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福岡2連覇のツエガイ・ケベデ、ハイレの世界記録を破る可能性が見えてきた

ツエガイ・ケベデ(エチオピア、22歳)は、07年9月21のアムステルダムマラソンを2時間8分16秒で走り8位になった。その時の印象は全くない。2ヶ月後、Great Ethiopia Runと呼ばれるエチオピアの首都アディス・アベバで毎年開催されるアフリカ大陸最大の10kmロードレースで優勝。小柄で童顔のランナーだが力強い走りを見せて圧勝したことは覚えている。ハイレ、アベラ、イフターらの五輪優勝者らに祝福され、写真撮影に応じて恥じらいを見せたのは初々しかった。その5ヵ月後パリで再会、まさか2時間6分40秒で優勝するとは想像を超えていた。その後、順調に世界のトップランナーに成長。北京五輪3位、続く福岡で2時間6分10秒の大会新記録で優勝。09年ロンドンで2時間5分20秒の自己新記録でワンジルに次いで2位。ベルリン世界選手権25km地点から腹痛を起こしたが辛うじて完走、それでも3位に食い込み粘り強さも証明した。09年福岡で大会記録を大きく更新して2時間5分18秒の歴代9位の快走、日本初の5分台の高速マラソンを実証した。1年間で52秒短縮したことになる。これほど短期間に世界トップ選手としての実力をつけてきたエチオピア選手は過去に例を見ないという。今はハイレ、ワンジルに次ぐ世界最強選手の一人に数えられるまでに成長してきた。エチオピア滞在中、ケベデの練習を数回取材して福岡に送り出した。 

ぼくは福岡で成長できた

長距離王国のエチオピア、ケニアの選手が成功すると、なによりも真っ先に大きな変化が露わになるのが巨大な車の購入だ。エチオピアではトヨタの四駆が最も魅力あるターゲット。巨大なのが好まれる。金のある選手はキャッシュで買いにくるという。トップ選手は皆この手の大きなのを乗り回している。それが成功の「証」ステータスのシンボルであることは間違いないだろう。しかし、ケベデは半年前これまで2年間住んでいた「キャンプ」と呼ばれるグローバル・スポーツ・コミュニケーション(以下GSC)社の合宿所近くに、車購入を後回しにして、1110平米の土地付きの家を約20万ブル(約1500万円近くか)で購入。18歳を年長に5人の妹たち(13人兄弟、ケベデは5人目)を養って学校に行かせている。意外にもちょっと堅実なライフスタイルの持ち主だ。

質素な雰囲気とは場違いな、あでやかな極彩色の福岡マラソンで獲得した副賞の七宝焼きの絵皿のある居間で福岡に飛ぶ前こう語った。

「今年の福岡の天気はどうですかね。福岡は相性がいい好きなコース。レースは多少寒いほうが好きですね。調子は昨年より良いと思います。でも、多少の気持ちの不安を抱えています。問長い距離を押して行くと腹痛を感じる時があるのでちょっと怖いです。その点だけが難点。ロンドンでも後半腹痛を起こしてワンジルにやられたし、ベルリン世界選手権は原因不明の腹痛が25km地点からゴールまで続き満足に走れなかった。あれさえなかったら優勝できたと思っています。ベルリンの二の舞は踏みたくありません。福岡も天候次第。天候さえよかったら少なくともコース新記録を目指し、さらにがんばって5分台を目指したいと思っています」

それから6日後、ケベデは優勝カップ、焼き物の人形をなど携えて帰国。自信に満ちた笑顔で福岡マラソン、今後の抱負などを聞いた。

―優勝おめでとう。良かったね!
ケベデ―(満面に笑みをたたえて)ありがとうございます。2秒だけでも自己記録を更新して大変にうれしく思います。練習仲間のテスファイェも自己新記録を大幅に破って2時間8分36秒で4位になった。

―結果を知ってハイレも「ファンタスティックな記録!」と驚いていたよ。
ケベデ―(笑いながら)ホントですか。運も良かったんですよ。朝起きるとかなり風があったので失望しましたが、レースが始まるころから風も止んで、25から30km付近で多少風を感じた程度だったので神も味方してくれました。

―あれは予想外の記録?
ケベデ―記者会見で昨年出した大会記録更新を目標と言ったし、調子が良ければ5分台を積極的に狙ってゆくと言ったんです。調子が良いことは分かっていたが、正直あそこまで記録が出るとは思わなかった。これといった強い選手がいなかったので、どこまで一人で押してゆくことができるかわからなかったし、強く押すと腹痛の心配もあり勝つことを最優先にしたので記録はそれほど期待できない状況だった。ですから結果は予想以上に良かったですね。1kmを3分、ハーフ62分30秒前後を予定したが、実際には63秒05と少しスローペースだった。コーチからは「前半はペーサーについて行け、後半思いきって走れ!」と指示されていて、前半を多少抑え気味に慎重に行ったんです。前半、ペースメーカーが不安定だった。それと腹痛がいつ再発するかわからない不安があったので身体にききながらあくまで慎重に走ることが第一でした。でも、前半はスローだった。(苦笑)

―後半が素晴らしい走りだった。
ケベデ―そうですね。後半の走りは満足していますが…、ペーサーがもう少し粘ってくれたら・・・、30kmまで持たなかったんですよ。ハーフ通過タイムが予定より少し遅れたので25km過ぎてからペースアップ。30km手前で腹痛も感じなかったのでさらにペースアップして走りました。30−35,35−40kmを14分37のハイペースで通過したにもかかわらず、ゴール直後全く疲れを感じませんでしたね。もう1回フルマラソンを走れそうな感じだった!(笑う)

―ビキラ・アベベのようなことを言う!
ケベデ―ホントですよ、全く疲れがなかった!今頃になって言ってもなにも変わることはないだろうが…、コーチは、「前半からもう少しのスピードで入っていたら、たかが18秒ぐらいの短縮は可能で、軽く4分台に入っていた」と言っていました。

―ハイレの持つ世界記録への挑戦が可能になったと思いますか。
ケベデ―(笑顔で)はい!マラソンを始めた動機がいつかはハイレのように世界の舞台で活躍すること、ハイレの世界記録への挑戦、五輪優勝することでした。これまではハイレの持つ世界記録への挑戦は2年先と予測していましたが、意外に早く近い距離に近づいてきました。福岡の走りでハイレの世界記録挑戦がかなり現実に近づいたと感じるようになりました。コーチは福岡でのレース前記者会見で「世界新記録の可能性」もあると言っていたが誰も相手にしなかったようです。ハイレの世界記録を破ることは簡単なことではないと思うが、コース、気象条件、ペースメーカー次第では、いつでも破る能力が付いてきたと感じますね。(注:ハイレは、「世界記録を破りそうな近距離にいるのはケベデ、ワンジルらの若い力。かれらの能力はファンタスティックだ!」とコメントしている。また、ケニア在でマーティン・レルらを指導するクラウディオ・ベラルディリは、「後半の走りは素晴らしい。現世界記録を破れる可能性を秘めた少ない選手の一人だろう」と言って賞賛した)

―今春のロンドンでワンジルとの対決が期待されるが、あのワンジル独特の極端にペースを上下する揺さぶり走法、相手ペースを乱し潰す作戦どう思いますか。
ケベデ―ワンジルはタフなランナーだと思うが、あれはクレイジーな戦法。あれがかれのスタイルだろうが、実力差があるとかれの作戦は精神、肉体的に相手に与える衝撃は効果的だろうと思うが、レース歴が豊富で実力が接近している状況にあれば、それほど目先の動きに惑わされることなくマイペースで走ることができると思う。昨年、もっと大事な勝負どころで腹痛を起こしてワンジルとまともに対戦できなかったが…、次回でかれと一緒に走るのは3回目。対等に勝負できる調整をしたいと思います。ワンジルは世界記録に最も近い選手だと尊敬しています。

―その対処法は?
ケベデ―大方の選手は慌ててかれを追ってペースを乱されるのが落ちですね。かれの作戦に乗らないでクールに対処してマイペースで走ることが肝心でしょう。しかし、これをかなりの高速でやるので、ワンジルに匹敵する実力がなければどちらにしても潰されます。かれもあの走りは体力的にもきついはずです。ですから、かれを上回る走りができればかれは自滅するでしょう。

―ハイレとワンジルを比較して、どちらがマラソンランナーとして凄いと思いますか。
ケベデ―疑いなくハイレでしょう。これはコーチも言っていますが…、ハイレの日常生活のプライオリティは走ることを第一にしているが、とにかく朝から夜まで分刻みの超多忙の人。あんなトップ選手は世界にただ一人。ハイレだからやっている。20年近くも世界トップ選手として活躍、衰えを知らない現役マラソン世界記録保持者だ。かれが2度マラソン世界記録を塗り替えたレース、ドゥバイでも世界記録更新ならずとも2回とも、30km前後からゴールまで完全な独走状態で完走している。並の選手じゃあとてもできることではありません。ワンジルのポテンシャルも凄いと思いますが。ハイレの輝かしいキャリア、史上最強選手とワンジルはまだ比較の対象にならないでしょう。

―数年前までは山で薪を集めてマーケットで200円前後の売り上げで、ときには1日2食で済ませたこともある極貧生活からマラソンで稼ぎ家を持つまでになった。車でなくて家というのもエチオピア選手では珍しいですね。
ケベデ―ぼくは車も欲しいが現状では家のほうが必要に迫られています。車がなくても困らないし、練習にはキャンプからみんなと一緒にバスで動けるので不自由はしていません。なにしろ家は大家族なので、ここに5人の妹を引き取って面倒を見ています。妹たちが手分けして日常生活、食事の支度、洗濯、掃除などしてくれるので助かるし、ここから彼女たちが学校にも行ける。

―この次は車を購入ですね。
ケベデ―多分、そうなるかもしれないが…、まだ車の免許も取ってないし、練習で忙しくてその暇もありません。今のところぼくの1日は練習で始まり練習で終わるような毎日。マラソンランナーとしてすることは山ほどあります。暇なときはなるべく身体を休ませるようにしています。

―ボクシングは、「貧者のスポーツ」と呼ばれるが、エチオピア、ケニアのトラック、ロード競技はまさにこれに匹敵するといっても過言ではないと思う。「ハングリー精神」「根性」は、マラソンにとって非常に重要な要素と思いますか
ケベデ―良くわかんないが、確かにエチオピア選手も貧しい家庭出身者が多いが、多分、ぼくより貧困家庭出身の人は少ないだろうと思う。ぼくは走ることが好きで走っていたが、あの環境から抜け出すただ一つのチャンスが走ることだったんです。早く強くなりたい、金を儲けてあの惨めな生活から脱出したい目的意識が強かった。だからキャンプ入りを許可され、衣食住が保証され、好きなランニングを朝から晩までやって、飯の心配もない環境に身を置けたことは天にも昇る気持だった。だから、レースでも簡単に負けるわけには行かないんです。それが「ハングリー精神」と言うならば、ぼくは人より遥かに強いものを持っていると思います。ぼくには後がありません。

―ロンドン対策、または世界記録への挑戦に練習プログラム変更など、必要ですか。
ケベデ―ぼくはコーチの指示に従って練習を消化するだけですが、コーチは特別な練習は必要ないと言っています。ロンドンは世界選手権、五輪とも違う世界最高の選手が一堂に集まってくるレース。金(出場料、賞金とも)もイイしやりがいがありますね。しっかりと調整して最高の調子に仕上げて出場したい。もちろん、優勝を狙います。

 
(10年月刊陸上競技2月号掲載)
(望月次朗)

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