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望月次朗の
ドーハ・アジア選手権ほか 取 材 記
〜「雑ネタ」「裏話」を気の向くままに紹介〜!

マルティン・フィスと20数年ぶりの再会
 第43回パリ・マラソン取材を終わって機材をバックパックに入れ終えた時、後方から肩を叩かれた。振り返ると、初老の見知らぬランナーが立っていた。最初、彼が言っている言葉がわからなかったが、スペイン語だとわかった。しかし、僕はしゃべれない。僕の反応を見て、その人はジャージを広げてナンバーカードの名前を指さした。「Martin Fiz」と読めたその瞬間、「まさか?」と思って彼の顔をのぞき込み、初めて誰かを理解した。
 よく見ると、白髪の男は確かに「フィス」と昔の面影を思い出して確認した。しかし、よくも昔のことを覚えていたものだと、彼の記憶力に驚きながら20数年ぶりの再会を喜んだ。現在56歳とか。この日の彼のタイムは、なんと2時間27分45秒で全体の35位。マスターズの55-60歳の世界新記録を樹立したとか。さすがに元世界チャンピオンだ。
 1990年代は、スペイン・マラソン界が世界最強の時代だった。フィスは、1995年イエテボリ世界選手権で優勝。99年アテネ世界選手権にも金メダルの同胞、アベル・アントンとワン・ツー。アビヨン・ロンチェロも入賞するなど、黄金時代を謳歌した。スペインに飛んでフィスを取材したことがある。その後、21世紀初め頃から一連のドーピング問題でいつしかスペインのマラソンも下火になり、世界のマラソン界から姿を消した。

ドーハ・アジア選手権から
世界選手権に向けて

 4月の中ごろからパリ−ドーハ−パリ−ロンドン−パリ−ドーハ−パリ−東京−パリ−上海−パリと、かなり強行な取材旅行が続く。今季初の屋外競技会取材は、カタール・ドーハで開かれた第23回アジア選手権だ。今年で10年目を迎えるダイヤモンド・リーグ大会を毎年開催しているドーハだが、わずか1年に1日だけの国際大会開催経験では、この秋に世界選手権を迎えるにあたってとうてい物足りない。そこで、予行練習を兼ねてのアジア選手権開催だった。
 2006年に当地で行われたアジア大会を取材したことがあるが、この時は2000年シドニー五輪でノウハウを持った多くのオーストラリア人が裏方で運営に当たっていたのを思い出す。このアジア選手権でも、やはり同じように重要な部署の責任者は外国からのエキスパートを呼ばなければ、ことが円滑に運ばない。競技場の中で最も多忙な人はイギリス人の「C」だ。若い頃は三段跳の選手だったとか。彼は五輪、世界選手権、欧州選手権などの国際的な大会を仕切ってきた豊富な経験がある。彼はトラック、フィールド種目をすべて円滑に運営する直接の責任者だ。「C」はフィールド種目の選手のベンチの置き場所、走高跳のマットの位置など、すべての競技の細部にわたって豊富な知識を持つ「生き字引」的な存在だ。
 円盤投、ハンマー投のゲージがかぶって撮影ができない時、まず最初にその種目の審判長に「撮影ができないのでゲージを少し開けてくれないか?」と聞くが、要望を聞いてくれない時は、「C」に頼むとたちまちにゲージが開いて撮影が容易になるからうれしい。メディアの要望をしっかりと聞いてくれるが、さて東京五輪の役員はいったいどこまでその都度起きる諸問題、選手、テレビカメラ、スチールカメラマンの要望に柔軟な態度で接してくれるだろうか。1991年東京世界選手権、94年広島アジア大会は、しばしば役員の四角張った対応にほとほと閉口した経験がある。
 ハリファ・スタジアムの収容人数は4万8000人とか。競技場内は巨大な空調設備が完備されているため、24〜25度に抑えられるらしい。しかし、この近代的な設備を備えた素晴らしい設備も、アジア選手権期間中、スタンドにいた関係者を除く観客は、多く見積もっても4日間の合計で500人を超えたとは思えないのだ。ドーハには陸上競技の文化が存在しないのか? 選手、役員、関係者らが毎日チラホラ観客席に見えるが、競技場内のセキュリティの人たちのほうが観客より多かったのではないだろうか。まさか、世界選手権がこのような観客不在なんてことにはならないだろうが……。なんとなく不安になったのは、筆者だけではないだろう。

ロンドンから再びドーハへ

 第39回ロンドン・マラソン取材のため4月27日に、パリからユーロスターに乗ってロンドンに向かった。約2時間20分でロンドン市内に到着。ドーバー海峡を渡ることができる。そこから「チューブ」で「タワー・ヒル」まで行き、大会本部のホテルで取材証とゴール、表彰式の写真を撮れる「ビブス」を受け取る。
 1986年の第1回ロンドン・マラソンを取材した。この年、瀬古利彦(ヱスビー食品/現・DeNA総監督)が2時間10分02秒で、地元期待のヒュー・ジョーンズを破って圧勝。次の年は谷口浩美(旭化成)が優勝して、日本マラソン強し≠フ印象を世界に広めた。以来、何度か不都合で取材できなかった年もあるが、ほぼ毎年のようにロンドン取材を楽しみにしている。何種類かに分けられているビブスは、長い経験のためエリートランナーのゴール、表彰式に限定された特別取材ビブスだ。長年やってきた特典のようなものであろう。
 レース当日、風こそ前日のように強風が吹かなかったのは幸いしたが気温は13〜14度で、中東の暑さの後ということもあって震え上がる寒さだった。この気象状況の中でも、大方の予想を裏切って男女ともに好記録が続出した。女子はブリジッド・コスゲイ(ケニア)が後半独走して2時間18分20秒の自己新記録で圧勝。男子は世界記録保持者のエリウド・キプチョゲ(ケニア)が、終盤に追いすがるエチオピア勢を突き放して、パフォーマンス世界歴代2位、彼自身が持つ大会記録(2時間3分05秒)を更新する2時間2分37秒で史上初の4連覇(回数4回も最多)を果たした。キプチョゲは余裕の強さを見せたが、2位のモシネット・ゲレメウ(エチオピア)も史上3人目の2時間2分台突入となる2時間2分55秒の好記録だった。
 ロンドンからパリに帰って2日間、写真整理、原稿書きに追われた。5月1日、メーデーの夕方、パリからイスタンブール経由で再びドーハへ。早朝5時頃着で、ホテルに直行。朝飯を食べて一休み。午後、選手宿泊先のホテル内で開催された、国際陸連会長も出席した記者会見を撮影。選手のポートレートを撮影した後、ホテルに戻った。日中の気温は40度以上とか。
 翌日、ダイヤモンドリーグ初戦を取材。日中の気温が40度以上になっても、ハリファ・スタジアム内の巨大なエアコンが23〜24度内に保ち、フィールド内で動いても快適だった。エチオピア、ケニアの応援団らは競技場内で対局の位置に分かれ、熱気あふれる楽しい雰囲気だった。カタール在住の人たちはメインとバックスタンドで見学。入場者は1万5000人〜2万人だった。アジア選手権のような、観客ゼロに近い懸念はすっかり消えた。

 
(月刊陸上競技2019年6月号掲載)
●Text & Photos / Jiro Mochizuki(Agence SHOT)

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