、かれの名前を覚えているような人は陸上競技専門家だけですね。あなたはどう思いますか。
シルノフ−スポーツの栄光なんて風のように流動的でしょう。ぼくの名前もスパイクを脱ぐとたちまち忘れるだろうと思っています。例え、遅かれそのような状況になっても、嬉しくも恐れもしないでしょう。ただ、長らく世界に名前を残すなら・・・、2・50mを飛ぶことかな・・・。(笑う)

−大学の専攻はコンピューターのプログラマーとか。コンピューターを使って技術習得、訂正、管理ができますか。
シルノフ−ぼくは機械が、デリケートな人間の動きが理解できるとは思わないので使ったことはありませんね。

−最後に、今季の目標は。
シルノフ−まず、今世紀に入ってまだだれも跳んだことがない2・40m以上、できればロシア記録更新と世界選手権優勝を目標に掲げたい。このふたつが大きな目標です。

 
(写真、記事、Robert Maksimov 、Jiro Mochizuki)

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