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新設ユース五輪、開催されたことに意義がある

IOCジャック・ロゲ会長が積極的に提唱して創設した「ユース五輪」の第1回夏季シンガポール大会が、8月14−26日(陸上競技は17−23日)の13日間の会期で開催された。この大会への参加は、14−18歳までの年齢制限がある。選手約3600人が205カ国・地域から参加。26の競技で競い合い、単なるスポーツだけではなく教育・異色文化交流を含む大会だった。ロゲ会長は「単なる五輪のミニチュア版ではない」と、世界中の若者が集い平和を唱え、五輪の過剰な商業主義や肥大化、ドーピング問題を含め、若者がスポーツの原点を見つめ直そうという理念だ。陸上競技の場合、ロンドン五輪組織委員長のセバスチャン・コー、現男子棒高跳び世界記録保持者のセルゲイ・ブブカ、女子棒高跳び世界記録保持者のイェレナ・イシンバエワらを招き若い選手らとパネルディスカッション、リクリエーションをとり入れるなど、まだ手探り状態の印象を免れないが、会長は「スタートしたことが重要」と言うように、スポーツへの異色で試験的な取り組みが見られた。勝利至上主義に走らないよう、国別メダル数も発表しない。だが、競技が始まればそこはスポーツ選手の本能、勝敗がおのずから先行する。現場サイドはやはりメダル獲得数にシビアになり結果を重視するのが現実だった。リオ五輪を考慮してかブラジル取材陣が目に付いたが、その他の国からの取材者は予想外に少なかった。陸上競技会場のビシャン競技場は小さく、多くの大学生ボランティアの献身的な働きで円滑に運営された。ロゲ会長は五輪最終日の26日、記者会見で「期待をはるかに上回る大会だった」と総括。4年後、今回の経験を踏まえて多少の手直しを約束、次回夏季大会が開かれる中国・南京で再会を期して閉会した。「ユース五輪」は、まだ初期段階。歴史的な一歩を踏み出しことに意義があると言えようか。

日本ユース五輪大活躍、4個の銀メダル獲得

日本陸上界の若き世代が期待以上に発奮。歴史的な第1回ユース五輪シンガポール大会に足跡を残した。高温多湿、時々激しく襲うスコールなど、かなり厳しい気象条件下だった。日本からアジア地区予選を通過した男子11人、女子8人が出場。1か月前、日本勢がカナダで開催された世界ジュニアであげた驚異的な成果にほぼ匹敵する、一部の参加選手のレベルが極端に低かった例もあったが、男子100m、200m、走り幅跳び、女子5000m競歩でそれぞれ銀メダルを獲得して気をはいた。陸上競技は17−23日、大きな近代的なモスクと体育館が隣接、仮設バックスタンドの小さなビシャン競技場で行われた。ここはユース五輪アジア地区予選会も行われたスタジアム。日本選手になじみのある場所。実際の競技運営審判は、大人のスーパーバイザ―は陰に回り、特訓を受けた大学生のボランティアたちが見事に規律ある時間厳守の競技進行を行った。若い選手に大きな負担の掛る中距離種目を1000mに置き、通常の800,1500m種目を省いている。初日から3日間の午前中の競技は予選だけ。午後と中4日目競技がなかった日は、かつてのスパースター選手らとのパネルディスカッション、文化交流などの教育プログラム参加が義務づけられていた。予選通過者は、残り3日間の各種目決勝A,B,Cなど、出場選手全員がクラス別に分けられた決勝があった。ただし、予選で明らかに圧倒的な実力差が出たレースなどが見られ、将来このようなギャップをどのように埋めることができるか、ある種の課題も浮き彫りにされた。日本人メダル獲得者の声を聞いた。

シーズン開幕前から、国内メディアはルメートレの走り、白人最初の歴史的サブ「10」チャンスを執拗に追いまくった。その重圧からか、再三のレースでフライング失格や気象条件に恵まれず、サブテンの「壁」を破ることができなかった。しかし、7月9日、ヴァランスで開催されたフランス選手権で、歴史的な白人選手による9秒98、その翌日、得意な200mで20秒16のフランス新記録を樹立した。南アワールドカップでのフランス・サッカー内部崩壊の暗いニュースを一掃する快挙だった。フランス国内でサブ「10」は大騒ぎしだが、外国では相手にもされまい。

梨本、日本選手初メダルを獲得、メダルラッシュ

男子100m予選は、大会2日目の午前11時20分にスタート。梨本直輝(市船橋2年)は、抜群のスタートで予選第2組を10秒74のトップ通過。記録の順に、自動的に決勝の振り分けがA〜E組に分けられる。予選終了時に、梨本の記録は3位の好記録で予選通過、決勝A組に入った。ちなみに予選で最も遅かった選手の記録は12秒45だった。予選トップ通過のデイヴィッド・ボラリンワ(イギリス)が10秒62、2位はスタートに遅れたものの、優勝候補筆頭のオダネ・スキーン(ジャマイカ)が10秒63で通過。梨本を含む上位3人が突出した記録で予選通過。この時点で梨本がメダル獲得至近距離に入ったことが予想された。男子100m決勝B〜E組は予選から3日後の午前中に消化され,梨本が出場した決勝A組は夜9時10分、この日のハイライトの最終レースだった。

梨本は決勝後、淡々とこう語った。「スタートはいつものように良いスタートを切れましたが、途中までトップでいけたが、中盤で並ばれ後半になってやられました。これまで自己記録はインターハイ予選南関東大会で出した10秒54、決勝はそれを更新した51ですから悪くはないのですが、ここで優勝を逃がして2位ですから…、なんとなく満足できません。でも、確実に進歩した実感があります。今回は相手が強かったですね。中学時代から国内で同年代に負けたことがないのでが、アジア地区予選会での3位から少しは上に上がれたかな、といった感じです。メダル獲得より、レースや大会を楽しんでこようと思っています。インターハイ後、特にこの大会に向けて調整はしてこなかったのですが、河口湖で数日の合同合宿を消化してきた程度です。これまで世界ジュニア200mで優勝した飯塚さんらと一緒に合宿経験したので、世界ジュニアで優勝したことに驚き、興奮しましたね。先輩たちの活躍は、われわれに大きな影響、刺激を与えてくれました」

男子200m 2位、本間圭祐(川崎橋3年)銀メダルもライヴァルに競り負けて複雑だ

本間は予選4組を21秒74で3位通過。「調子は普通の感覚だった」と言う。アジア地区予選で本間と激戦を演じたジェネ・シェ(中国)が21秒27で全体のトップ通過。決勝は中3日後の夜の最終レースだった。スタートから4コースの中国選手が5コースの本間を猛烈に追う両者の一騎打ち。先行したのは本間だが、ホームストレッチ半ばで中国選手が追い上げ、並走、ゴール前で抜かれ僅差で中国選手に競り負けた。優勝タイムは21秒22、本間は21秒27だった。

「いや〜!2位になって嬉しいやら、この競技場で開催されたアジア地区大会決勝で競り勝った相手に今度は逆転され、大事な本番レースで優勝を逃して悔しいやらの複雑な気持ちです。でも、まずまずの結果じゃあないですか(苦笑) 母親に電話すると、泣いて喜んでいましたね。普段は『頑張ってこい』ぐらいの感覚ですが、ユース五輪銀メダル獲得と言うことで驚いているようでした。ぼくとしては自己記録更新、今季ベスト記録さえ更新することができず2位になってしまったんですから、ちょっと簡単に喜べないものがあります。中国選手の予選レースを見た感じでは、調子がいいことはわかっていました。ぼくはインターハイとユース五輪両方を目指して調整してきました。確かに、ぼくは前半の走りがかなり良かったんですが、あの選手だけには負けたくなかった中国選手に14.50mで並ばれ、足がバタバタしてきつくなって後半追いこめなかったです。課題の後半の伸びがいまひとつ駄目でしたね。世界ジュニアの飯塚さんの走りは凄かった、感動しましたよ。ぼくもここであのような走りをしたかった。昨日、梨本が100mmで2位なったレースをTVで見て大いに刺激されました。自分も決勝は優勝狙いだったが・・・、届かなかった」と苦笑した。

男子走り幅跳び

大会2日目の午前中、15名の選手によって予選が行われた。予選の跳躍は4回で決勝AとB組に振り分ける。その結果、松原奨(東海大翔洋2年)は、尻上がりに調子を上げて、6.90、7.15,7.39.4回目に自己新記録7.51mを跳んで4位の好位置につけて予選通過。決勝は中3日置いた8月22日、梨本が銀メダルを獲得した翌日の午前中だった。日本勢はこの日、午前の男子走り幅跳び決勝で、松原が最後の4回目の跳躍で自己新記録7.65mを樹立して銀メダルを獲得。日本選手メダル獲得に勢いを付けるきっかけとなった。走り幅跳びのA,B組のピットは、小学生で埋まった仮設スタンド前、バックストレッチの外側に並行してある。1回目の跳躍でキューバ、南ア選手が7.40台を跳んだ。松原は1回目に7.11m、2回目に7.41mを跳んで、一挙にメダル獲得圏内の好位置に付けた。松原は、「3回目に入るとぼくを含めた4選手での7.50m前後の攻防が激しくなってきた」と言うように、回を重ねるごとにトップ4選手の力が極めて接近していたのがわかる。3回目の跳躍トップのルドルフ・ピエナール(南ア)が7.53を跳んでトップに躍り出たものの、それまで1,2回をファウルしたカロ・ドス・サントス(ブラジル)が、7・58mを記録して一挙にトップ躍り出た。続く松原も刺激されたのか、7.50を跳んで3位に食い込み目優勝争いはこの3人に絞られてきた。4回目の最後の跳躍、6人目の順位で跳躍したドスサントスが7.69に記録を伸ばし、かれの次の跳躍の松原も自己記録を大きく更新する7.65mを記録したが、4センチ差で2位に甘んじなければならなかった。「予選結果からある程度の記録で跳べばメダル獲得のチャンスがあるのではないかと思っていました。自己新記録、メダル獲得の二つの目標がしっかり果たせたことで満足しています。レベルの高い試合で2位は大変に嬉しい」

女子3000m 2位、九馬萌(綾部幸2年)

大会最初のトラックレースが女子3000m予選だった。20名が出場したが、その25%が高温多湿の厳しいコンディションで途中棄権。決勝をA,B組に仕分けするために行うような予選は全く無意味なレースだった。トップと下位選手の実力差は、2分以上と極端なギャップがある。九馬萌、「最速ツインズ」の妹が出場。グラディス・チェサー(ケニア)が、自己新記録9分25秒44で独走してトップ通過。九馬は9分35秒33の2位通過。この時点で九馬のメダル獲得は確実と期待された。決勝レースは、中5日間のブランクを置いた8月22日の夜だった。決勝進出を決めた選手は10名。九馬は、「決勝前日、おねえちゃんから『がんばれ!』のメールが届いた」と言う。その激励の影響か、九馬はスタートから積極的に前を追った。レースはケニア選手で優勝記録は9分13秒56の自己新記録での圧勝。九馬は9分23秒70で2位。レースの印象をこう説明した。「スタート直後から、トップから離れないようにしてエリトリアとケニア選手の先頭について行きましたが、しかし、1kmを3分そこそこのハイペースでケニア選手らが通過。全然違う早いペースなので、自滅しないようマイペースを心掛けてペースダウン。やはり高温多湿な環境から後半の体力を心配、3番目を目標にした作戦に切り替えそれ以上を望むとリスクが大きいと思いました。エリトリア選手が後半落ちてきたので2位になれて良かった」と、表彰台で嬉しそうにセルゲイ・ブブカらに祝福された。

 
(2010年月刊陸上競技10月号掲載)
(望月次朗)

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