ゲンゼベ・ディババ（エチオピア）が，国際陸連の「2015 最優秀選手賞（女子）」を受賞。世界に類を見ない長距離一家��ディババ・ファミリー�≠ﾉ新たな栄冠が加わった。ファミリーの四女であるゲンゼベは，1993 年に中国・馬軍団の曲雲霞が樹立し，「破るのはほぼ不可能」と言われていた女子1500 ｍの世界記録（３分50 秒46）を22 年ぶりに塗り替える３分50 秒07 を７月のダイヤモンドリーグ・モナコ大会でマーク。三女・ティルネシュの5000 ｍに続き，姉妹で世界記録を持つ。８月の北京世界選手権で初優勝を果たし，その活躍も認められての最優秀選手賞。姉・ティルネシュ夫妻宅に住み，徹底的なチャンピオン教育を受けながら成長し，期待に違わず大ブレイク。エチオピアの首都・アディスアベバ滞在中に数回にわたって彼女を取材し，これまでのプロセスや今後の抱負などを聞いた。

やっと「ディババ･ファミリー」のレベルに達した

―― 国際陸連「2015アスリート･オブ･ザ･イヤー」（最優選手賞）の受賞，おめでとう。
ゲンゼベ　ありがとうございます。
―― 義兄のシレシ・シヒネによると，11月26日に受賞の知らせを聞いた途端，飛び上がって喜んだとか。
ゲンゼベ　姉のティルネシュも受賞していない賞を予想外にいただけたので，本当に光栄なこと！（注：エチオピア選手の同受賞はハイレ・ゲブルセラシェ，ケネニサ・べケレ，メセレト・デファーに次ぐ４人目）。今年度は（国際陸連前会長らのスキャンダル発覚の影響で）華やかな表彰式が中止になってしまったのは残念ですが，私を選んでくださった方々に感謝しています。この賞は皆さんから「もっとがんばれ」と期待を込めていただいた��激励賞�≠ﾆも受け止めていますので，これを機にさらにベストを尽くしたいと思います。
―― ７月のモナコＤＬの1500ｍで22年ぶりの世界新記録を樹立して世界を驚かせましたが，その準備状況は？
ゲンゼベ　特別な練習はしていませんでした。2015年の大きな目標は姉が持つ5000ｍの世界記録（14分11秒15＝08年）を破ることだったので，1500ｍでの世界新は予定外。９日前，バルセロナで走った1500ｍは３分54秒11の自己新。確かに調子は良かったです。その記録が��過去13年間での世界最速�≠ｾと知り，うれしくなって世界記録に挑戦しようと思いました。失うものは何もありません。モナコでは「とにかく，行けるところまで行こう」と思い切ってスタート。それが良かったのか，意識過剰にもならず，後半は自分でも驚くぐらいの走りができました。これは，神様のお陰です。
―― 記録を出した本人が一番驚いた？
ゲンゼベ　ホント！驚きましたね。エチオピア選手が1500ｍで世界記録を出したのは男女を通じて初めて。姉たちとちょっと違った種目だったのがうれしかった。
―― あなたのコーチは？
ゲンゼベ　ジャマ・アデンという，米国で教育を受けたソマリア人です（注：ソマリアから米国籍に変えた元中距離選手。自己記録は800ｍ１分47秒，1500ｍは３分37秒／スーダンの英雄，世界室内選手権男子800ｍＶ２のアブバケル・カキ，ロンドン五輪男子1500ｍを制したアルジェリアのタウフィク・マフルーフィ，2014年世界室内選手権1500ｍ王者であるジブチのアヤンレ・スレイマンらのコーチ経験がある）
―― 一方，ティルネシュの持つ5000ｍの世界記録に再三挑戦したが，あと一歩およばず，７月上旬のパリＤ Ｌ での14分15秒41（世界歴代４位）が最高。世界記録への課題は？
ゲンゼベ　やはりハイスピードで長い距離を走り続けられる体力でしょうか。まだまだ力不足です。でも，姉の持つ世界記録は以前よりはるかに現実的になってきたことは確か。最高の調子，良いペースメーカー，気象条件，運などがうまくまとまれれば記録更新ができるでしょう。
――ティルネシュの世界記録は，2008年のオスロＧＰで出したもの。次女のエジェガユーが３位，当時17歳のあなたが７位だったレースでした。
ゲンゼベ　私があのレースに出場できたのは姉と一緒だったから。��おまけ�≠ﾌような存在。でも，姉の世界記録は私がぜひ更新したい！　姉の存在は高嶺の花。かつては姉の記録を破るなんて夢にも思わなかったけど，一歩でも近づく努力をして「ディババ・ファミリー」レベルに到達するのが目標でした。それがやっと叶ったわ。
―― 家の中と外では存在が違う？
ゲンゼベ　家の中では小さくしています（笑）。姉夫妻は私に余計なプレッシャーをかけませんが，外に出ると「ディババ」という名前だけで，当然のように周囲は優勝かそれ以上の期待をかけてきますね（苦笑）。最近は慣れましたが，それだけ期待されている証だと思っています。
―― エジェガユー，ティルネシュ，シヒネらからどんなアドバイスを受けますか？
ゲンゼベ　私もそれなりに国際レース経験が多くなったので，最近は姉たちから細かなアドバイスは少なくなりました。
―― ところで，2013年から急激に力をつけ，今年度は5000ｍであなたと競り合っている同じエチオピアのアルマズ・アヤナ（24歳／自己記録の14分14秒32は世界歴代３位）は，ティルネシュとメセレト・デファー（32歳）と同じようなライバル同士と思いますが，アヤナの存在をどう見ていますか？
ゲンゼベ　勝ったり負けたり，力は伯仲している。アルマズは年ごとに成長。素晴らしいランナーだと思います。彼女は間違いなくリオ五輪5000ｍの優勝候補筆頭。私はラストのスプリント争いなら自信はありますが，彼女のロングスパートはすごい。

リオ五輪は5000ｍと10000ｍの２冠に挑戦

―― 北京世界選手権では1500ｍと5000ｍの２冠を目指したものの，5000ｍはアヤナに完敗。リオ五輪ではどちらか１種目に絞りますか？
ゲンゼベ　確かに北京では２冠を狙って失敗。1500ｍを３本走ったのは予想以上の疲れがあり，5000ｍの予選も経て，５本目のレースが5000ｍ決勝でした。リオは北京より気象条件が厳しいところと聞いています。また，距離の短い1500ｍは予測できない突発的な事故の起きる可能性も高い種目。姉やシヒネらとも日常的に確実に金メダルを獲得できる最良の手段を考えています。リスクが大きい1500ｍは回避し，5000ｍ，10000ｍの２種目に懸けるかもしれません。
―― でも，10000ｍの経験はないでしょう。
ゲンゼベ　経験も必要でしょうが，5000ｍランナーが10000ｍを走るのは，姉らも言うようにそれほど難しいものではありません。五輪前に代表選考レースがどこかで開催されるので，そこで３位までに入れば出場権を獲得できるはず。ティルネシュ，デファー，アヤナ，ゲレテ・ブルカ（北京世界選手権10000m ２位）らの新旧入り混じっての大激戦。選考レースそのものが五輪の決勝のような激戦になるでしょう。
―― 少し古い話だが，あなたは2014年の室内シーズンにわずか15日間で３個の室内世界（最高）記録を樹立（２月１日に1500ｍで３分55秒17，２月６日に3000ｍで８分16秒60，２月15日に２マイルで９分00秒48）。あれは，狙っていたものですか？　
ゲンゼベ　いつかは派手に世界記録を破ってみたいと思っていました。
―― ３種目での世界記録樹立は，ジェシー・オーエンス（米国），ウサイン・ボルト（ジャマイカ）に次ぐ史上３人目の快挙とか。
ゲンゼベ　室内レースは大好き！私は堅い路面が大好きなんです。
―― 2014年の屋外シーズンはハムストリングスの故障もあって期待外れでしたが，2015年は室内の5000ｍでも14分18秒86という驚異的な世界記録を樹立して屋外シーズンに弾みをつけ，特別な年になりました。そして，リオ五輪では２冠を目指す。
ゲンゼベ　リオ五輪ではティルネシュとの��姉妹優勝争い�≠ｩも（笑）。早くそんな時が来れば，と思っていたのが現実になりそうで，対決は楽しみです。どちらが勝っても「ディババ・ファミリー」にとって新たな勲章であり，歴史の1ページが刻まれるでしょう。

��ディババ･ファミリー�≠ﾆは？

��ディババ・ファミリー�≠ﾌ背景を説明しよう。1992年のバルセロナ五輪女子10000ｍに優勝したデラルツ・ツルは，アフリカ黒人女性初の五輪金メダリストだが，彼女はディババ一家の親戚である。ツル，ディババ一家はエチオピアの首都・アディスアベバから南に270�qの位置にあるベコジ村周辺の出身。この土地は男子長距離史上最強ランナー，ケネニサ・ベケレらを含む数々の世界的な名ランナーを輩出してきた。
　ツルおばさんの活躍に刺激されて走り出した長女・ベチャイェ（35歳）は，これといって目立った活躍もなく結婚を機に引退。現在，ブリュセルに住んでいる。次女のエジェガユー（33歳）はアテネ五輪10000ｍで２位。三女のティルネシュ（30歳）が３位になり，姉妹でのメダル獲得が話題に。現役のマラソン選手だ。
　ティルネシュは，2003年パリ世界選手権5000ｍに史上最年少（17歳10ヵ月）で優勝。18歳10ヵ月でアテネ五輪の銅メダルを手にし，以降も世界クロカン，世界選手権などで大活躍。五輪で３個の金メダル獲得など��史上最強女子長距離ランナー�≠ﾆ呼ばれる。2015年４月に長男・ナサン君を出産。五輪３連覇を目標に始動。
　ティルネシュの夫，シレシ・シヒネ（32歳）は，アテネ五輪と北京五輪の10000ｍでいずれも２位のキャリアを持つ。5000ｍは12分47秒04，10000ｍは26分39秒69が自己ベスト。彼は2014年から16階建てのホテル，14階建てのオフィスビル，モーテル，大きな自宅建設などの一連のプロジェクトを同時スタートさせたため競技活動を一旦中止。2016年から再開するとか。
　長男のデレジェ（27歳）はマラソン選手を目標としているが，まだこれといった戦歴がない。四女のゲンゼベ（24歳）は，2015年に大躍進。至難と言われた1500ｍの世界記録を更新。北京世界選手権では1500ｍで優勝，5000ｍは３位。
　五女のアナ（18歳）は，ティルネシュやゲンゼベに劣らぬ才能豊かなランナーと折り紙つき。2016年から国際レースの経験を積み始めると言う。末っ子のメラート（16歳）は「長距離より中距離に興味がある」と，この11月から本格的に走り始めたばかりの学生。
　なお，北京世界選手権女子マラソン覇者のマレ・ディババは（26歳），この��ディババ一家�≠ﾆは無関係だ。

ティルネシュ･ディババ
出産経た��長距離女王�℃j上初の五輪10000ｍ３連覇に向けて始動

ディババ・ファミリーの��大エース�≠ﾅあるティルネシュ（30歳）は，ジュニア時代から頭角を現し，数々のタイトルを獲得した史上最強長距離ランナー。2008年10月に結婚したシレシ・シヒネ（32歳）との間に第一子を授かり，2015年４月，長男・ナサン君を米国・アトランタで出産。ほぼ1年間，競技を中断していたが，産後数ヵ月でリオ五輪に向けて始動した。
　ティルネシュは，2003年のパリ世界選手権5000ｍを史上最年少の17歳10 ヵ月で制し，翌年のアテネ五輪は３位に入ってこの種目の史上最年少メダリストになった。４年後の北京五輪では5000ｍ，10000ｍの２冠を獲得。これは女子で史上初の快挙だった。そして，ロンドン五輪では10000ｍで２連覇。妊娠中，最高17kgオーバーだった体重も残り５kgを減量するだけになったと言う。「出産は安産で良かったけど，産後の減量が大変です。今でも５kgオーバーで，最後の５kgを落とすのがこんなに難しいとは（笑）。でも，焦って急激に減量するのは故障のもと。リオ五輪まで時間がたっぷりありますから，無理をしないで調整します。現在のトレーニングは，体重を落とすための予備段階です。
　2015年は��ディババ・ファミリー�≠ﾉとって，喜ばしいことが重なりました。夫が14階建てのオフィスビルを完成させ，息子が誕生。妹のゲンゼベが1500ｍで世界記録を樹立し，北京世界選手権で初優勝。世界選手権は，自宅で育児をしながらテレビ観戦。家族中でゲンゼベを応援し，彼女の優勝を自分のこと以上に喜びましたが，大変に疲れました。そしてゲンゼベは，国際陸連の年間最優秀選手賞も受賞。私は2008年に北京五輪２冠でも，年間最優秀選手賞は棒高跳のエレナ・イシンバイェワ（ロシア）に奪われた悔しい思い出があります。この賞はディババ・ファミリーが手にしていない唯一の賞だったので，ゲンゼベが遂にやってくれました。
　私もリオに向けて復帰しますが，リオは五輪でトラック種目に出場できる最後の機会。10000ｍ３連覇がかかっています。北京での女子10000ｍは，それほどレベルの高い印象ではなかった。リオは，北京よりはるかに厳しい気象条件下で行われ，レベルの高いレースになるはず。エチオピア代表は豊富な人材の中から選考できます。若手の成長が著しく，ゲンゼベ，アルマズ・アヤナ，ゲレテ・ブルカらは北京で実力を実証済み。彼女らにベテ
ラン勢がどう食らいつけるかがカギ。五輪代表の座を争う選考レースは，五輪本番以上の激しい戦いになるでしょう。五輪３連覇は容易なことではなく，産後の影響がどのように身体に与えるのか，私にとっては未知の世界です。でも，子供のためにも最善を尽くして優勝を目指し，悪くても表彰台に立つ姿を見せたいと思います」